東京・日本橋と言えば、江戸時代から続く日本の商業や金融の中心地と言える町です。その日本橋の中にあって、現在も実にさまざまな業種の商店が軒を連ねる人形町。数々の作品の舞台ともなった町で、その活気は訪れる人々にも伝わっています。
そんな人形町で400年以上の時を刻んできた末廣神社。過去の社殿改修工事の際に見つかった「扇」からその名が付いたという、とても縁起の良い神社です。
江戸時代の旧吉原が存在したすぐ近くに鎮座し、現在も当時の賑やかさを絶やすことなく、多くの人々で賑わっています。インバウンドの影響も著しく、神社だけでなく人形町という“町”そのものを楽しめるエリアです。そんな活気あふれる町に鎮座するこの神社の見どころをお伺いしました。
末廣神社とは

文献で確認できる限りで430年の歴史を誇る末廣神社。旧吉原が大火によりその姿を焼失し、浅草へ移転した後も、4つの町の氏神として人々からあつい信仰を集め、現在に至るまでその信仰は途絶えていません。
日本橋七福神めぐりはもちろん、3月に行われる初午めぐりのコースにもなっており、年間を通して大勢の参拝者がその御利益を受けています。また、神社の伝統的な行事が受け継がれていることはもちろん、子どもたちの交流を図る行事や、コロナ禍でも続けた大祓い、お酒好きな方にも嬉しい行事など、実に多くの特色を持つ神社でもあります。
【末廣神社 特別インタビュー】
江戸時代の商業と娯楽の中心地であった日本橋。特に吉原は江戸の娯楽がすべてそこに集まっていると言っても過言ではないほど、さまざまな文化が親しまれていました。そんな吉原が存在したエリアのすぐそばだからこそ、活気に満ちた時代を見続け、現在も人の流れが絶えることなく、神社に活気を与えているのだと思います。
人形町という特殊な町の神社だからこその魅力と、この町全体の楽しみ方についても語っていただきました。
旧吉原エリアの氏神として発展。人形町の歴史を見続けて430年。
編集部本日インタビューするのは、都内中央区人形町に鎮座されている末廣神社様です。人形町と言えば、全国的にも有名なエリアですね。さまざまな業種のお店が集まり、いつも賑わっているイメージです。



おっしゃるとおり、人形町には多くのお店があり最近では観光客の方も多くいらっしゃる賑やかな場所です。周辺にはホテルも増え、インバウンドの方も多く見かけるようになりました。



とても活気のある町なんですね。では、まずこちらの神社のご由緒からお聞かせください。



歴代の宮司が残している文献記録には1596年に初めて登場しています。おそらくそれよりも以前にお社はあったと思いますが、記録で確認できるのはその年になりますので、430年の歴史がある神社です。元和元年(1615年)徳川家康公の命で、江戸時代に活躍した僧である「山本院實行」という人物を駿河国(現在の静岡県)から江戸に呼び寄せ、末廣神社に奉仕させました。その後、元和3年(1617年)には、当時未開拓の地であった神社周辺地を開拓し、これが有名な遊郭である「葭原(吉原)」となりました。町の発展と共に地域の人々は、当社を鎮守として信仰するようになりました。



当時の吉原とも近い位置関係にあったんですね。



明暦2年(1656年)には、江戸市街地拡張のため、江戸幕府は吉原の移転を計画しました。ところが、翌年「明暦の大火」により吉原は失われてしまいます。その後、吉原は現在の浅草へ移り「新吉原」として開かれました。吉原が移転した後も当社への崇敬は変わらず、吉原の跡地であった難波町・住吉町・高砂町・新和泉町の4つの町の氏神として信仰を集めました。現在の社殿は昭和22年に再建されたもので、80年近く前の建物です。



詳しくご説明いただきありがとうございます。旧吉原だった場所の近くに鎮座されているんですね。



江戸はご存じのとおり、徳川家康によって作られた町ですが、本来江戸は商業地であり、家康配下の武家屋敷も多く存在した地域でした。ですが、この人形町だけは少し特別で、その理由がここに初めて吉原という遊郭ができたからなんです。江戸は広い町でしたが、人々が娯楽に興じて楽しめる場所を作った、その発祥の地がこの人形町なんです。



