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豊栄稲荷神社(とよさかいなりじんじゃ) 売薬の地・富山に鎮座する、鮮やかな朱塗りの神社。

神社外観

北陸に位置する富山県は、海産物をはじめとする数々の名産品はもちろん、多くの製薬会社がある「くすりの町」としても知られています。そんな「くすりの町」にある呉羽山(くれはやま)の中に豊栄稲荷神社は鎮座しています。

呉羽山は現在、富山市がハイキングコースとして整備し全国的に注目を集めつつある場所です。2025年には創建320周年、呉羽山への遷座50年などを記念して記念大祭が実施されました。

今回は様々な周年を迎えたこの神社のこれまでの歩みと、今後の歩みについて宮司様の娘さんとそのご主人様にお話をお伺いしました。

目次

豊栄稲荷神社とは

拝殿外観

豪雪地帯として知られる北陸地方。冬は神社に近づくことすら大変な時もありながら、その寒さや環境に負けることなく宮司様ご家族によって整備され、シーズンを問わず多くの方が参拝に訪れています。

創建から320周年を迎え、50年前には戦火に巻き込まれた後に神様が心を落ち着かせられる場所として現在の呉羽山に社殿の場所を移しました。富山藩二代目藩主であった前田正甫(まえだまさとし)公によって創建され、現在も前田家や富山藩士の子孫の方々から崇敬を集め、神社再建にも尽力をいただきました。

富山県ならではの高純度のアルミでできた金銀の狐や、県内では貴重な朱塗りの社殿など、訪れるほどに魅力に出会える素敵な神社様です。また現在の社殿はコンクリート造であり、内部も広々とした空間で参拝に訪れた方がゆっくりとした時間を過ごせる場所となっています。富山市が整備に注力する呉羽山で、50年この町を見守ってきた温かい神社です。

【豊栄稲荷神社 特別インタビュー】

境内(夏)

富山藩二代目藩主・前田正甫によって創建された豊栄稲荷神社。明治になると藩は姿を消し神社は廃れ、太平洋戦争の戦火により社殿を焼失し、神社としての原型を失ってしまった時期もありました。それでも、地域の有力者の皆さんの手により美しい姿を蘇らせ、呉羽山で50年の月日を見守ってきました。

創建から320年、そして現在の場所に移ってから50年という時間の間に、この神社でどんなことが行われてきたのか、その歴史や背景、そして現在の神社としての思いをお聞かせいただきました。

製薬の地・富山で320年。藩士の子孫からも愛される神社。

編集部

本日は富山県富山市に鎮座されている豊栄稲荷神社様へのインタビューです。本日はご夫婦でインタビューにお答えいただけるとのことですが、お2人で管理されているのでしょうか。

ご主人様

私たちも携わっていますが、宮司と禰宜を務めているのは妻の両親で、広報関連などは私たちで対応しています。

編集部

ご家族で管理運営されている神社様なんですね。富山市は全国的にも有名な都市ですが、どんな町だと思われますか。

ご主人様

富山市は今年ニューヨークタイムズで「2025年に行くべき52か所」というものに選ばれた町です。大きな都市ではありませんが、非常にコンパクトにまとまった住みやすく観光もしやすい町だと思います。必要なものは揃っていますし、食べ物もおいしく良い町です。

編集部

富山は北陸地方であり、北陸と言うとやはり雪がすごいイメージですが冬場は大変でしょうか。

奥様

夫は結婚して九州からこちらへ移り住んだのですが、やはり大変だと言っています。神社では『古事記を読む会』などの勉強会も定期的に行っているのですが、冬場は雪の影響で神社に入れない事もありますので、皆さんに来ていただけるかどうかを判断する必要もあります。

