日本の建国の祖とされ、初代天皇として即位した神武天皇は、『古事記』『日本書紀』の記述によると、九州の宮崎県を出発して、奈良の橿原へ到達するまでに、さまざまな場所に立ち寄られています。多家神社が鎮座するこの府中町もその一つであり、神社周辺には、神武天皇ゆかりの場所が点在しています。
主祭神は前述の神武天皇と、安芸の国を開くことに尽力した神様とされる安芸津彦命(あきつひこのみこと)。日本、そして安芸の国を開いた人物と深く関わりのある神社です。また、神社には、かつての広島城内にあった神社より移築した宝蔵が残されており、県の重要文化財に指定されているとても貴重な建造物です。
日本の歴史を語る上で欠かすことのできない土地・広島県。その広島で長い歴史を紡いできた多家神社の特徴について、神社の神職様にお伺いしました。
多家神社(埃宮)とは

神武天皇が奈良へ辿り着く前、約7年という長い期間滞在されたと伝わる広島県安芸郡府中町。明確な創建時期は不明であるものの、神社の歴史を語る上で、神武天皇との関わりは切って離せないものです。
創建当初の社殿は大正時代の初期に焼失してしまいますが、かつての広島城より移築した宝蔵の中にあるお神輿は年に一度一般の方に公開され、当時の広島城の歴史を少しでも感じることができるものです。
境内から続く「えの宮公園」には、日々子どもたちの元気な声が飛び交い、地域の人々の憩いの場として利用されています。お祭りでの伝統的な神楽の奉納や、神武天皇ゆかりの八咫烏の御守り頒布など、見どころが詰まった神社です。
【多家神社 特別インタビュー】

『古事記』『日本書紀』という、日本最古の書物にも登場する地。その地に鎮座する多家神社には、「埃宮(えのみや)」という別の呼び名もあり、それぞれのご由緒が『古事記』『日本書紀』及び『延喜式』に記されています。
平安時代には、安芸の国を代表する神社の1つとして数えられ、安芸の国において欠かせない神社として親しまれてきました。神社がある現在の地は、神武天皇が滞在していた頃の歴史とも関係があり、「誰曽廼森(たれそのもり)」と呼ばれています。
春、夏、秋のお祭りや終戦80周年を記念して行われた神主様と僧侶の皆さまとの合同でのお祭りなど、貴重なお話をたくさんお聞きすることができました。
日本建国の祖・神武天皇ゆかりの地。主祭神は神武天皇と安芸の国の開祖神。

編集部本日は、広島県府中町に鎮座されている多家神社様へのインタビューです。神社名の読み方は「たけじんじゃ」でお間違いないでしょうか。



はい。当社は「たけじんじゃ」と読みます。鎮座している場所は町中ですが、神社周辺には緑が多くとても清々しい空気を感じられます。元々、50年ほど前まではほとんどが田んぼの地域だったんです。ですが、そこから住宅地が形成され、現在の町ができました。



では、こちらの神社のご由緒をお伺いできますか。



当社には「多家神社」と「埃宮(えのみや)」という2つの呼び名があります。「埃宮」は多家神社とは別のご由緒がありますが、現在同じ1つの場所にまとめられているため、2つの呼び方があるという次第です。「埃宮」のご由緒は『古事記』『日本書紀』に遡ります。2つの書物の中で、宮崎県のご出身だった神武天皇が日本平定の旅の途中、この府中の辺りにお立ち寄りになられたという記述があります。『古事記』では「多祁理宮(たけりのみや)」という名称、『日本書紀』では「埃宮」という名称で登場します。神武天皇は埃宮で7年ほど滞在されたという記述もあり、おそらく、広島県内の各地をその期間で巡っておられたのではないかと思います。その後、奈良の橿原の地にたどり着かれ、そこで日本を平定されます。現在のイメージでは、一時的な皇居がここにあったと考えると分かりやすいかと思います。その頃にはここに神社があったわけではないので、明確な創建時期は分かりませんが、そういった歴史の中で神社として創建したとされています。



