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妙泉寺 約400年前の思いを次世代へ。子どもたちの「心」を育む寺院。

妙泉寺 本堂外観

天下分け目の戦・関ヶ原の戦いで、徳川軍が勝利を収めた西暦1600年。この年は、この妙泉寺の始まりとされる出来事が起こった年でもあります。宇喜多家の忠臣であり、法華経信者であった花房正成(はなぶさまさのり)公は、自身の屋敷から見える山へ道をつくり、山上に霊廟を建立し、妙泉寺開山のきっかけを作りました。その後、慶長10年(1605年)、自身の父の菩提を弔う目的で、現在の場所に妙泉寺を建立し、以来約400年間、同じ場所でこの地に暮らす人々を見守ってきました。

今回は、この寺院の歴史や見どころ、そして寺院としての思いを、副住職様にお伺いしました。「寺院の中で待っているだけではなく、寺院から伝えられることは、自ら足を運んで伝えたい」そう語られる副住職様の言葉には、「寺院を知ってほしい」という思いだけでなく、ご自身も地域の人々の暮らしを知りたい、そして困っている人に救いの手を差し伸べたいという思いが伝わってきました。

約400年前の花房公の思いを受け継ぐこの寺院の、これまでの歩みとこれからの展望、そして副住職様が取り組む寺院の外での活動について詳しくお届けします。

目次

妙泉寺とは

妙泉寺 境内

江戸幕府の幕開けとなった1603年から2年後の慶長10年(1605年)、妙泉寺の歴史は始まりました。花房公は、自身のお屋敷から真正面に見える山に道を開き、その山の上に寺院を建立。そこから見下ろす景色は、この寺院の財産とも呼ぶべき、素晴らしいものです。

寺院周辺には、日本らしいかつての原風景が広がり、その風景は都市部では決して出会えないものです。地域の子どもたちはこの風景の中で育ち、きっと成長して都会へ出て行った後も懐かしみ、帰省した際には「ここが自分の故郷だ」と思える場所になるでしょう。

地域の子どもたちへの「お話し会」の実施や、各行事での積極的な交流など、寺院という枠にとらわれず、伝えたいことを伝えるためにできることに精一杯取り組まれている寺院です。

【妙泉寺 特別インタビュー】

妙泉寺 境内

「子どもたちに考える力を付けてほしい」その思いが、副住職様が取り組まれている「お話し会」の根底にあるものです。普段、学校の授業だけではなかなか考えることがないテーマについて改めて考えることで、子どもたちの中にも自然と「どうして〇〇なんだろう」と、考える力が付くのではないでしょうか。

副住職様が話されることをすべて理解はできなくても、ほかではできない貴重な体験は記憶にも残りやすく、きっと知らず知らずのうちに寺院と自然に関われるようになると思います。副住職様が、なぜそこまで熱心に、子どもたちへの発信に取り組まれるのかという点についても詳しくお話を伺いました。

花房正成公の思いを継いで約400年。同じ地で見守り続ける由緒ある寺院。

妙泉寺 境内
編集部

本日は、岡山県矢掛町にある妙泉寺様へのインタビューです。まずはこちらの寺院のご由緒からお聞きできますでしょうか。

寺院はもともと、僧侶の方が教えを布教するために作った所が多いと思います。ですが、この妙泉寺はかつての武士の方が建立した寺院です。慶長5年(1600年)、宇喜多家の忠臣として知られ、備中高松城の水攻めを考案した人物でもある、花房正成(はなぶさまさのり)という人物が、毛利元清が亡くなった後に残された領地のうち、5,000石を与えられ、その土地にある横谷御土井(よこたにおどい)という場所に住居を構えました。正成公は法華経を熱心に信仰していた人物で、自身の屋敷から山へ向かって真っ直ぐな道をつくり、その山の上に先祖を遥拝するための霊廟を建立しました。それが、妙泉寺の始まりとされています。その後、慶長10年(1605年)に、父・花房正幸(はなぶさまさよし)公が亡くなった際、正成公は父の菩提を弔うため、寺院を建立し、「法悟山妙泉寺」と名付けました。歴史の長さとしては、開山以来400年以上の歴史があります。

妙泉寺 石碑
編集部

とても詳しくありがとうございます。400年というのは長い歴史ですね。

400年ほどの歴史を持つ寺院は、少ないわけではないのですが、その歴史の中でさまざまなことがあり、開山の由緒などが分からなくなってしまう寺院も多くあります。ですが、妙泉寺は開山以来ずっと同じ場所にあり続けています。今も見下ろすと花房公のお屋敷跡や城跡を見ることができ、花房公の代々のお墓もお祀りしています。