町の歴史についても詳しくありがとうございます。吉原は、当時の江戸の人々にとって、単なる遊びの場ではなく、日常の憂さを晴らし新しい気分で明日を迎えるために必要な場所だったのかもしれませんね。



吉原は遊郭ですから、さまざまな方をお呼びしておもてなしをする場所でした。2025年の大河ドラマ『べらぼう』でも描かれていたように遊女と遊ぶことがメインのイメージは強いと思いますが、実は旧吉原はもう少し格式が高かったと言われています。どちらかと言うと、お座敷遊びが多く、来られる方も武家の方が多かったそうで、この近辺にはそういった記録も残されています。もちろん、綺麗な女性がおもてなしをしてくれる場所でもありましたが、それだけではなく楽しい芸や遊びを教えてくれる、いわゆる芸人さんのような男性もいたりと、ここへ来れば日常の大変さを忘れてしまうほど楽しい場所でした。



ただ楽しい場所、というよりも人々の日常になくてはならない存在に近かったのかもしれませんね。



そういった場所でしたから、次第に人が増え経済が活性化してきます。当時、「江戸には1日3000両が落ちる」と言われていました。3000両は現在の価値に換算すると約7000万円~1億円と言われています。



それは凄い金額ですね!



経済の中心となるのは大きく分けて2つで、その1つが歌舞伎座でした。3つの歌舞伎座があり、1つは中村座、そして残り2つは人形町にありました。そしてもう1つが吉原です。いずれも日本橋エリアで、やはり経済の流通の始まりは日本橋が老舗と言えるのではないかと思います。現在も男女問わずさまざまなアイドルの方がいますが、当時のアイドルは男性なら歌舞伎のスター男優、女性なら吉原の遊女だったのだと思います。当時からスターの顔や姿を絵に描いていたのは、それが人々の心の支えになっていたからだと思います。「こんな人が旦那さんだったらいいな」「この人がお嫁さんになってくれたらな」というように、今の「推し活」と同じ気持ちで応援されていたのかもしれません。



時代とその応援スタイルが変わっただけで、根本的な心持ちというのは時代が変わっても変わらないのかもしれませんね。



そう思います。江戸は「三代続いて初めて江戸っ子」という言葉もあるように、江戸で商売を続けるということは本当に大変だったのだと思います。その中でも、日本橋で暖簾を名乗るというのは相当な努力が必要であり、そこで事業を続けられることこそが何よりの信用だったのだと思います。



やはり何をするにも信用が大切ですね。『べらぼう』でも蔦重が日本橋へ進出することはとても大義であるというように描かれていました。やはり日本橋というのは日本の流通経済の始まりの地でもあるんですね。



なかなか知る機会はありませんが、昔の江戸の人々から学べることもたくさんあります。ぜひ、当社へお越しの際にはそういった時代背景も少し知って来ていただけると、より神社とエリア巡りを楽しめると思います。
有名な「めぐり」のコースとなる神社。貴重な、江戸時代の火消しの石碑も現存。



では、神社の見どころや特徴についてお聞きできますか。



当社は決して大規模なお社ではありませんが、さまざまな「巡り」で巡っていただける神社です。たとえば日本橋七福神めぐりや、3月の初午めぐりなどで巡る神社の1つになっていますので、そういった機会を利用して参拝される方もいらっしゃいます。また、巡りのコースにはほかの神社やお店なども入っていますので、1つの神社だけを見るのではなく、地域全体を巡っていただくイメージです。飲食店もあれば、ショッピングを楽しめるお店もありますので、1日楽しんでいただけます。



町全体が魅力的ですから、神社だけではなくほかのお店を巡るのも楽しそうですね。御祭神はお稲荷様と毘沙門様でしょうか。



はい。主祭神はお稲荷様として知られている宇賀之美多麻命(ウカノミタマノミコト)をお祀りしています。ほかに、七福神として毘沙門天をお祀りし、大国主命、少彦名命、須佐之男命、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)をお祀りしています。





境内には、「養母世(ようぼせ)稲荷」というお稲荷様もいらっしゃるようですが、こちらはどういった神様でしょうか。



養母世稲荷様は、江戸時代の助産師だった方です。現代でもそうですが、親が働いていると子どもを家で見ることができないので、預け先が必要ですよね。ですが、当時は現代のように保育園などはないため、この方は親が働いている間子どもを預かったり、親を失った身寄りのない子どもを育てるなど、とても徳の高い行いをされた方でした。そういった方でしたので、亡くなった後に周囲の方が『養母世』と名付けてお稲荷様としてお祀りをし、現在でも大切にお守りしております。