非常に由緒ある歴史を持つお宮なんですね。



ホームページにも記載しているのですが、平安時代の、現代の憲法に当たる法典『延喜式』に、当社が安芸の国を代表する神社として記されています。廿日市市の速谷神社や、厳島神社とともに名神大社として記されており、当時は安芸津彦命(あきつひこのみこと)をはじめとする6柱の神様をお祀りしていました。



御祭神の安芸津彦命はどういった神様でしょうか。



広島県の西側はかつて安芸の国と呼ばれていました。安芸津彦命はその安芸の国を開いた開祖の神とされています。安芸の国一帯で国を作る中で尽力された、安芸の国の守り神のような存在です。
“誰曽廼森”に建つ稀少な立地。国内唯一「校倉造り」の宝蔵が現存。





では、この神社の特徴や見どころについてお聞きできますか。



当社の社殿が現在地に建ったのは明治の頃です。多家神社・埃宮があった元々の場所は、戦乱や焼失などの歴史もありハッキリとしていません。ですが、江戸時代にこの地域に多家神社・埃宮の系譜を継ぐ八幡宮と総社があり、その2つの神社を明治になり合祀したそうです。そして、その際に現在の場所に遷座しました。現在の神社の所在地は「誰曽廼森(たれそのもり)」とも呼ばれています。これは、神武天皇がこちらへ滞在された際、地元の人に「曽は誰そ(そはたれそ=あなたは誰ですか)」とお尋ねになったことに由来しています。そういった、当時の雰囲気を感じられる森はとても貴重で特徴的です。



神武天皇と非常に深い関係がある神社なんですね。



神社周辺には、神武天皇に関する名所もあり、神社から徒歩15分ほどの場所に、多家神社の前身である松崎八幡宮の跡地があり、そこに神武天皇が腰を掛けたと言われる腰掛岩があります。





ほかにも、神社から車で5分ほどの場所に、水分峡(みくまりきょう)と呼ばれる渓谷があり、ここでは神武天皇が水を汲まれたという伝承があります。水の神様をお祀りする水分神社も鎮座しています。







神武天皇について知りたい方にとっては、訪れる価値がより一層高まりますね。



明治の頃に遷座した際、ここで新しく社殿を作る必要がありましたが、その資材は当時のお城から譲られたものです。当時、広島城の中に「三の丸稲荷神社」という神社がありました。明治になり廃城令が下り、全国のお城が解体されたり民間へ払い下げられるようになりました。そして、三の丸稲荷神社も廃城の対象となったため、解体後の資材をどうするか、という話になりました。ちょうど同じとき、多家神社を移転して新しく社殿を建てる計画があったため、広島城の城主であった浅野長勲(あさのながこと)という方が、解体後の神社の資材を移築して使えば、無駄にせず済むのではないかということで、その資材を活用して多家神社の社殿が建てられました。その社殿は残念ながら、大正初期に焼失してしまいましたが、1つだけ蔵として使われていた宝蔵(ほうぞう)が現在も残っています。江戸時代後期に建てられたもので、中には三の丸稲荷神社で使われていたお神輿が入っています。これにより、当時の広島城の中の様子を窺い知ることができます。





宝蔵は、県の指定重要文化財に指定されているそうですね。



実はこの宝蔵は、もしもそのまま広島城に残っていたとしたら現存していないものでした。というのも、ご存知のように81年前の8月6日、広島には原子爆弾が投下され、市内一帯のあらゆる建物を焼失しました。広島城も原爆の影響を受ける範囲にありましたので、移築されていなければ焼失していたでしょう。





