無実の罪を着せられ太宰府へ左遷され、福岡でその生涯を終えた菅原道真。平安時代の貴族であり、現代では「天神様」「学問の神様」として全国各地の天満宮にお祀りされています。
御袖天満宮も、全国にある天満宮の一社。映画の町として知られる広島県尾道市に鎮座し、菅原道真公が太宰府へ流される途中でたどり着いたこの地で、人々への御礼の気持ちを表す「着物の袖」を置いて行かれたことがきっかけとなり創建されました。
映画のロケ地として使用された、境内までの55段の石段や、神社名の「袖」をモチーフにした御守りの頒布など、この神社にしかない特徴を数多く見ることができます。そんなこの神社ならではの見どころや魅力を神職様に語っていただきました。
御袖天満宮とは

創建のきっかけとなったのは、菅原道真公が置かれて行った着物の袖をお祀りする小さな祠。その祠を、きちんとした形でお祀りするため、平安時代の延久年間に御袖神社が現在の場所に創建されました。
菅原道真公は「25」という数字と縁が深く、2027年には、菅原道真公がお亡くなりになられてから1125年となり、全国の天満宮でさまざまな行事が実施されることが予想されます。それは御袖天満宮でも同じであり、来年に向けてどういった記念事業を行うか、神社の皆さまで工夫をされています。
また尾道市は、数々のアニメや映画作品の舞台・モデルとなっている町でもあり、老若男女問わず現在でも聖地巡礼を目的として訪れる方が多い町です。それほど魅力的な町であり、周辺には緑も多くある穏やかな環境です。静かな環境で石段に腰掛け、ほんのひととき日常を忘れて過ごせる神社です。
【御袖天満宮 特別インタビュー】

「袖振り合うも多生の縁」ということわざがあるように、袖は人と人との縁を結ぶもの、あるいは断ち切るアイコンとして知られてきました。そんな袖をモチーフとする神社は全国でも数少なく、貴重な1社と言えます。
さらに、欧米からの観光客も多く参拝されるため、英語での説明を記した御守りも頒布。神社を訪れるすべての人々がこの神社に親しみを持てるよう配慮されています。
菅原道真公と「袖」に縁を持ち、火災の被害からも立ち直った神社。
編集部本日は、広島県尾道市に鎮座されている御袖天満宮様へのインタビューです。神社名の読み方は「みそで」とお読みして間違いなかったでしょうか。



はい。「みそで」と読みます。当社は尾道市役所などがある尾道旧市街地の範囲内にあり、比較的町中に鎮座しています。神社の周辺は緑に囲まれており、町中の雰囲気と鎮守の杜の2つの雰囲気を味わえる環境となっています。



では、まずこちらの神社のご由緒からお聞かせください。



菅原道真公が京都から太宰府へ流される途中、当社の下を流れていた川に船が着き、そこで疲れを癒されたそうです。具体的には、その地域に住む方々が麦飯やお酒を献上し、おもてなしをしたそうです。そして、道真公は「自分が身につけているものは服しかないけれど、何かお返しをしたい」と思われ、ご自身の着物の袖に自分の絵姿を描かれ、その袖を断ち切り人々への御礼という形で置いて行かれたそうです。その後、延久年間において人々は小さな祠を建ててお祀りしていました。ですが、次第に「ここに置いておいてはいけない」ということになり、現在神社が鎮座している場所にその袖をお祀りするようになりました。そういった所以からこの神社は「御袖」という名前になりました。



とても面白い創建のご由緒ですね!着るものしかないとしても、感謝の気持ちを表したいというお考えが素晴らしいですね。



その後恐らく安芸の宮島に寄られ、山口の防府を通って、九州に流されていったと考えられます。そして、最後にたどり着かれたのが現在太宰府天満宮が建っている場所です。また、2027年は全国の天満宮にとって記念となる年です。



