かつて日本で初めて石炭が発掘された地、福岡県大牟田市。その影響でこの地には人が増え、賑わいある地として栄えました。そんな地に鎮座する大牟田熊野神社は、和歌山の熊野からご分霊をいただき、熊野信仰の神社として発展してきました。
現在は、地域の人々が訪れるだけの神社ではなく、遠方からも多くの参拝者が訪れているようです。御朱印や御守り、おみくじなどに工夫を凝らし、他の神社にはないものを楽しんでもらいたいという思いで、この神社オリジナルの授与品などを頒布しておられます。
今回は、神社で権禰宜(ごんねぎ)を務められている神職様へお話を伺い、この神社が歩んできた歴史、神社の魅力、そしてこの先の未来へ向けての思いをお聞きしました。
大牟田熊野神社とは

創建は西暦533年とされ、1500年に近い歴史があると言われる大牟田熊野神社。大牟田市内で最古の神社とされ、非常に長い歴史を持つ神社です。熊野信仰の流れを汲む神社として、八咫烏(やたがらす)が神使とされ、「導きの神様」として親しまれています。八咫烏は勝利へ導く象徴とされ、日本サッカー協会の公式エンブレムにも採用されています。
この神社独特の授与品を求めて来られる方、勝利のご利益を受けたいという思いで来られるサッカーチームやサッカーファンの方など、さまざまな思いを持った方が来られる神社です。2026年はサッカーワールドカップが開催される年でもあり、今再びこの神社が注目されています。
また、現在だけでなく、数百年先を見据えてどう神社を維持していくべきか、そのための基盤づくりに尽力される先見の明ある神社です。
【大牟田熊野神社 特別インタビュー】

サッカーワールドカップ2022年大会が開催された時期には、地元メディアでもこの神社の存在が取り上げられ、サッカーファンはもちろん、日本の勝利を願う人々が多く参拝しました。地元の人々との交流もあり、近隣の子どもたちに親しまれる神社でもあります。
神社のすぐ隣には、熊野神社とほぼ同規模の三笠神社が鎮座しており、こちらではかつて大友家のために尽力した戦国武将・高橋紹運などが祀られています。武将ゆかりの地として、武将好きな人々にも愛される場所であり、多くの武将ファンがその地を訪れています。
石炭に縁のある町で、約1500年の時を見つめる神社。

編集部本日は、福岡県大牟田市に鎮座されている大牟田熊野神社様へのインタビューです。大牟田市というのはどういった町でしょうか。



この街は、日本で最初に石炭が見つかった街です。発掘されたのはこの神社の氏子区域内で、そういったご縁で当社の境内にも石碑などが置かれています。ただ、最初に発掘された時は石炭の使い道が分からなかったそうです。「黒い煙が出るけれど、一体何に使えば…」という様子だったそうですが、時代が下るにつれて、製塩業において有用であることがわかり、大牟田市の特産品として国内に流通するようになりました。それにより少しずつこの地も栄え始め、明治の産業革命が起きると、石炭はより重宝されるようになりました。そして、あまり人が住んでいなかった土地に数万人の人々が暮らすようになり、大きく栄えました。



よく分かりました。日本で最初に石炭が発掘された街とは存じ上げませんでした。とても貴重な土地なんですね。では、こちらの神社の歴史や創建の由緒をお聞きできますでしょうか。



創建は安閑天皇3(533)年とされています。本殿裏の扉に、明治の頃に「創建1350年祭」を実施したと書かれており、そこからさらに時が経過していますので、約1500年の歴史があり、大牟田市内では最古の神社ではないかと考えられます。



熊野神社ということで、和歌山県からご分霊をいただいているそうですね。



実はこの歴史は少し奥深く、創建当初はこの地を治めていた豪族の鎮守社があったとされています。その後、新たに熊野からご分霊をお迎えし、元々の土地の神様への信仰と熊野信仰が融合する形で、現在の姿へと発展してきたと考えられています。詳しいことはハッキリしていませんが、先祖をお祀りする神社では、ご先祖の男女の神様をお祀りすることが一般的です。そうした古くからの流れも汲みつつ、当社では熊野信仰における夫婦の神様である伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)をお祀りし、今日まで厚い信仰を集めてきたのではないかと思われます。



既に神様がいた所へ別の神様を、というのは何とも珍しいお話ですね。神社すぐそばには三笠神社という神社もあるようですが、こちらは同じ境内にある摂社や末社というわけではないのでしょうか。