とても徳の高い女性だったんですね。現代でも待機児童問題が残っている地域はありますが、江戸時代にもそういった問題はあったんですね。



いつの時代も子どもを育てながら働くというのは大変だったことが分かります。



境内の様子についてもお聞きします。「は組の石碑」というものが残されているようですが、こちらはどういったものでしょうか。



江戸は火事が多いことで有名でした。そのために「火消し」と呼ばれる人々が常駐していた火消屋敷がありました。現在で言う消防署のような存在です。火消屋敷は「いろは」の組に分かれており、当社の近くは「は組」がその防災を担っていたためその「は組」の石碑が神社に奉納されているのだと思われます。火消しの石碑が神社に奉納されていること、そしてそれが現存しているというのはとても珍しく、私が知る限りではこの付近では当社だけだと思われます。



とても貴重なものなんですね。「満願成就 末廣徳の石」というのはどういったものでしょうか。



当社の境内に大きな椎の木があるのですが、その根元に徳を授けて高めるパワーがあるとされる石があります。それがこの「末廣徳の石」で、参拝後に石の上にお金を置いて願いを込めると願いが叶うと言われています。最近では、当社の近くに明治座があるため、舞台のチケットが当たりますようにと願をかけられる「推し活」をしている方も時折いらっしゃいます。



推しがいる方にとってはとても重要な石ですね!ぜひ願いを込めて参拝し、徳を授かっていただきたいですね。
子どもたちとの交流行事も実施。「すえひろがり」に関する新しい取り組みも。



では、神社での行事についてお聞きできますか。



地域の方と一緒に盛り上げている行事としては、やはり日本橋七福神めぐりが大きなものです。七福神めぐりは、本当に年間を通して日本中から来ていただきますので、とてもありがたく思います。数年前に、テレビの占い番組で当社のことを取り上げていただいたのですが、そちらが台湾で放送された時期がありました。その放送直後には台湾からの観光客の方にとてもたくさん来ていただき、驚いたほどです。現在は少し落ち着きましたが、やはりテレビの力はすごいんだなと実感しました。



SNSが情報源の主流となりつつありますが、やはりテレビもまだまだ影響力を持っていますね。



ほかには、6月と12月に行う大祓いがあります。ほかの神社で行われているのと同様、当社でも茅の輪くぐりを実施しています。白い人形にご自分の名前を書き、息を吹きかけて自分の身代わりになってもらい、その人形で体の悪い部分をさするとお清めされるというものです。この行事は、コロナ禍の頃に息を吹きかけるという点がNGとなり取りやめた神社が多かったのですが、当社はそういった時期だからこそ、しっかりとやらなければならないと考え継続しました。するとやはり、コロナ禍で不安な気持ちをお持ちの方が大勢いらっしゃり、お申し込みはとても多かったんです。



本当に世界中が大変な時期でしたが、ああいった時期だったからこそ、少しでも不安な気持ちを払拭できるようなタイミングがあったことは救いだったと思います。



そう言っていただけると嬉しいです。また、当社ではペットも境内に入ることができますので、大祓いの際にはペットの人形も書いていただくことができます。現代ではペットも大切な家族ですから、ぜひペットの健康を願う意味でもご参加いただければと思います。最近では、盲導犬と一緒に参拝されたご夫婦もいらっしゃり、頻繁にご参拝いただいています。実は私も、ラジオ好きが高じて年に一度ですが、目の見えない方に向けたラジオチャリティーを行っています。募金活動などだけではなく、違う形でもハンディキャップを抱えた方を支援することができればと思い続けていることですが、そういったご縁を持てていることも嬉しく思います。



また、本年から新しい参拝の取組み「すえひろがりの日」を実施されているとお聞きしました。こちらについて詳しくお聞きできますか。



はい。本年7月19日には、天赦日・一粒万倍日・大安が重なるという非常に縁起の良い日となり、当社ではこの日に「すえひろがりの日」を実施いたしました。グラフィッカーの方々にご協力をいただき、参拝された方が神前でお祈りされた願いを、一人ひとりのための「福画」として描き、お渡しする取り組みを行いました。







「末廣」という名を持つ、この神社ならではの取組みですね!



