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駒形神社 “桜の天井”に出会う、4世代の神様が鎮座する神社。

駒形神社の空撮

日本には美しい四季があります。春の桜、夏の青さ、秋の紅葉、冬の雪景色。ですが、その全てをハッキリと体感できる場所は限られています。特に美しい雪景色はどこでも見られるわけではなく、同じ都道府県内でも地域によって冬の光景は異なります。

岩手県奥州市。5つの自治体が合併して誕生したこの奥州市は、県内の人々によってその名前が付けられ明瞭な四季を感じることができる地域です。春、夏、秋の美しさはもちろん、冬にはこの場所ならではの“冬”を体感できます。そんな奥州市の中ほどに駒形神社は鎮座しています。広大な境内は現在自治体へ寄付され、水沢公園として地域の方々の憩いの場となっています。

雄大な自然と共にあり続けるこの神社の見どころや魅力を宮司様にお伺いしました。

目次

駒形神社とは

駒形神社の社殿正面

神社の始まりから約1500年。関東から北上してきた人々によって創建された駒形神社。この神社には、全国的にも珍しい「4世代」にわたる神様や、宇宙・地球を守る神様がお祀りされており、とても貴重な神社だと言えます。

隣接する水沢公園は、かつて神社の境内であり現在もそこには500本を超える桜の群生を見ることができます。水沢公園をはじめとする神社を取り囲む自然は、どのシーズンに訪れても、この景色を見ることができて良かったと思えるものです。

明治36年に現在の場所へ遷座し約120年、地域を見守り続けてきました。文武両道の神様である塩竃神社とも縁が深く、神社の夏祭りでは弓道や剣道、相撲、柔道、書画・絵画などが奉納されています。4世代の神様、そして天と地の神様が見守る、さまざまなご利益を受けられる神社です。

【駒形神社 特別インタビュー】

駒形神社の菊花展

私たちが神社へお参りすることには大きな意味があります。自分たちの力だけではどうしようもできないことに直面したとき、成就させたい思いがあるとき、人それぞれに大きな思いを持って参拝に訪れています。その思いを神様へ託し、その後も見守られていると感じることが、私たちの心の安寧に繋がるのだと思います。

駒形神社では、その思いを多くの神様が受け止めそこに多くの人が集っています。奥州市に暮らす人々にとっては暮らしに欠かせない神社であり、この地を訪れた人にとっても貴重な祈りの場となっています。

広大な水沢公園に隣接。約1500年の歴史を感じる神社。

水沢公園の桜
編集部

本日は、岩手県奥州市に鎮座されている駒形神社様へのインタビューです。こちらの奥州市というのはどういった地域でしょうか。

宮司様

この奥州市は、水沢市、江刺市(えさしし)、前沢町、胆沢町(いさわちょう)、衣川村(ころもがわむら)という5つの自治体が合併して2006年に誕生した市です。岩手県内では県庁所在地である盛岡市に次ぐ主要都市であり、人口は10万人ほどです。合併する際に、市の名前を募集したところ「奥州」という名前の応募が多く、意味としては日本の奥の州であり奥州藤原氏が治めていたという由来から、奥州ということになります。

編集部

そんなふうに市の名前を公募するとは、面白い試みですね!

宮司様

そうですね。多くの方が「奥州市」と応募されていたので、自分がつけたと思われている方も多いかもしれませんね。

編集部

素敵ですね!市の名前を付けられるなんて、人生で誰もが経験できることではないですから、貴重な経験だったと思います!

宮司様

本年でちょうど合併から20年になるのですが、名前自体はもう皆さんに馴染んでいただいていると思います。

編集部

皆さんの思いが詰まった名前ですね。こちらの神社が鎮座されている場所ですが、水沢公園内という記載がありますが、公園内に神社があるということでしょうか。

宮司様

元々は公園が神社の土地だったのですが、明治になってから管理しきれないということで寄付したんです。ちなみに水沢という地名ですが、岩手県は、かつて盛岡県と水沢県で分かれており、この辺りは水沢県に含まれていました。その当時の名残で水沢という地名が残されているのかと思います。

編集部

そういうことだったんですね!確かにこの広さは神社だけでは管理が難しいですね。今は市民の皆さんが集う場所になっているんですね。岩手県がかつて2分されていたというのも初耳です!