移築したことで難を逃れたんですね。奇跡的に現在に受け継がれている宝蔵だと言えますね。中にあるお神輿は一般の方は見ることができるのでしょうか。



年に一度、春に一般公開をしていますが、それ以外のときでもご連絡をいただきお時間を取ることができれば、ご案内することも可能かと思います。この宝蔵の特徴的な部分はその造りです。正倉院などの有名な建築物にも採用されている校倉造り(あぜくらづくり)という造りがありますが、その工法が当社の宝蔵にも使われているんです。実は、三の丸稲荷神社は当時、厳島神社に次ぐ豪華な神社だったそうで、それ故に格式の高い造りを採用されていたのだと思います。本殿や拝殿などの社殿が校倉造りで造られているのであれば納得できますが、物を収蔵しておく蔵に校倉造りが採用されているのはかなり珍しいことだと思います。通常の校倉造りに組む木材は、断面が二等辺三角形を切り落として五角形にしたものですが、この宝蔵では、四角形を加工した六角形で、おそらく全国で唯一の造りだと思われます。



特徴的な造りなんですね。三の丸稲荷神社が厳島神社に次ぐ豪華な造りだったというのも興味深いお話です。



また、境内も広く緑も多いので、夏場でも少しは涼やかさを感じていただけるかもしれません。境内から続く形で、えのみや公園という公園があり、元々は神社の裏参道でしたが現在は公園として使用しています。境内と地続きですので、子どもたちの元気な声が聞こえてくる場所です。





子どもたちが気軽に集まれる場所が近いというのは、とても良いことですね。いつも元気な声が聞こえれば、地域も活気づくと思います。



ほかに、境内には左右に一対となる形で馬の銅像があります。馬は神様の乗り物として、神社と関係が深いため、かつては本物の馬を奉納していただいていました。実は現在の馬の銅像は2代目のもので、初代のものは戦時中に接収されてしまったんです。その際、冒頭にお話したお神輿に付いていた金具も共に接収されてしまい、お神輿は所々欠損しているんです。欠損していることは残念でもありますが、「こんなところまで接収されるのか」という、当時の緊迫感を感じることができます。





我々が知ることのできない歴史も、この神社は見つめ続けてきたんですね。改めて、神社は歴史を継承する場として非常に重要な存在だと実感します。
季節ごとのお祭りも魅力。終戦80周年を記念した僧侶との合同祭祀も。





では、神社で行われている行事にはどういったものがあるのでしょうか。



大きなお祭りは、春・夏・秋のお祭りです。春季例大祭では子どもたちが中心となって、伝統的な地元の「山田十二神祇(やまだじゅうにじんぎ)」という神楽が奉納されています。これは300年以上の歴史がある伝統的なもので、現在も町内会や子ども会を中心に伝承されています。幼い頃から神楽に親しんでいる子どもも多く、この先も継承されていくことを願っています。











剣道大会も奉納されていると拝見しました。



剣道大会は府中町の剣道連盟から、地元の小中学生に参加してもらっています。









夏の大祓いでは茅の輪くぐりを行い、その年の夏を無事に過ごせるよう祈願します。





また夏の大祓いでは、屋台なども出店しますのでとても賑わいがあります。











茅の輪作りは、神社職員だけでなく地域の有志の方々にも手伝ってもらっています。秋季例大祭は土日開催ですが、土曜日は前夜祭のような感じで本番は日曜日です。こちらも多くの人出があり、地域の方だけでなく広島市内からもたくさんの方にお越しいただいています。







秋祭りでは、広島芸北神楽のほか、各町内会によるお神輿渡御や「シャギリ」と呼ばれる舞踊も奉納されます。









シャギリの様子をインスタグラムで拝見しました。留学生の方も参加されているんですね。







はい。5年ほど前からベトナムや中国からの留学生の方にも参加いただいています。地元の中高生も参加してくれるので、ピンク色の衣装と相まってとても可愛らしい姿を見ることができます。ほかには、主祭神がこの国を作った神武天皇ですので、2月11日の建国記念日に「紀元祭(建国記念祭)」を実施しています。神武天皇は、紀元前660年の2月11日、奈良の橿原において日本で初めて統一国家を築き、初代天皇として即位したとされています。2月11日が建国記念の日と定められているのは神武天皇に由来しているからなのです。