それはどういったことでしょうか。



菅原道真公がお亡くなりになり神様となられてから1125年となる年なのですが、実は道真公は「25」という数字にとてもゆかりのある方なんです。お生まれになった日もお亡くなりになった日も25日ということで、来年には全国の天満宮でさまざまな記念事業が執り行われると思われます。天満宮では月の25日のことを「天神さんの縁日」と呼ぶこともあります。



それは初めてお聞きしました。天満宮ならではの記念の年になるんですね。



また、長い歴史の中で今から53年前に一度火災の被害に遭い、本殿が全焼しています。当時は茅葺の屋根で、出火の原因は不審火だった可能性も指摘されていますが真相は分かっていません。ただ、その際にもご神体だけは何とか救い出し無事だったのが幸いです。燃えてしまった本殿は、市内でもかなり古い時期に建てられたもので、価値のあるものだっただけに残念な思いもあります。また、火災のときには神社として宝物と言えるものも多く焼けてしまい、そのために神社としてアピールできるポイントが減ってしまっているのも事実です。その後、昭和58年に再建され、台風などの被害を受けながらも修繕を繰り返し現在の形となっています。



多くの神社がその歴史の中で火災に遭っていると思いますが、ご神体を救い出せたことは、本当に不幸中の幸いでしたね。
映画『転校生』のロケ地。英語バージョンの授与品も頒布。



では、こちらの神社の特徴についてお聞かせください。



当社には55段の石段があるのですが、その石段がかつて大林宣彦監督がメガホンを取られた『転校生』という映画のロケ地に使われたんです。その映画は日本で初めて、男女の身体が入れ替わる話で、当社の石段を落ちたことをきっかけに男女の中身が入れ替わるというものでした。その映画は44年前の作品なので、若い世代の方はご存じない方も多いですが、50代以上の方はご存知の方も多く、聖地巡礼として来てくださる方も多いんです。この石段と石段の下にある木の門は歴史的にも価値のあるもので、現在遅ればせながら文化財への登録申請を行う方向で進めています。







ぜひ登録されてほしいですね!作品については、少し調べただけでもたくさん情報が出てきますね。



当社としては先ほどお話したようなご由緒の面ももっと知っていただきたいのですが、映画のロケ地ということでよく知られています。ほかにも『ふたり』という映画や、NHKの連続テレビ小説『てっぱん』、2005年に放送されていたアニメ『かみちゅ!』、昨年公開された映画『リライト』でもこの尾道市が舞台やモデルになっています。そういった作品のおかげで、「尾道市は映画の町」として知られており、当社への参拝というより、石段からの景色などを見に来られる方が多いです。



とても多くの作品の舞台になっているんですね。それだけ魅力的な町なのだと思います。ですが、ご由緒もとても面白いものだと思いますので、ぜひもっと多くの人に知ってもらいたいですね。アニメ作品などの舞台にもなっているということですが、若い方も聖地巡礼で来られるのでしょうか。



そうですね。また、学問の神様でもありますので一年の中でも特に受験シーズンには御祈願に訪れる方が多いです。ただ、それ以外のシーズンはどうしても人が減ってしまうので、神社としても特色を出して来ていただこうと思い、神社の名前でもある「袖」をモチーフとした御守りや絵馬などを頒布しています。たとえば、袖の形の御守りや「羽衣守」など、着物や袖に関連した授与品の製作に力を入れています。袖は昔から「ご縁を結ぶ」「ご縁を絶つ」という縁に関係した意味合いがあるため、せっかく当社にしかない「袖」というモチーフがあるので、それを活かせるよう工夫しています。



ホームページでは授与品のページも拝見いたしましたが、英語で表記されている授与品もあるんですね。



海外からの観光客の方もよくいらっしゃるのですが、英語を喋れない分、せめて準備だけでもできればと思い、英語表記のものもご用意しています。神社の規模はほかの神社よりも小さいですが、その分アットホームで温かく、また周辺環境も大変静かな場所ですので、そういった環境を好まれて訪れる方も多いようです。実は、私は以前、副業で塾講師をしていたことがあります。学生時代から古文や漢文が好きで、せっかく神社と縁のある場所に生まれたのであれば、自分の好きなことにも絡めてみようと思い、日本古来の伝統と絡めた授与品なども提案しています。