宮司様

岩手県は四国とほぼ同じくらいの広さがあり、実は結構広いんです。

編集部

そんなに広いんですね!それが1つとなり、現在の岩手県になったんですね。では、こちらの神社の歴史や由来をお聞きできますか。

宮司様

言い伝えによると約1500年前に奥羽山脈の中にある駒ケ岳(こまがたけ)の山頂にお祀りされたのが創建の始まりだと言われています。奥羽山脈は、現在の場所から西へ20㎞ほど離れた場所にあり、そこから明治36年に現在の場所に遷座しました。そこからは約120年の歴史があり、比較的新しい神社になるかと思います。

編集部

元々山の上にお祀りされていたんですね。

宮司様

一説には、関東に有力な豪族であった毛野一族(けぬいちぞく)が台頭し、彼らは群馬県の赤城山を崇敬し赤城の神をお祀りし、その地を支配していました。ですが、その後上毛野国と下毛野国に二分し、下毛野氏は日光火山に二荒山神社を創建しました。そして、上毛野・下毛野両氏は徐々にその勢力を北へのばし、こちらへ北上してきました。そして、そこで外輪山を持つ山を捜していました。外輪山とは火山活動によって陥没した地形の縁を輪状に囲む山々のことです。そして探すうち、連山の中で2番目に高さのあった峰を駒ケ岳や駒形山と名付け、そこへ駒形大神をお祀りしました。そして、この奥州にもその勢力は及び駒ケ岳の山頂に駒形大神を勧請し、駒ケ岳と名付けました。これは、上毛野一族で天皇家の血筋である胆沢公(いさわのきみ)という人物によるもので、その人物が由来となり胆沢町(いさわちょう)という町名が付いたと考えられています。山の麓には前方後円墳が残されており、前方後円墳は天皇家の血筋の人しか造ることができないお墓ですので、胆沢公がそこに眠っていると言われています。

全国でも有数の桜の“群生”の地。4世代の神様が見守る、家族の神社。

水沢公園の夜景
編集部

では、こちらの神社の魅力や特徴についてお聞きできますか。

宮司様

まず、季節毎の表情です。春先には桜、その後ツツジの季節になり、秋はモミジやイチョウの木がとても美しく色づきます。冬にはこの地域ならではの雪景色を見ることができ、四季の移ろいがとても明瞭な場所であることが魅力の1つです。

編集部

雪はやはりかなり降るのでしょうか。

宮司様

そうですね。雪が降らない地域の方がこちらへ来られると、本当に喜んでくれている方が多いです。私たちにとっては日常の光景ですから、滑るときも転ばない程度に滑ることができるんです(笑)。そういった技術力は向上しているかもしれません(笑)。子どものうちは雪遊びもしますが、大人になればそういうこともなくなります。ですが、雪に慣れていない方だと雪の上に倒れ込んでみたり、雪で遊んでみたりと、雪を楽しんでおられる姿が見られます。

編集部

私も雪とはほぼ無縁の地域の人間なので、雪に倒れ込む気持ち、分かります(笑)

宮司様

そういった季節毎の表情がありますので、どのシーズンに来ても美しい自然を楽しめるのは魅力です。

編集部

四季の姿を見ることができるのは、日本人にとってはとても誇らしいことであり、嬉しいことだと思います。

宮司様

水沢公園内には岩手県の天然記念物になっている桜の群生があります。桜並木ではなく、群生はとても珍しいもので日本でも見られる場所は限られています。

編集部

群生は確かにあまりお聞きしませんね!桜並木の名所はよくお聞きしますが…。

宮司様

実は群生は育つのが難しいんです。並木の場合はだいたい片面から確実に日が当たりますので育ちやすいのですが、群生は四方八方に伸びて日が当たりにくいため、育つのがかなり難しいと言われています。ですが水沢公園内ではしっかりと群生として育っており、見頃のシーズンには公園全体、桜の天井が広がります。その真下に入り込んで見上げる景色は本当に美しいものです。

編集部

桜の天井!それは人生で一度は見てみたい光景ですね!育つのが難しいと言われている中で、本当に奇跡ですね。

宮司様

元々の種は伊豆の方から来ていて、オオヤマザクラとヒガン系の桜を上手く掛け合わせた種です。オオヤマザクラやヒガン系の桜はソメイヨシノに比べて5倍ほど寿命が長いんです。ソメイヨシノの桜並木はだいたい樹齢50年くらいの頃が見頃で、その後は枯れてしまうこともありますが、オオヤマザクラなどは樹齢200年を超えるものもありますので、長い時間、その景色を見せてくれます。

