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鷲原八幡宮 日本最古の馬場を有する、県外からの学生にも愛される神社。

神社外観

国内で人口減少が進むなか、鷲原八幡宮が鎮座する島根県津和野町では、地域の高校が県外からの生徒を受け入れる制度が整っています。そのため、神社の祭礼では県外から訪れた生徒たちも地域の一員として活躍し、若い力で行事を大いに盛り上げています。

社殿の造りは特徴的なもので、楼門~本殿に至るまで一軸上に置かれ、本殿の屋根は杮(こけら)葺きという珍しいものです。その社殿は現在、約650年ぶりに改修工事が行われており、令和12年頃に完成を予定しています。

広大な境内は公園としても利用され、四季折々の美しい植栽を見ることができます。さまざまな魅力を携えるこの神社の魅力を、神職様に詳しくお伺いしました。

目次

鷲原八幡宮とは

拝殿

今から約650年前、鎌倉の鶴岡八幡宮より勧請され創建となった鷲原八幡宮。創建当初から現在と同じ場所で鎮座し続け、歴代の津和野城主からのあつい崇敬を集める神社となりました。

秋のお祭りでは「津和野の火神輿」と呼ばれる、独特の神事が行われ、地域の人々だけでなく県外から見に来られる方も多くいます。いずれの神事でも地域の若い人々の力が活躍し、伝統的な行事を後世に伝える役割を担っています。

地方の神社ではありますが、神職の皆さまは神社の魅力を発信しようと、できることに懸命に尽力されています。インスタグラムでは日本語だけでなく英語表記も合わせて記載し、インバウンドの方へ向けたPRも行うなど、自分たちにできる努力を欠かさない神社です。

【鷲原八幡宮 特別インタビュー】

御朱印

かつて津和野城があった城山の麓に位置し、神社の前には津和野川という川が流れる、自然豊かな周辺環境。広大な境内は公園としても利用され、周辺地域の人々はもちろん、神社を参拝した方が心を静められる場所となっています。

「田舎の神社だからできることは限られている」と考えるのではなく、「自分たちにできることに尽力する」という思いで、時代に合った発信を続けられています。人口約6000人の町で、この先もずっと変わらない姿を留めていきたいと考える神社です。

約650年ぶりに社殿を改修。見どころは、日本最古の馬場と広大な境内。

流鏑馬神事
編集部

本日は島根県津和野町に御鎮座の鷲原八幡宮様にお話をお伺いします。

神職様

よろしくお願いします。当社は、「山陰の小京都」として知られる島根県津和野町に鎮座しています。白壁の町並みが広がる城下町の一角、津和野城跡の麓に広がる鎮守の杜の中にあり、四季折々の自然と歴史が調和する神社です。約900年にわたり地域を見守り続け、今も多くの方々に親しまれています。

編集部

では、こちらの神社のご由緒からお聞きできますか。

神職様

当社は、初代津和野城主であった吉見頼行公が、鎌倉の鶴岡八幡宮より勧請した神社です。嘉慶元年(1387)、三代城主直頼公の時代に現在の場所に社殿が建てられました。現在の社殿は、永禄11年(1568)、十一代城主・吉見正頼公の時代に再建されたものです。津和野城の守護神として歴代城主からの崇敬を集めた神社です。神社境内にある摂社や末社はその場所が遷座したこともありますが、鷲原八幡宮の社殿は創建当時から場所を変えていません。現在拝殿、本殿共に約650年ぶりに改修工事を行っていますので、残念ながら社殿の姿を見ることはできない状態です。

編集部

では、こちらの神社の見どころをお聞かせください。

神職様

まずは、境内に残る流鏑馬馬場です。当社の馬場は日本最古とされ、全長約250mあります。鎌倉の鶴岡八幡宮の馬場を模して造られたもので、鎌倉時代の馬場の原型を今に伝える大変貴重な遺構として、島根県指定史跡にも指定されています。毎年4月の第一日曜日には春季例大祭が斎行され、その神事の中で流鏑馬が奉納されます。県内外はもちろん、海外からも多くの方が訪れる当社を代表する神事であり、満開の桜や桜吹雪の中を馬が駆け抜ける光景は、鷲原八幡宮ならではの美しい春の風景となっています。