境内(冬)
ご主人様

私は九州出身なので、雪が降れば水をかければ溶けるのではと思っていたのですが、甘い考えでした(笑)。

奥様

自宅は神社よりも低い富山市街地にあるのでそこでの暮らしはそこまで大変ではないのですが、神社に入ろうとすると大変です(笑)。まず車を置く場所から除雪して作る必要がありますし、過去に大雪が降った年は3日間ほど神社に辿り着けない時もありました(笑)。大変ですが、北陸の神社は皆さんどこも同じだと思います。

編集部

ご主人様は雪のない所から豪雪地帯への移住ということですから、苦労もあられたと思いますが、ご家族と協力して神社を守られていること、素敵ですね。では、こちらの神社の歴史や由来についてお聞きします。創建の時期は分かっているのでしょうか。

ご主人様

1704年、江戸時代の頃です。ちょうど昨年は創建から320周年で、現在の場所に神社が遷座してから50周年、奉賛会が再結成されてから10年と記念が重なる年でした。能登半島地震の影響で一年遅れとなりましたが、2025年に記念大祭を斎行させていただきました。この神社は富山藩二代目藩主の前田正甫(まえだまさとし)公によって建てられました。彼は富山で薬売りを始めた人物と考えられ、薬に限らずこの町で諸産業を盛んにしていきたいという願いを込めて建立されました。この町だけではなく富山全体が薬業と縁の深い地域で、現在も全国的に有名な製薬会社の本社などがあります。

編集部

そういった町なんですね!お話を聞いてネットでも調べてみましたが、おっしゃるとおり全国的に有名な製薬会社が名を連ねていますね!富山と薬に深い縁があったとは知りませんでした。「豊栄」という名前の由来は分かっているのでしょうか。

ご主人様

言葉の由来は分からないのですが、実はこの「豊栄」が神社名に付いたのは現在の場所に遷座した50年前なんです。同じ地域に稲荷神社もいくつかあったことから他社と区別するために「豊栄」と付けられたと聞いています。

編集部

そうなんですね!ご祭神についてもお聞きできますか。

奥様

ご祭神は稲荷大神として知られる四柱の神様、少彦名神をはじめとする薬祖神、そして成就天満宮として知られる菅原道真公など、複数の神様をお祀りしています。

ご主人様

当社は富山藩前田家が建立した神社ですが、先ほどお話したような経緯で、地域の氏子が居ない神社です。その地域の神社というよりは崇敬者の方にとって重要な神社というイメージです。富山藩がスポンサーとなっていた神社ですが、明治時代になると富山藩が無くなってしまいます。そして追い打ちをかけるように第二次世界大戦の空襲で社殿が燃えてしまうんです。その後は小さな祠のような神社でしたが、50年前にもう一度この神社を盛り上げようという動きが富山の経済界で起こりました。富山藩を支えていた藩士の子孫の方々には起業されている方も多く、そういった方々が中心となり、富山の産業の基盤は薬業であるとの思いから、この神社を昔の姿に甦らせようとご尽力くださりました。

編集部

50年前にこちらに遷座されたということですが、創建当時はどの辺りに建てられていたのでしょうか。

ご主人様

当時は富山の中心部とも言える、富山城の南にあった千石蔵という富山藩の米蔵のそばに建立されていました。ですが、空襲で焼け落ちてしまったため、神様が落ち着いていられる場所に再建をということで現在の呉羽山に遷座しました。呉羽山は、富山県を東西に分ける呉羽丘陵という南北に長い丘陵の一部となっており、町の中心地にもほど近く、アクセスも良好な所です。

富山“ならでは”の狐と、富山では“珍しい”社殿。

編集部

では、こちらの神社の魅力や特徴についてお聞きできますか。

ご主人様

富山県はアルミの生産が有名なのですが、当社の社殿の中にはアルミを鋳造して作られた金と銀の2対の狐がいます。有名な彫刻家の方に作っていただいたもので、金の狐は鍵を咥えた姿でこれは経済活動を表しています。銀の狐は巻物を咥えており、こちらは文化活動の発展を意味しています。狐自体は多くの神社にありますが、アルミで作られているという点が富山ならではの珍しい点だと思います。

アルミ製の金銀の狐
編集部

確かにアルミ製の狐というのは聞いたことがないですね!