花房家代々の墓地

寺院外の活動にも注力。すべての人に開かれた取り組みも。

妙泉寺 釣鐘
編集部

では、妙泉寺の魅力や見どころはどういった点でしょうか。

1つは、花房公代々の墓地が残っているという点です。これは、当時の花房家の末裔の方々と当主の人物が、お墓を元の場所に戻そうという考えで、東京の池上本門寺からこちらへお墓を移設しました。そのお墓が現在も残っているというのは特徴の1つだと思います。これは私個人の思いですが、代々の墓地があることがいい、というわけではなく、400年前に自身の父親を供養してあげたいとお寺を創建した正成公の思いを、400年後にも窺い知ることができるという点が、魅力だと思っています。境内から見えるお屋敷跡や城跡を見て、当時の人の思いにつながることができる場所である、これがこの寺院の魅力だと思います。

編集部

インスタグラムでは「みんなのお寺」という取り組みについても拝見しました。こちらはどういった取り組みでしょうか。

みんなのお寺 チラシ

「みんなのお寺」は私が代表を務めるもう一つのお寺、矢掛教会というお寺での取り組みで、こちらは檀家制度がないお寺です。近年では、家族の形も多様化していますよね。お子さんがいても遠く離れた場所で暮らしていたり、結婚していなかったり、子どもがいないなどさまざまな形があります。これまでのように家とお寺が檀家という制度で結びついて代々つながっていくということが難しくなっていると思います。その一方で、ご葬儀や永代供養など、故人を大切に思う気持ちに変わりはありません。そういった、檀家としてつながることは難しいけれど、供養はきちんとしてあげたいという方の思いに応えるため、檀家制度をなくして、どなたでもご葬儀や法事、永代供養を受けられるという制度です。妙泉寺としての取り組みではなく、矢掛教会での取り組みということになります。

編集部

とてもありがたい制度ですね。おっしゃるように、家族の在り方は多様化しています。檀家として寺院とつながることが難しいご家庭はとても多いと思います。そのような方にとっては、ありがたいシステムだと思います。

妙泉寺自体は檀家制のお寺ですので、檀家制度を否定するわけではありません。檀家制度にも良いところはあるのですが、それだけでは受け止めきれない方がいらっしゃるのも事実です。そういった方は供養ができないということではなく、檀家制の外側で受け入れられるシステムを作っています。檀家としてつながることが難しい方に、別の選択肢を提供していきたいというのが、私の思いです。

編集部

さまざまな立場の方が臆することなく供養ができる、とても画期的な制度ですね。

近年では、そういった取り組みを始めている寺院さんも増えてきています。私としては、檀家制度自体を撤廃する、逆に檀家でなければ供養ができないということではなく、ハイブリッドな考え方で未来に向かっていきたいと思っています。

編集部

素敵なお考えですね。また、境内には宮沢賢治さんの歌碑もあると拝見しました。こちらはどういった所以から置かれているものでしょうか。

この歌碑は、現在の住職である私の母が感銘を受けて、檀家である石屋さんに作っていただいたものです。宮沢賢治さんはとても熱心な法華経の信者だったようで、法華経の教えをとても大切にされていました。ご実家は法華経ではなかったそうなのですが、法華経の教えと出会う機会があり、ご自身の信念のように思われていたそうです。歌碑に刻まれているのは「塵点(じんでん)の劫(ごう)をし過ぎていましこの妙のみ法にあひまつりしを」という詩で、意味は「とても長い期間をかけても、この素晴らしい教えに出会うことはなかなかできない。自分は不思議な縁があって、出会うことができた」という内容です。

編集部

本当に法華経の教えを大切にされていたんですね。ほかに、境内には弁財天池もあるそうですね。

はい。弁財天様は、芸事や商売、勉学などにご利益があると言われていますので、そういったご祈祷を受けたい方が訪れています。

弁財天池

ほかに、境内には大きな釣鐘もあり、これはどなたでも撞いていただくことができます。地域の子どもたちは喜んで撞いてくれています。

地域の宝は「子どもたち」。寺院へ足を運ぶきっかけ作りにも尽力。

妙泉寺に集う子どもたち
編集部

では、地域の方との関わりについてお伺いします。寺院での行事として、地域の方にご参加いただいているものはありますか。

先代の住職は私の祖父で、祖父の代の頃には子どもの「虫封じ」など、さまざまなご祈禱のニーズが非常に高かったようです。その中でも特に、「葛城大尊天(かつらぎだいそんてん)」という修験道と関わりの深い守護神に関するご祈祷が多かったそうです。現代の若い世代の方は、日常的に寺院に来る機会はあまりありません。そういった中でも、寺院に足を運んでいただければという思いで、毎年5月に葛城様のお祭りを実施しています。今年は、そのイベントにおいて、武将姿の武将隊の方々がイベントに参加するという試みを行いました。武将隊のリーダーは花房公の当時の主君でもあった宇喜多秀家公で、寺院で対談をしたり、お寺の成り立ちに絡めてトークをしたりと、これまでとは違う試みを実施しました。それによって、これまで寺院の歴史を深く知らなかった方にも、楽しみながら知っていただくことができました。小学生の子どもたちには、手裏剣を投げたり、武将の格好をしたりと、なかなか経験できないことを楽しんでもらいました。ほかに、三味線の演奏や、武将の方々とお菓子を撒いて拾うなどのイベントもあり、とても賑わいました。