編集部

それは見応えがありそうですね。流鏑馬で活躍する馬は地域の馬なのでしょうか。

神職様

現在は、毎年九州から馬をお借りすることが多く、流鏑馬神事に奉仕していただいています。昔は地域の農耕馬が流鏑馬に参加していましたが、時代とともに農耕馬が少なくなり、現在では競走馬を引退した馬が活躍するようになりました。そのため、昔に比べて走る速度も速くなり、より迫力のある流鏑馬をご覧いただけます。また、流鏑馬は小笠原流の射手の方々に奉仕していただいています。射手と馬が初めて顔を合わせるのは、お祭り前日の稽古の日です。そこから神事当日までの限られた時間の中で互いに信頼関係を築き、一体となって神事に臨みます。その息の合った姿も、流鏑馬の大きな見どころの一つです。

編集部

馬と人とのコミュニケーションは流鏑馬においてとても大切ですよね。境内は鷲原公園としても利用されていると拝見しました。

神職様

はい。実は、「公園」という名称が初めて用いられた場所とも言われています。非常に広い境内で春にはサクラやツツジがとても美しく咲き誇ります。地域の方の散歩コースにもなっていますし、憩いの場となっていると思います。人口自体は多くない地域ですが、観光地ですので土日には観光客の方をお見掛けすることも多いです。また、社殿の裏山には、樹齢約千年の大杉があり、こちらも見応えがあるものです。

編集部

お写真で拝見しましたが、確かにとても大きいですね。周りの木よりもひと際存在感があります。

地域の学生も積極的に協力。伝統的な「津和野の火神輿」を継承。

編集部

では、神社の建築部分において特徴的な部分はありますか。

神職様

本殿と拝殿はともに国の重要文化財に指定されており、室町時代の建築様式を今に伝える大変貴重な社殿です。また、本殿の造りにも特徴があります。一般的な神社では、本殿の屋根がそのまま外から見えますが、当社の本殿はその上からさらに「覆い屋根」がかけられています。これは本殿を雨や風、雪などから守り、建物をできるだけ長く良い状態で保存するための工夫です。約650年もの間、社殿が受け継がれてきた理由の一つでもあります。

編集部

確かに屋根が覆われていますね。ほかの神社ではあまりお見かけしない造りです。現在改修工事中ということでしたが、工事はいつ頃まで続く予定なのでしょうか。

改修中の屋根
神職様

また、本殿の屋根は「杮葺(こけらぶき)」という伝統的な工法で造られています。薄く加工した木の板を何枚も重ねて葺く工法で、軽量で美しく、古くから神社やお寺、宮殿など格式の高い建築に用いられてきました。京都の金閣寺や京都御所などにも採用されている由緒ある工法で、当社の社殿もその伝統を受け継いでいます。

編集部

社会的にとても重要な建築物に使われているんですね。

神職様

もう一つの特徴は、楼門から拝殿、本殿までが一直線に配置されていることです。また、楼門と拝殿の間には池があり、その池に架かる「潔斎橋(けっさいばし)」を渡って拝殿へ向かいます。この橋には、身を清めて神前へ進むという意味が込められています。神社では鳥居の内側に橋が設けられている例もありますが、楼門と拝殿の間に橋があり、その橋を渡って神前へ向かうという造りは、当社ならではの特徴の一つだと思っています。

鳥居と本殿
編集部

確かに橋を渡って神社に入るという形は珍しいですね。この神社ならではの造りですね。では、神社の行事で地域の方と共に行われているものはありますか。

神職様

流鏑馬神事は、地域の流鏑馬保存会の皆さんの協力があってこそ受け継がれている神事です。馬場の整備や運営など、さまざまな場面で支えていただいており、地域の皆さんの力なくして流鏑馬神事は成り立ちません。地域では高齢化が進んでいますが、ありがたいことに地元、津和野高校の生徒の皆さんも毎年多く参加してくださっています。地域の方々と若い世代が一緒になって神事を支え、伝統を未来へつないでいることは、とても心強く感じています。