海外からの方も多いということですが、アジア圏の方が多いのでしょうか。



当社へ来られる方は比較的欧米からの方が多いです。石段に腰を掛けて、尾道の町並みを見ていただくこともあり、ほんのひとときですが、良い時間を過ごされていると思います。



境内には大きな楠があるようですが、こちらの樹齢は分かるのでしょうか。



当社の近くに艮(うしとら)神社という神社があり、そこにも楠群があります。そちらの方は県の天然記念物に指定されており、そちらで樹齢800年ほどで、こちらの楠はそれよりは少し若いので、おそらく600~700年ほどの樹齢だと考えられます。また、季節によっては野生のフクロウが境内にやってくることもあり、ときにはフクロウの赤ちゃんが飛ぶ練習をしている姿を見ることもできます。



とても微笑ましい光景ですね。境内はとても広いというわけではないと思いますが、その中に見どころがギュッと詰まっていますね。



私もそう思います。秋の夜やお正月には、石段に謹賀新年など映像や文字、神門などを映写して地域の方々に楽しんでいただいています。家庭用プロジェクターでの実施なので、あまり大がかりなことはできませんが、当社ならではの景色を見せられればと思います。先ほど話したように、石段については文化財への登録申請を進めようとしているところですので、もし登録が叶えば文化財でありながら座れる、照らせる、上れるという貴重な存在となると思います。もちろんお写真を撮っても綺麗に映りますし、さまざまな文化や芸術と結びつけるような使い方をしていきたいです。
中国地方では珍しい“鷽替え神事”を実施。例大祭では神輿巡幸も。





では、神社で行われている行事についてお聞かせください。地域の方と共に行われているものはありますか。



全国の天満宮の例大祭が毎年7月25日にあるのですが、当社はその日を本祭とし、7月の海の日の前の金・土・日の3日間で地域の人々と一緒に行う「天神祭り」を斎行しています。本祭は社殿の中で神主だけが行えるものですが、地域の方にもご参加いただける日には、普段社務所の中に置いてあるお神輿を出し、金曜日の夜に市内巡幸という形で、神様がお休みになられる御旅所までみんなで担いで下ります。土曜日には境内で福引などの催し物を行い、皆さんに楽しんでいただいています。そして、最終日の日曜日に、御旅所に留められているお神輿を再度市内を巡幸し最後に55段の石段を青年部の皆さんが担いで本社に返還します。



3日間という日数もそうですが、とても大がかりなものですね。



とても盛り上がる行事です。天満宮自体の例大祭は年に一度で、ほかの天満宮では各月の25日に行事を行われる所もありますが、当社では1月25日が初天神となり、そのときには「献香祭(けんこうさい)」という行事を行っています。



献香祭とはどういったものでしょうか。



昔はお香を着物の袖に焚き染める(たきしめる)文化があり、袖と関連があるということでそういった行事を数年前から行っています。



そうなんですね。昔は着物文化でしたから、今よりも袖を有効に活用されていたんですね。



ほかには「鷽替え神事(うそかえしんじ)」というものがあります。これは全国でも九州と関東だけで広まっている信仰なのですが、「鷽鳥(うそどり)」という体は黒く、お腹からのどにかけての部分だけが赤い鳥がいます。そしてその鷽鳥の名前から、「去年の嘘を真に変える」というような民俗信仰があり、それに基づいた神事です。中国地方ではまだそれが浸透していないのですが、当社はせっかく天満宮ということもあり中国地方では珍しい鷽替え神事を行っています。神事という名前は付いていますが、何かの祭礼があるわけではなく、地域の方たちの文化であり、恒例行事に近いようなイメージです。この神事では、木彫りの鷽鳥が用いられることが多く、それぞれの神社でオリジナルの木彫りの鷽鳥を頒布していると思います。当社でも、冒頭にお話した映画『転校生』が男女が入れ「替わる」ストーリーなので、そちらとも関連があるとしています。