さらに、令和8年8月8日は末広がりの「8」が重なる日であり、寅の日でもあったことから「八福招来の日」として、8つの福をテーマにした特別御朱印や「八福招来祈願紙」などをご用意いたしました。当日は、予想を上回る大変多くの方にご参拝いただき、特別御朱印をお受けになるまで、1時間30分待ちとなる場面もあるなど、大変大きな反響がございました。





確かに今年は8が3つ重なる、特別な8月8日だったんですね!「8」にちなんだ取り組みができるのも、末廣神社ならではですね。ほかに、夏休みの特別企画として、小中学生が取材した内容をラジオで発信されたという内容も拝見しました。



これは、あるラジオ局がそういった小中学生を対象とした番組を作ってくださり、その中で取材内容を発表するという企画でした。当社にも小学2年生の女の子が2人来ていただき、とても純粋で可愛らしい質問をしていただきました。たとえば「宮司さんは朝何時に起きて神社を開けるんですか?」「ずっと神社にお勤めされているんですか?」「お参りのとき、五円玉を使った方がいいですか?」というような内容で、答える側もとても楽しいものでした。



大人が考えるような内容とは全く違う内容で面白いですね!やはり子どもの純粋な心は素敵ですね。インスタグラムの投稿ではさまざまな業種の方へ取材をされたようですが、そういったことができるのも、いろいろな業種のお店が集まっている、この人形町だからこそだと思います。



そうですね。子どもたちが主役になって番組を作るというのも主体性がありましたし、こちらも元気をもらえたのでとてもいい企画だったと思います。
天赦日に続く吉日「鬼宿日」の魅力を発信。地域の情熱を感じられる2年に1度の神輿渡御も魅力。



「鬼宿日(きしゅくにち)」というものをインスタグラムの投稿で拝見しました。恥ずかしながら初めてお聞きする名称ですが、こちらはどういったものでしょうか。



鬼宿日は、鬼が自分の家から出ない日で世の中が平和なため、神社への参拝に良いとされている日です。あまりご存じない方が多いのですが、実は天赦日に続いて良いとされている日です。この鬼宿日はこの先もっと広めていきたいと思っています。



初めて知りました!天赦日は近年話題になっていますが、こちらもぜひ参拝される方に知っておいてほしいですね。



ほかに珍しい行事ですと、夏休みに実施している子ども神社体験学習があります。これは、東京都の神社庁が実施しているもので一泊二日で宿泊し、共同生活や普段とは違うコミュニティでの暮らしを体験するものです。また、夜間の参拝もOKになっているため、普段の神社とは少し違う雰囲気を味わうこともでき、貴重な体験ができるのではないかと思っています。子ども向けの行事だけでなく、大人向けのものもあり、「日本酒利き歩き」という行事も実施しました。



とても面白そうな企画ですね!



この行事は、当社氏子地域の酒屋さんの息子さんが始めたもので、日本全国の酒蔵が集まり、お酒を飲みながらおつまみを食べてこの地域を回ってもらおうという企画です。チケットを買うとおちょこが貰えるのですが、そこに一杯もらって飲みながら巡ります。時間が経つにつれてやはり皆さん出来上がってくるので、後半になるとなかなか面白い光景が見られるのもこの行事ならではです(笑)。



お酒好きな方にはたまらない企画ですね!



やはりコロナのときは実施できなかったのですが、その翌年に復活したときの盛況ぶりはすごかったです!とても行列ができていましたし、それまでの鬱憤を晴らすように皆さん楽しまれていました。やはりそうした、人が楽しんでいる姿を見られるのはとても嬉しいことだと、そのとき実感しました。



大祓いの後には、七夕まつりも実施されているのでしょうか。



はい。地域の方にもたくさんお越しいただいています。この辺りは、バブルがはじけた頃、土地を売却した人が多く一時期人が少なくなっていました。ですがその後、人口を増やそうということで、マンションがたくさん建つようになり、そこを買われる方も増え、また人口が増加しました。その頃の方たちが今も神社に親しんでいただいている方が多く、七夕まつりにはとても多くの方にお越しいただいています。小さなお子さんの純粋な願いを書いた短冊を見ると心が温かくなります。