ご主人様

他には、当社の社殿は富山では珍しく朱塗りの赤い社殿です。この朱色が山の緑の中に良く映えており、とても美しい光景です。

拝殿内部
編集部

稲荷神社と聞くと朱塗りの社殿が一般的だと思いますが、富山では珍しいんですね!

ご主人様

そうなんです。富山では稲荷神社でも黒っぽい社殿の神社が多いのが他の地域とは違う点です。

編集部

なぜ富山ではそういった違いがあるのかご存知でしょうか。

ご主人様

これはあくまで私の想像ですが、富山で一番多いのは天照大御神をお祀りしている神社です。天照大御神をお祀りすると伊勢神宮に似せて社殿を作る場合が多く、神明造という造りの神社が多いです。そういった所以から黒っぽい社殿になる場合が多いのではないかと思ったりもしますが、単純に落ち着いた配色を好む県民性ということなのかもしれません。

編集部

なるほど。明確なことは分かりませんが、可能性としては考えられますね。

ご主人様

社殿の造りは入母屋造で、所々に前田家の家紋が飾られています。現在の社殿はコンクリート造で、内部もできるだけ広めに設計していただきました。少し頑張れば100人ほどは入れる広さだと思います。

奥様

参拝者の中には御朱印を求めて来られる方もいらっしゃいます。また、最近富山市が呉羽山を「呉羽丘陵フットパス」というハイキングコースとして認知していただこうと頑張っていて、ハイカーの方が立ち寄られることもあります。

呉羽丘陵フットパスハイキングコース
編集部

自治体を挙げて地域活性化のための取り組みもされているんですね。地図を拝見する限り、ファミリーパークなどのレジャー施設もあるようで、家族で訪れても楽しめそうなエリアですね!

奥様

現在は神社の南側に呉羽丘陵フットパス連絡橋という橋が架かり、絶景を楽しみながら呉羽丘陵を散策できるようになっています。かつての呉羽山は子どもにとっては少し危険なイメージもあった場所でしたが、少しずつ整備されてきているので、だんだんと人が集まる場所になってきています。また、神社から200m北側にも展望台があり、富山市と立山連峰を一望できるので、とても壮観な景色をご覧になれます。

奥様

さらに呉羽山を下る方向に300mほど進むと、富山市民俗民芸村という、美術館や民族資料館、売薬資料館などが集積した施設もあり、観光目的で来られても十分満足いただけると思います。

編集部

地方の町はどこも人口減少の問題もあり大変だと思いますが、とても素敵な観光資源もありますし、ぜひどんなきっかけでもいいので一度足を運んでみてほしいですね。こちらへのアクセスは車で来られる方が多いのでしょうか。

ご主人様

基本的には車で来られる方が多いのですが、富山駅からバスで来ていただき「呉羽山公園」というバス停で下車し、徒歩10分ほどで来ていただくこともできます。

編集部

富山駅は大きな駅ですし、そこからバスで向かえるのは観光客の方にとっても便利ですね!

奥様

駅からもとても離れているという訳ではないので、健脚な方であれば徒歩で来ていただくことも可能かと思いますが、バスが便利なのでぜひご利用いただければと思います。

日本の伝統を神社から後世へ。前田家の子孫とも交流が続く神社。

記念大祭
編集部

では、地域の方と神社様との交流についてはいかがでしょうか。

ご主人様

地域の方と交わりながら行う当社ならではのお祭りとしては、1月7日に行っている七草健康祈願祭があります。いわゆる七草粥を地域の方々に食べていただくお祭りなのですが、七草の歌を参加者の皆さんに合唱していただき、歌いながら神主が野菜を切っていきます。そして、その切った野菜で作ったお粥をその場で皆さんに振舞うという行事です。この行事は、宮司家で江戸時代から伝えてきた伝統行事でしたが、薬祖神の神前で皆様の健康を祈る神事として、25年ほど前から神社でこのお祭りを行っています。現在神社で行っているお祭りの中では、最も人が集まる行事です。

編集部

とても素敵ですね!今は七草粥を作るというご家庭も少なくなってきていると思いますし、そうすると子どもたちにはそういった伝統が伝わりませんから、神社で体験ができるのはとても素晴らしいです!