編集部

調べたところ、500本を超える桜の木が植わっているそうですね!この数はそうあるものではないと思います。やはり桜のシーズンは相当な人出があるのでしょうか。

宮司様

かなりの方が来られます。コロナ禍のときでさえ、飲食禁止・露店がない中でも皆さんマスクをして間隔を取りながら楽しまれている方が多かったです。やはり年に一度は桜の木を愛でて鋭気を養っていただければと思いますので、大変な中でもお越しいただけたことは嬉しかったです。今では露店や食堂も出て、より賑わいのあるシーズンとなっています。花見の時期はまだこの地域は寒いのですが、それでもスキーウェアを着込んで宴会を楽しんでいる方もいるほどです。

編集部

それはすごいですね!桜を見ると本当に日本人で良かったと思いますから、そういった光景を地域で見られることは、町の人々にとっても誇りだと思います。

宮司様

他の特徴としては、お祀りしている神様が少し珍しいと思います。まず主祭神は伊勢神宮の天照大御神で、その子ども、孫、ひ孫と4世代にわたってお祀りしています。そういった何世代にもわたってお祀りしている神社は非常に珍しいです。また、その他に宇宙を司る天常立尊(アメノトコタチノミコト)という神様もお祀りしています。この神様をお祀りしている神社は全国で4~5社しかありません。他に地球を守る國狭槌尊(クニノサヅチノミコト)という神様も鎮座しており、恐らく関東から北上してきた際に、宇宙と地球、つまり天と地の神様をお祀りすれば国を守ってくれるのではないかと考え、そういった神様方をお連れしたのではないかと考えています。そういった部分も当社の特徴だと思います。

編集部

確かにひ孫まで、というのは聞かないですね。

宮司様

現実には、現代では核家族化が進み2世代、3世代が同じ家に住むということはほとんどありません。当社では4世代までお祀りしていますから、神様に「私たちは4世代で同じ家の中で暮らしているよ」と言われているような気がします。実際には難しいですが、そういった暮らしも良い面があると少子化の時代だからこそ伝えたい思いもあります。

編集部

子どもは国の宝ですから、両親だけでなく親族や地域のみんなで見守って育てられるのが理想的ですよね。現代では難しくなってしまいましたが、おじいちゃん・おばあちゃんと一緒に暮らしているからこその楽しみやメリットもありますよね。

山の上から町中へ遷座。塩竃神社との縁も。

編集部

では、現在の場所へ遷座された背景などは分かっているのでしょうか。

宮司様

元々、建物自体は山の上にある状態で国管轄の神社でした。明治期に国幣社という社格になり、県知事が参拝する神社となりました。すると県知事が山の上まで登る必要があるわけですが、それには2時間ほどかかります。馬で登るわけにもいかず、登るのにかなり苦労を伴うため何とかしなければと思案していました。そこで、本社を山の上ではなく水沢の町中の神社にしようということになりました。ちょうどその頃、この辺りを治めていた留守さまというお殿様が信仰していた塩竃神社が、今の水沢の場所にありました。そしてその塩竃さんに駒形さんを移すのがいいのではないかということで、塩竃さんの隣に春日神社があったのですが、そこへ塩竃さんを移して空っぽになった御社殿に駒形さんが山の上から下りて来られました。他の神様が入っていた家に移り住むというのは滅多になく、とても特殊だと思います。

編集部

神様のお引っ越しの形としては確かに珍しいですね!塩竃神社というと、たしか宮城県にも鎮座されていたかと思いますが、何か関係はあるのでしょうか。

宮司様

宮城県の鹽竃神社は、駒形神社より1つ格上の「中社」という社格の神社ですが、そちらの鹽竃まで奉納するか、水沢の塩竃へ行くかで迷い、距離の近い水沢の方へ持って来られた方が結構多かったんです。ですが、明治の廃仏毀釈により燃やされてしまったものも多く、資料で記録されているものを見ると、「これが残っていれば価値のあるものだっただろうな」と思われるものもありました。もともと宮城の鹽竈神社の別当であった留守氏が水沢城主としてお越しになりました。当地にすでに鎮座していた塩竈神社も崇敬されたことから宮城と岩手の繋がりが深まり、現在も7月10日は宮城鹽竈神社例祭に、8月10日は岩手塩竈神社例祭にそれぞれの宮司が参列する習わしになっています。

編集部

やはり廃仏毀釈の際には仏教関係の多くの物が失われてしまったんですね。

宮司様

そうですね。日本古来の神道と大陸から伝わった仏教を一度分けよう、というただそれだけのことだったのですが、みんなその法令を聞いて「仏教はダメなんだ」と思ってしまい、仏教関係のものは全て燃やしてしまおうという行動に繋がりました。それが廃仏毀釈であり、こんなに離れた町でもその流れの影響を受けて、仏教関係のものは隣町の山奥まで行って燃やしたそうです。その中には塩竃神社への奉納物もあったそうです。