純粋な願いがどうか叶いますようにと願わずにはいられませんね。



また、5月の例大祭のときには2年に1度お神輿が出るのですが、人によってはそのお神輿を担ぐために体を鍛えて準備される方や、お祭りの日は仕事をお休みされる方もいるほどです。その日だけは、という思いでとても情熱を傾けてくださっている方もいて、とてもありがたいです。



まさにその二年間はその日のために生きていると言っても過言ではなさそうですね!その情熱でお祭りもとても盛り上がりますね。



例大祭は観光客の方も多く見に来られますし、おっしゃるようにとても盛り上がりを見せています。外国人観光客の方にご参加いただき、法被を着てお神輿を担いでいただくこともあります。そういったコミュニケーションが気軽にできるのも、この人形町ならではだと思います。
神社名の由来は「扇」。一般公開へ向けて修繕の思いも。



では、神社にまつわる特別なエピソードはありますでしょうか。



冒頭に社殿のお話を少ししましたが、江戸時代に一度社殿を建て替えた際に扇が出たことがあるそうです。当時は、扇のことを「すえひろ」と呼んでいたため、その扇が出たことがきっかけとなり「末廣神社」という神社名になったそうです。



それは面白いエピソードですね!まさか扇が由来だったとは思いませんでした。どれくらい前のものかは分かりませんが、残っていたことがすごいですね!



本当にそうです。ただ破損がひどく、現在一般の方にはご覧いただけないようになっています。私としては、せっかく神社の名前の由来となった貴重な扇ですので、できるだけ良い形にして皆さんにお見せしたいと思っています。



いつか見られる日が来ることを願っています。
今後の展望――「8日・18日・28日は、末廣神社へ」
今後、力を入れていきたいのが、毎月8日・18日・28日を「すえひろがりの日」として、皆さんに末廣神社へお参りいただく取り組みです。「末廣」という名前には、扇のように先へ向かって広がっていく「末広がり」という、とても縁起の良い意味があります。
そこで、「8日・18日・28日。三度の『八』で、福を末広がりに。」という言葉を掲げて、毎月の参拝のきっかけを作っていきたいと考えています。8月8日に実施した「八福招来の日」の賑わいを一過性のものにせず、これからの末廣神社の新しい参拝文化として育てていきたいと思います。
今後は、8日は「福をいただく日」、18日は「福を育てる日」、28日は「福を広げる日」という三段階の物語を作っていきたいと考えています。8日に福をいただき、18日にその福を大切に育て、28日に周りの人へ福を広げていく。そんな流れを通じて、単に御朱印をいただく日ではなく、「毎月、自分の心や暮らしを見つめ直す日」として定着していけば嬉しいです。
もちろん、神社の役割は御朱印や企画だけではありません。祭礼や祈り、地域とのつながりを守ることが第一です。その上で、今の時代に神社へ足を運んでいただくための新しい入口も必要です。「8日・18日・28日、今日は末廣神社の日。」そんな認識が、まずは日本橋・人形町の皆さんに、そして将来的には全国の御朱印を愛する方や、開運を願う方々にも広がってほしいと願っています。
古いものをそのまま残すだけでは、文化は次の世代へ伝わっていきません。昔から受け継いできた「祈り」を大切にしながら、今の時代に合った形で新しい人とのご縁を生み出していく。それも、これからの神社の大切な役割の一つではないかと考えています。末廣神社が、これからも日本橋・人形町の歴史と文化を守りながら、人々の「福」が末広がりに広がっていく場所でありたいと思います。
インタビューまとめ
私自身、かつて人形町を舞台とした作品に親しんだ縁もあり、神社だけでなく人形町という町の魅力についてもお聞きすることができ、とても楽しいインタビューとなりました。
さまざまな業種・業態の店舗が集まり、中には数百年続く老舗の店舗もあります。末廣神社も400年以上、この地の人々の暮らしを守り続け、氏子区域の皆さんはもちろん、日本全国、そして海外から来られる方々にも親しまれています。
「夕暮れ参り」や「日本酒利き歩き」など、人々に楽しんでもらえるような神社独自の行事も数多く試みられています。都内を訪れた際には、ぜひ人形町へ。そして日本橋七福神めぐりで、末廣神社だけでなく多くの神社に親しんでみるのも楽しいのではないでしょうか。
末廣神社
住所:東京都中央区日本橋人形町2丁目25番20号
TEL:03-3667-4250
URL:https://suehirojinja.or.jp/









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