奥様

来られた方の中には、初めて食べたという方もいらっしゃいます。神社でこういった体験をしていただき、日本の伝統を少しでも味わっていただきたいです。

ご主人様

また、春・秋の大祭も賑やかに行っています。この春に行われた記念祭は普段からお世話になっている方や元藩士の子孫の方々などに来ていただきました。その中には神社を創建された富山藩主前田家の御子孫も、東京からわざわざお越しいただきました。

秋季例大祭
編集部

お殿様と藩士の子孫の方々が一堂に会する場面だったんですね!とても貴重な会ですね。

奥様

本当に貴重な場面に立ち会わせていただきました。皆さんやはりご先祖様に誇りを持たれている方も多く、堂々とした立ち振る舞いが印象的でした。

【神社にまつわるエピソード】

“富山売薬の地”の発祥ともされる、正甫の伝説。

かつて、神社の創建者である前田正甫公が江戸城に登城した際、大名の一人が腹痛を訴えたところ、正甫公が持っていた富山の薬で治癒したという逸話が残っています。その様子を他の大名たちが見て、自分の所にも薬を売りに来てほしいと話題になり、その影響で富山の売薬が発展していったという話があります。

元々富山藩は加賀藩より10万石を分けてもらい新しく作られた藩でした。当初富山藩は稲作を中心とした農業中心の地域でしたが、藩の財政と領民の暮らしの安定を願って、2代藩主自ら「薬」に着目し、自分たちで産業を興そうという気持ちで、売薬などに注力していったという経緯があります。自分たちの力でこの地で産業を盛り上げようと努めた、努力家が多い地域だったのです。

今後の展望

神社へ参拝いただく方には「良い神社ですね」と声を掛けていただくことも多くなりました。この先も訪れた人々が心を落ち着かせてホッとできるような神社でありたいと願っています。また、かつては春のお祭りで大名行列が行われとても賑わいを見せていた時代があり、当時から残る衣装などを利用してそういったイベントをもう一度復興させたいと考えています。

地方都市はこの先、どんどん人が減っていき神社自体の数も減少してくるでしょう。ですが、富山市では地域を活性化させるための政策やイベントなどにも力を入れ、呉羽山をはじめとするこの地域を観光地として発展させていこうと尽力しています。豊栄稲荷神社もその一助となるような活動ができればと思っています。

インタビューまとめ

日本の都市はその多くが今後の人口減少を危惧し、今ある神社や歴史的施設をどう守っていくかを考える必要があります。富山市もまた例外ではありませんが、未来を憂うだけではなく今ある素晴らしい自然や北陸ならではの絶品料理などをPRし、全国から人々が訪れる地域として更に発展しようと尽力しています。そしてこの豊栄稲荷神社もまた、富山市の発展の一助となることを目指し、崇敬者の皆様が造られた社殿を守り続けようとされています。

2024年1月1日に発生した能登半島地震の際には、多くの方が津波から逃れるため呉羽山へと向かい、神社で夜を過ごされた方もいらっしゃり、この場所が災害時に人々の拠り所となる場所だということを改めて認識されたそうです。冬の厳しさにも災害にも負けることなく富山の町を見守り続けるこの神社は、今後富山市が観光地としてさらに発展してもその姿を変えることなく地域の人々にとって心落ち着かせられる場所であり続けるでしょう。

豊栄稲荷神社

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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