編集部

とても楽しそうですね!武将の格好などは、普段体験できる所がないと思うので、子どもたちにとっては良い思い出になったと思います。

また私は、仏教の教えを伝えるうえで「お話をする」ことをとても大切にしています。ですので、地域の小学校の学童クラブなどに出向き、子どもたちにお話をする機会を設けています。そこでは難しい仏教の話をするのではなく「どうして、ご飯を食べるときに“いただきます”って言うのかな」という話や「どうしてみんなは学校に行くのかな」という、日常に近いお話をしています。

お話し会 チラシ
編集部

非常に興味深い取り組みですね!インスタグラムでも、寺院内での「お話し会」の様子が見られますね。

妙泉寺のお話し会

寺院でのお話し会は、月に一度、第一日曜日に開催しています。こちらでも同じようにテーマを決めてお話をしています。子どもたちには、これから未来へ向かって無限の可能性があります。将来どんな仕事に就いて、どこに住むのかはわかりませんが、どんな選択をしても、ふとしたときに「どうして自分はこの仕事をしているのだろう」「何のために頑張っているのだろう」「勉強は何のためにするのだろう」ということを、自分で考えられる力を付けてほしいと思っています。そういった、考えるきっかけを与えたいという思いで、この活動をしています。学校ではなかなかそういったお話をする時間を確保することは難しい面もあると思いますので、学校外で寺院としてできることを精一杯やっていきたいです。

妙泉寺に集う子どもたち
編集部

とてもためになるお話ですね。親にとっても考えさせられる内容だと思います。

実はお話し会に参加された親御さんからも「お話、とてもよかったです」と声をいただくことが多いんです。子どもたちはすべての内容を理解しているわけではないかもしれませんが、それでいいと思っています。親御さんに響くものがあれば、ご自宅でまたそういった話が出るかもしれませんし、そのときに少しでも「何でだろう」と考えることができれば、きっと良い未来につながると思います。

妙泉寺のお話し会
編集部

こちらのお話し会は、どれくらいの人数の子どもたちが参加しているのでしょうか。

一度に5~10人程度です。決して多くはありませんが、たくさんの人数が一度に集まってしまうと、個々に語りかけることが難しくなる側面もあります。大規模なお話し会は、都市部の寺院でも行われているので、そちらで聞かれるのも良いと思います。妙泉寺ではより密に関われるよう、これからも活動を続けていきたいです。また、私自身が楽しんでこの活動を行うことを大切にしています。

編集部

とても素敵なお心ですね。何事も、自分が楽しめることであれば、そこに参加されている皆さんも楽しくなると思います。実際に、インスタグラムにアップされているお話し会の写真では、子どもたちがとても良い笑顔で写っていますね!

ありがたいことに、とても楽しんでもらっています。子どもたちには無限に伸びしろがあります。そういった存在に対して、いろいろな考え方があること、自分で考えることの大切さを教えていきたいです。また、地域の方との関わりとは少し違いますが、先日、納棺師の方とも知り合う機会がありました。納棺師も僧侶も葬儀に携わる仕事ですが、実は故人の方と関わるタイミングが違うため、葬儀場でお会いすることはほとんどないんです。私自身も納棺師の方がどういった仕事をしているのか、あまり知らなかったのですが、インスタグラムでメッセージをいただき、交流させていただきました。そういった、普段の生活では関わることがあまりない立場の方とも、積極的に交流していきたいと思っています。

編集部

副住職様は、メディアへも積極的に出演されているようですね。

お祭りのときなどはできるだけ寺院へ足を運んでいただければ嬉しいので、地元のラジオやローカルテレビ番組などにも出演しています。何もしなくても寺院に来てくれる方というのは、だいたい固定されているというのが実情です。寺院で待っているだけでは接する機会がない方もいますので、そういった方たちへ向けてアクションを取ることも必要です。過疎化が進む地域でもありますので、自分から発信できることは発信していきたいです。そのためにも、インスタグラムなどのSNSを活用し、足を運べる所へは出向いていきたいと思っています。