三笠神社は、当社の隣にあるほぼ同じ規模の神社です。明治の頃にこちらへ遷座してきたのですが、その理由はこの場所が“好都合”だったからだと考えられています。



詳しくお聞きできますか。



元々、三笠神社は江戸時代にこの辺りを治めていた三池藩の総鎮守として創建されました。そのお殿様の先祖をお祀りしようという動きが強くなり、そのための神社を創建したのが三笠神社の始まりです。ただ、神社ができた頃に、藩主が福島県へ移封(大名の領地を他の場所へ移すこと)されてしまいました。その際に福島県で三笠神社を創建し、三池藩の本拠地である現在の大牟田の地へ遷座したとのことです。大牟田市はその前身として大牟田町だった過去があり、当時は当社と三笠神社がちょうど街の一番真ん中、北端を背にする形で鎮座していました。三笠神社が現在の地に御遷座された理由としては、大牟田町の鎮守の神様として、この場所が最もふさわしいと選ばれたのだと思います。当時、この街で石炭採掘を担っていた三井の鉱山があり、その工場を見守る位置としても好都合だったことなど、さまざまな歴史的背景が重なり、この場所に導かれたのだと思います。全国的にも非常に珍しいことですが、それぞれ独立した深い由緒を持つ2つの神社が、不思議なご縁によって同じ場所に寄り添うように鎮座しています。
この神社“ならでは”の授与品を。独特な“アール・ヌーヴォー風”の御朱印も。



では、こちらの神社の特徴や魅力についてお聞きできますか。



当社は熊野信仰の流れがあるので、八咫烏がご神使となっています。境内には八咫烏の石像もあり、八咫烏は日本サッカー協会の公式エンブレムとしても結び付きがあるので、サッカーとも縁が深い神社です。また、三笠神社では戦国武将をお祀りしており、武将ファンの方がよく訪れています。他に、最近では授与品が可愛いと話題になったこともあります。当社が鎮座しているのが鳥塚という場所なので、鳥に関係する御朱印を揮毫しており、このお正月にはシマエナガの御朱印もお出ししました。とても可愛いと評判です。八咫烏にちなんだ授与品も多く、そちらも求められる方が多いです。







インスタグラムで御朱印の写真を拝見しました。本当にとても可愛いです!シマエナガの透明な御守りもあるようで、これはとても珍しいものではないかと思います。



おみくじも複数種類頒布しており、それらは海外の方に喜ばれることが多いです。大牟田市は福岡の南端にある市ですので、県外の熊本や福岡の北の地域からでも来ていただくことが多い神社です。



おみくじや御朱印など、とても素敵なものばかりですね。こういった授与品のデザインはご自身で考案されているのでしょうか。



御朱印の場合、おおよそのデザインを考え、スタンプ作家さんとコラボをして「今月の御朱印はこんな意匠で出したい」というふうにお願いして制作してもらっています。特に八咫烏の御守りなどはSNSで見ていただいた方が多かったようです。



イザナミノミコトのアール・ヌーヴォー風の御朱印帳、とても素敵ですね!こんなオシャレな御朱印帳は見たことがないです。







これもデザイン案として、これまでになかったような御朱印帳のデザインにしたいと思い、日本人が好む西洋作家を探したところ、チェコ出身のミュシャという装飾芸術家に行きあたり、その作風を踏襲したものとして考案しました。これまでに第三弾まで頒布しています。このアール・ヌーヴォー風の御朱印帳は御朱印を集めていらっしゃる方にはとても珍しいようで、非常に人気です。これを目当てに遠方から来ていただく方もいます。他に、推し活成就守りや、アジサイの御朱印、マッチョ猫おみくじなど、少し変わったものをお出ししています。マッチョ猫おみくじは金色なのですが、時々お越しになる海外の方は金色のものを好まれるようで、とても喜ばれています。以前までは地域の方が来られるだけの神社でしたが、最近はこうした授与品を求めて遠方から来ていただく方も増えました。



境内も広さがあるとお見受けします。神社すぐそばには大きな公園もあるようで、緑が多い場所ですね。



鳥塚公園という大きな公園が神社のすぐ前にあり、その場所から当社へ社叢(しゃそう)が続いているので、一体のエリアとして多くの方が訪れています。アジサイや梅などはそのシーズンにはとても美しく咲き誇り、境内を訪れる方にとって癒しの植栽となっています。当社の境内に来ていただければ、ちょっとした森に来たような感覚を味わっていただけると思います。近くには小学校や幼稚園もあり、子どもたちの元気な声がいつも聞こえています。時には校区探検などで神社に来てくれたり、幼稚園の子たちがお参りに来てくれたりします。また、夏場でも緑が多いため犬の散歩などで来られる方も多くいます。海外から来られる方は、日本に何度も来られているリピーターの方が多く、ご自身で車を運転して来られる方もいます。そういう方にとっては、こうした地方の神社へ御朱印を集めて回るのはとても楽しいようです。
勝利へ導く神。武将ファンに愛される神社も隣接。