流鏑馬神事
編集部

地元の高校生が協力してくれるのは嬉しいですね!若い力が入ると活気が出ますね。

神職様

実は、津和野高校の学生は全校生徒の3分の1が県外からの入学者なんです。

編集部

そうなんですか!3分の1という数字はすごいですね。

神職様

実は、津和野高校では「地域みらい留学」の制度を活用して全国から生徒を受け入れており、全校生徒の約3分の1が県外から入学しています。親元を離れ、寮で生活する生徒たちは、高校生活の中で地域の方々との交流やお祭りにも積極的に参加してくれています。神社の行事を通して地域の人々と顔なじみになり、卒業した後も「お祭りだけは参加したい」と津和野へ帰って来てくれる卒業生もいます。地域の伝統を守るということは、地元の人だけで担うものではありません。津和野を好きになってくれた若い世代が地域の一員として関わってくれることは、とても心強く、これからの地域にとって大きな力になっていると感じています。

お祭り
編集部

それは地域にとってとても明るいニュースですね。自分の出身地ではないのに、お祭りに対してそれだけ愛着を持てるというのは素晴らしいことだと思います。

神職様

また、当社では境内社の天満宮に菅原道真公をお祀りしており、秋には天満宮の例祭を斎行しています。その神事では、「津和野の火神輿」と呼ばれる、神輿が燃え盛る炎の中を駆け抜けます。火には穢れや災いを祓う力があるとされており、無病息災や厄除けを願う、津和野ならではの勇壮な神事です。

津和野の火神輿
編集部

お写真を拝見していますが、本当に火の中に入っているんですね!これは熱くないのでしょうか…。

神職様

実は、私自身はまだ火神輿を担いで火の中を駆け抜けたことはないのですが、経験者によると、見た目ほど熱さは感じないそうです。火神輿は地域の氏子の皆さんによって担がれ、町内を巡行します。各所で地域の方々の温かなおもてなしを受けながら神事が進められ、地域全体で神様をお迎えする、秋祭りに欠かせない伝統行事となっています。

今後の展望

まずは、現在進められている約650年ぶりとなる社殿の大改修を無事に終えること。それが私たちの第一の目標です。しかし、これは決してゴールではありません。ここから新しい時代へ歩み出すためのスタートラインだと考えています。「地方だからできない。」私は、その言葉を理由にはしたくありません。この土地だからこそできることを積み重ね、この場所ならではの魅力を未来へつないでいきたいと考えています。

一方で、伝統を守り、次の世代へ受け継いでいくことは決して容易ではありません。時代とともに人の暮らしや地域の姿は変化していきます。だからこそ、変えてはならない本質は守り抜きながら、新しい時代の良いものは柔軟に取り入れ、伝統を時代に合った形でつないでいきたいと考えています。

その一つが、Instagramや海外の方々へ向けた英語での情報発信です。SNSを通して世界とつながり、この静かな境内の空気や桜吹雪の中を駆け抜ける流鏑馬の迫力など、鷲原八幡宮ならではの魅力を国内外へ届け、新たなご縁を育んでいきたいと思っています。神社を守り続けてくださった氏子の皆さまの想いと、新たにこの町に集う若い世代の力。その両方を大切にしながら、この地に息づく歴史と文化を守り、次の100年、200年へと続く新たな歴史を津和野の地で刻んでまいります。

インタビューまとめ

津和野町は人口約6000人の町ですが、そこには多くの伝統文化が残り、今も地域の人々の手によって受け継がれています。この鷲原八幡宮もその1つであり、神職の皆さまと地域の人々の尽力により今日まで受け継がれてきました。お話をお聞きした神職様は、昨年地元であるこちらへ戻って来られ、それまで行われていなかったSNSでの発信など、現代の時代に合った広報活動を始められたそうです。

「守るべき伝統を守りながら、地域外の人々にも神社の魅力を知ってほしい」という思いは、きっとここから先神社を維持するためにも必要なものだと思います。地元の人々と、神社職員の皆さまの思いが詰まった神社ですので、ぜひ島根観光の際には津和野町へも足を運んでみてくださいね。

鷲原八幡宮

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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