編集部

自ら積極的に動かれているんですね。そういった姿は、きっと地域の方々にも頼もしく映っていると思います。

寺院に行ってみたいと思えるきっかけを作ることも、寺院の役割の1つだと思っていますので、こちらから発信できることは積極的にお伝えしていきたいです。

ほかでは見られない唯一無二の眺望。人々の心の拠り所としてあり続けたい。

妙泉寺 境内からの眺望
編集部

では、寺院の境内や周辺環境、建築面において特徴的な部分はありますか。

お堂にもこだわっている部分はあるのですが、私が一番魅力的だと思うのは、境内からの眺望です。冒頭にお伝えしたように、この寺院は花房公がご自身のお屋敷から、真正面に見える山に道を作り、その上に作った寺院です。高度がとても高いというわけではないのですが、周囲に建物がなくとても開けています。山の下に広がる町を見下ろすようなイメージで、花房公のお屋敷跡、城跡なども見晴らすことができるため、その眺望は魅力であり、特徴的な部分だと思います。その眺めは、今からどれだけの金額をかけても作れるものではありません。400年前の花房公も、寺院に参拝したときは自分のお屋敷やお城を見ていたのだろうと、過去に思いを馳せることができる、そういった景観があることは、寺院にとって財産だと思っています。

編集部

インスタグラムには周辺景観のお写真もありますが、とても緑が多く爽やかなロケーションですね。どこか懐かしい風景を思い出します。

妙泉寺周辺の風景

とても日本らしい、昭和の原風景のような景色が残されているのが、この町の魅力です。都市部には都市部の良さがありますが、田舎の良さは、ここで育った子どもたちが都会へ出て、日常に少し疲れたときに「一度帰ってみようかな」と思える場所だということです。ここでの風景が、子どもたちにとって心を休ませられるものであり続ければと思っています。

編集部

この町が、自分の気持ちを落ち着かせて、思いっきり深呼吸できる場所であってほしいですね。では、妙泉寺にまつわるエピソードはありますか。

冒頭にお話しした「葛城大尊天」にまつわるお話です。葛城様は、非常に霊験顕著な存在であると言われており、もともとは、広島県の福山市に「葛城神社」という神社がありました。平清盛の息子である平重盛公が、山で遭難し死を覚悟した際に、年老いた男性が現れ、重盛公に水を与え、そのおかげで生きながらえ、無事に下山することができたそうです。下山後、重盛公が何者かと尋ねると、「葛城大尊天の使いの者です」という返答があったそうです。それ以降、重盛公は葛城大尊天に感謝をし、葛城神社としてお祀りするようになったそうです。その葛城神社と妙泉寺にご縁ができ、先代の頃にお堂を作り、そこで葛城様をお祀りしご祈祷するようになりました。当時の重盛公が水をもらって救われたように、現代でも悩みを抱えている方は葛城様のご祈祷を受けていただければと思います。それによって願いを叶えてもらったり、苦しみが和らいだりとご自身の中で納得できることがあればと思います。

今後の展望

令和8年は、境内の改修にも取り組んでいます。訪れる方の中にはご高齢の方もいらっしゃるため、そういった方々も安心して参拝できるよう、階段を上りやすくしたり、手すりの設置や、お手洗いの段差をなくすなど、あらゆる人がスムーズに参拝できるよう、安全面への配慮も行っています。

そして、これまで約400年間受け継がれてきた当時の人々の思いを、この先も守っていく寺院であり続けたいと思っています。現代の人々も、亡くなった方を偲び、大切に思う気持ちは当時と同じです。今度は、自分たちの思いを400年後に伝えていくような場所にしたいです。

ただ、これまでの約400年間、妙泉寺も同じことだけを試みて残ってきたのではありません。その時代に合わせたことをやってきたからこそ守ってこれたのだと思います。これからも、時代の流れに合わせて、その時代に求められているものを提供していくことが大切です。それによって、仏教の本質的な教えや、そこに生きていた人々の思いを守っていくことができると考えています。

インタビューまとめ

現代に生きる若い世代の方々は、寺院という場所に馴染みがない方も少なくありません。親世代が馴染みがないと、その子どもにも寺院へ足を運ぶ習慣はなかなか根付かないものです。

ですが、寺院や神社というのは、古来より受け継がれてきた日本ならではの場所で、人生の中で、一度も寺院・神社にお世話になったことがないという方はいないのではないでしょうか。実は、生まれてからその最期のときまで深く関わる場所である寺院。普段の生活ではなかなかそれを思い出す機会がない方も、こちらの副住職様のように、寺院側から発信されている情報をキャッチして、自身はもちろん、ご家族で寺院を訪れる機会を作ってみるのもいいのではないでしょうか。

それが習慣化し、子どもたちにとっても寺院が身近な場所になれば、成長してからも自然と足を運ぶ場所になるのかもしれません。子どもたちが成長し都会へ出て行った後、この町と妙泉寺が、彼らにとって「いつでも帰れる場所」であり続けることを願っています。

妙泉寺

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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