インスタグラムでは、僧侶の方と共に実施されているお祭りの様子を拝見しました。



こちらは、令和7年(2025)に終戦80周年を迎えた際に、改めて平和を祈る平和祈願祭として実施したものです。神社の神職には青年会と呼ばれる組織があり、神社青年会と真言宗の僧侶の青年会が合同で行ったものです。当社にて実施し、若い方を含め80名ほどの方に参列いただきました。神仏習合の時代を完全再現とまではいかずとも、こういった雰囲気で行われていたのではないかと、当時に思いを馳せながら行いました。



神主さんと僧侶の方が合同でというのは、とても貴重な機会でしたね。



ほかに、11月に行われる「いのこ祭」は平安時代から続く無病息災・子孫繁栄を願うお祭りです。町内会や子ども会が中心となり、地面を叩いて回ることで、地域が繁栄すると言われています。また、お祭りでは「いのこ餅」というお餅を食べながら無病息災を願います。


神武天皇と縁のある、八咫烏・金鵄をモチーフにしたオリジナルの御守りも。





御守りのページでは、八咫烏の御守りを拝見しましたが八咫烏とのご関係はどういったものでしょうか。



八咫烏は神武天皇をお導きした鳥と言われており、当社は神武天皇と関係が深いことから「導き守」として八咫烏をデザインした御守りを頒布しています。



色も鮮やかで素敵なデザインです。可愛らしい八咫烏のデザインもあり、親しみやすさを感じます。



神武天皇との関係があるという意味では、勝守(金鵄=きんし)の御守りもあります。金鵄は神武天皇の最後の戦いの際に、天皇の弓に止まり金色に輝き勝利へ導いたとされている「勝利・開運の鳥」です。皆さまにもぜひその御利益を受けていただければ嬉しいです。





ほかに、最近ではペットも家族の一員という考え方が一般的で、ペットの御守りはありますか、と聞かれることも多かったためペット守も頒布しています。



御朱印もさまざまなデザインがあるようですが、神武天皇の御朱印はとてもかっこいいですね。



こちらは、御守りをデザインしていただいている方が描いてくださったもので、御朱印を集められている方にはとても喜ばれています。参拝される方の中には、九州から奈良まで、神武天皇の足跡を辿りながら神社を巡られている方もいて、そういった方には特に思い出深いものになると思います。







そういった方がいらっしゃるんですね!建国の祖である神武天皇の足跡を辿る旅は、この国の歴史を辿る旅でもありますね。
今後の展望
現在、神社に残されている宝蔵は広島県の重要文化財に指定されていますが、歴史的な観点から見ても非常に価値のあるものだとされています。そのため、今後は学者の方の再調査なども行っていただき、国の重要文化財への指定を目指しています。ゆくゆくは国宝への指定を願っていますが、まずは国の重要文化財指定を目標にしたいと考えています。
また、当社は地域に密着したお宮ですので、地域の方々とそのお子さんたちのことを第一に考えながら、お祭りをより盛り上げていきたいと思います。神社では、月に一度縁日のようなイベントを行っていますが、今後より多くの方に来ていただけるよう、規模を広げていきたいと考えています。
インタビューまとめ
神武天皇は、九州から奈良へ到達するまで、西日本の各地に立ち寄られていますが、この府中町にも滞在されたと伝わることを今回初めて知ることができました。出発地の宮崎、到達点の奈良以外にも所縁の深い地があり、その地に建つ神社様へお話をお聞きすることは、日本平定の祖である神武天皇の足跡を辿るようで、とても興味深いものでした。
府中町の町中にありながら、周囲を緑に囲まれた穏やかな環境で、広々とした境内で心を落ち着かせながら、神様へ祈願することが叶う神社です。
多家神社
住所:〒735-0005 広島県安芸郡府中町宮の町3丁目1-13
TEL:082-282-2427(社務所受付/9:00~17:00)
FAX:082-282-5655
URL:https://www.takejinja.net/








コメント