三笠神社では戦国武将をお祀りしているというお話でしたが、お祀りされている高橋紹運(たかはししょううん)公というのはどういう方だったのでしょうか。



戦国時代、九州には各地にさまざまな勢力がいました。大分の大友氏、鹿児島の島津氏など、群雄割拠の時代でした。その中で、高橋家は大友家の家臣だったのですが、鹿児島から島津勢が攻めてきて、大友家が危機に陥った際、時の天下人・豊臣秀吉に助けを求めます。秀吉が援軍を送ることになりましたが、到着までには時間がかかります。その間、島津の猛攻を食い止めるため、紹運公は岩屋城という城にわずか700人ほどで籠城しました。島津軍は数万の軍勢だったと言われており、紹運公に何度も降伏を促しましたが、彼は主君への忠義を貫き、すべてはねのけました。壮絶な戦いの末に城は落ちますが、彼が時間を稼いだおかげで秀吉の援軍が間に合い、九州が完全に征服されることはありませんでした。「乱世の華」と秀吉にも讃えられた紹運公は、戦国武将ファンの間で非常に人気があります。また、その息子である立花宗茂も非常に人気のある武将です。紹運公は、かつては教科書にも載っていたほどの国家的英雄であり、非常に優秀で強い武将だったのです。



冒頭にサッカー協会とのご縁についてもお話が出ましたが、前回のワールドカップの際には参拝者も多かったのでしょうか。



そうですね。前回大会が開催されていた頃にはサッカーファンの方が多く来られました。中には「この神社の御守りを買って行ったおかげでスペインに勝てました」という方もいて、とてもありがたかったです。2026年はまたワールドカップが開催されますので、今からとても楽しみです。最近では、地元のサッカーチームの方々がみんなでお参りに来られたり、勝利へ導くご利益がある神様として親しんでいただいています。御朱印などの授与品を目当てに来られる方、サッカーが好きで来られる方など、さまざまなジャンルの方に来ていただけるのが当社の魅力の一つだと思います。前回大会の時には、地元のテレビ番組にも出演させていただき、サッカーと縁がある神社としてより広く知っていただきました。また、サッカーだけでなく大牟田で一番大きな空手道場の生徒さんたちが初稽古で来てくれるなど、地域との交流も大切に続けています。
今後の展望
この先、人口が減っていく中で現在8万社ほどある神社もこの先数十年にはその2割〜3割が失われると言われています。神社が無くなるということは、その土地にあった人々の記憶や歴史も消えてしまうということです。そんな時代になっても、今と同じ勢いを保ち続け、次世代へ繋ぐための基盤を整えたいと考えています。これは当社だけでなく、日本中の神社が直面している課題です。この先100年、200年と残っていくための基盤を作ることが現在の目標です。
神社を維持するためには、さまざまな取り組みが必要で、その実行が現代に生きる私たち神職の使命だと思っています。神道には長い歴史がありますが、これからは人口急減という未知の時代に突入します。未来への備えを今行うこと、それを常に意識していきたいと考えています。
インタビューまとめ
今回お話をお聞きするまで、大牟田が日本で最初に石炭が発掘された場所であるとは存じ上げませんでした。そういった特別な場所で鎮座され続けていることは、非常に貴重なことだと感じます。
この神社ならではの特色も多く、特に授与品に関してはどれも魅力的で、それを目的に参拝される方が多いというのも納得でした。周辺環境は穏やかでありながら、子どもたちが多く、活気ある地域です。
何よりも、この神社が今だけでなくずっと先の未来を見据えて行動されている姿が非常に印象的でした。地域にこうした神社があることは、住民にとっても誇りとなるはずです。自分が生きている間だけでなく、未来へ繋ぐための策を講じる。その思いはきっと、次代の継承者や地域の方々にも力強く伝わっていくことでしょう。
大牟田熊野神社
住所:〒836-0803 福岡県大牟田市鳥塚町87
TEL・FAX:0944-53-0137








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