祭典実行委員会も設置。地域との関わりも絶やさずに。

駒形神社の風の回廊
編集部

では、神社と地域の方との交流についてお聞きします。地域の方と共に実施されている行事などは何かありますか。

宮司様

当社には祭典実行委員会というものがあり、50町の各町内から実行委員会の方を選出して、お祭りでどんなことをするかを決めていただいています。神楽の奉納や、雅楽の演奏、あるいは子ども騎馬武者行列の実施など、実行委員会でやることを決めて、お祭りが開催される時期には各町内にポスターを掲出し、当日はみんなが神社に集まっていただいています。

駒形神社 子ども騎馬武者行列
宮司様

大きなお祭りは春、夏、秋と年に3回あり、地域の方々にご協力をいただいているお祭りです。その他、大祓式など天皇家から継承されている儀式や、通常の個人のご祈祷やお祓いも神社で執り行っていますが、年3回のお祭りだけは地域の方々が中心となって行われています。

編集部

ホームページを拝見すると剣道大会や柔道大会なども神社内で開催されているのでしょうか。

宮司様

そちらは夏祭りで開催しているものです。剣道や弓道、柔道、相撲などを行っていますが、これは塩竃神社のお祭りの名残です。

宮司様

また、塩竃神社は文武両道の神様ですので、武術の大会と書画・絵画を奉納してもらっています。地域の神社でそういった行事があると、自然と地域の子供たちもそういった武術や芸術に触れる機会が増えますので、情操教育にも良いと思います。

駒形神社の書画奉納
宮司様

また、武道は普通自分のために勝とうとするものですが、神社への奉納として神様が見ている中ではまた少し違う思いで臨んでいただけると思います。

編集部

先程お話に出た、子ども騎馬武者行列とはどういったものでしょうか。

宮司様

これは昭和11年から始まったもので、元々は10m以上の高さがある山車を出していました。ですが、昭和に入ってから町中に電線ができた影響で、その山車が通れなくなってしまったんです。これではいけないということで、最初は子ども武者行列を始めました。きっかけは、この地域で鎧を作っている石橋太平さんという方がいらっしゃったことです。全国的にもそうですが、5月の端午の節句には子どものために兜や五月人形を買う風習がありますよね。石橋さんは兜だけでなく鎧や兜一式を作られている方で、ただせっかく作ったけれど子どもたちが着る機会が滅多にないということで、神社の行事として、子どもたちがそれを着て歩いたらいのではないかということで、子ども武者行列が始まりました。すると、その翌年に「うちで馬を持っているけれど、子どもたちを馬に乗せるのはどうか」という方がいらっしゃったんです。この辺はかつて馬産地だったので馬を飼っている方は多かったんです。そこで、鎧を着て歩く子と、馬に乗る子で行列を成すようになったんですが、やはり馬に乗る方がかっこいいということになりました。そして、子ども騎馬武者行列にしようということになり、昭和13年~14年頃から騎馬武者行列となりました。

駒形神社 子ども騎馬武者行列
宮司様

現在は馬を飼っている方はほとんどいないので、馬を育てている方から馬をお借りしてそれに子どもたちが乗る形になっています。乗ってもらう馬はロバほどの大きさの仔馬ですが、貴重な機会ですので、地域の子どもたちにはぜひ体験してほしいと思います。

今後の展望

当社は、駒ケ岳の上から神様がおくだりになって100年を迎えたときに社殿を建て替えました。今後も折に触れて社殿の建て替えや境内の整備を進めていきたいと思っています。四季の移ろいがハッキリとしている場所ですので、そういった季節感を感じられる境内にしていきたいと考えています。

インタビューまとめ

お話いただいた宮司様は、とてもお話が分かりやすく神社のことだけではなく水沢地域や奥州市のことについてもユーモアを交えながらお話いただきました。全国的に誰もが知る町、神社ではないかもしれません。ですが、そこには「ここにしかない」ものを多く見ることができます。

もちろん岩手県には奥州市以外にも魅力的なスポットがたくさんあります。風景もグルメも温泉も楽しめる、どこを訪れても楽しい地ですが、ぜひ岩手県、そして奥州市にも足を運びこの神社で多くの神様に見守られながら、祈りを捧げてみるのもいいのではないでしょうか。

駒形神社

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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