少し調べたところ、確かに中国地方で鷽替え神事を行われている所はほとんどないようですね。



山口の防府天満宮では行っていると思いますが、中国地方ではまだまだ珍しいものです。木彫りの鷽鳥については、全国の鷽鳥を集めるコレクターのような方もいて、そういった方が当社にも来られることがあります。当社でも「鷽替え神事を始めました」というような簡単な紹介をしたところ、全国各地から問い合わせが来て驚きました。九州や関東ほど浸透していないので、とりあえず御朱印など身近なもののご紹介から始めました。



これから少しずつ浸透してほしいですね。



また、木彫りの鷽鳥を買った人たち同士で周囲の人と自分の嘘鶏を取り替えるという行事もあります。神社の神職たちの「替えましょう、替えましょう」という言葉に合わせて取り替えていき、自分の手元に来た木彫りの鷽鳥を一年間手元に置き、翌年にそれを返して、また新しい鷽鳥を買うという文化があります。神社としては「また来てください」という思いでのことだと思いますが、木彫りの鷽鳥の中には、金賞・銀賞などのおみくじなどを付けるなど工夫をされている神社もお見掛けします。



同じ鷽替え神事でも、それぞれの神社で工夫されているのですね。東京では亀戸天満宮や福岡の太宰府天満宮では大々的にこの鷽替え神事を行われているようですね。



中国地方での鷽替え神事の先駆け神社として、これからも浸透に尽力していきたいです。
松浦武四郎が選んだ全国25社の天満宮の一社。道真公にまつわるエピソードも。



では、神社にまつわるエピソードはありますか。



当社はやはり石段を目当てに来られる方が多いのですが、55段の石段はそれぞれ石を付き足さずに一本石で作られています。ですが、最後の一段だけ途中でわざと石を継いでいるんです。これはもちろん、石が足りなかったわけではなく当時の石工さんたちの神様への敬意なんです。完璧なものを作ることはできるけれど、やはり神様の前で人間が完全な物を作ることは憚られるという思いから、わざと一段だけ途中で継いでいるんです。これは御年輩の方や観光客の方が参拝されたときにもご説明することがあり、皆さん驚かれています。





そういった敬意の表し方もあるんですね。昔の職人さんならではのお考えだと思います。



また、「北海道」という地名の名付け親として知られている、松浦武四郎という探検家の方が、全国の天満宮の中から25社を選び双六を作りました。その中で当社は19番目にエントリーされており、ほかに香川県の滝宮(たきのみや)天満宮、厳島神社の中にある天神社などがエントリーされ、最後が北野天満宮です。このエピソードも知る人ぞ知るもので、天神信仰の中ではそういった目線で巡礼される方もいらっしゃいます。



全国の天満宮から25社の中に選ばれるとはすごいですね!



また、当社自体ではなく道真公に由来するお話としては、牛のお話があります。全国の天満宮にだいたい牛の石像や銅像があり牛の頭が社殿の方に向いているのですが、これは道真公が生前とても牛を可愛がられていたことに由来しています。自分の死後は、牛の背中に自分の遺体を乗せてその牛が止まった所に自分の墓所を作ってほしいという遺言を残しており、牛が止まった場所が今の太宰府天満宮がある場所なんです。



そうなんですか!それは知りませんでした。



道真公は梅の花もとても愛されていたそうで、多くの天満宮に梅の形の神紋があります。桜よりも梅の方が寒さの中を耐えて花を咲かせる様子が学問に通じているとして、「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」という有名な和歌を残しているほどです。これは太宰府へ流されたとき、京の屋敷に残してきた梅の木を想い、主がここにいないからと言って春を忘れないでほしいという思いで詠んだものです。



太宰府へと流された無念な思いと、それでも京にいた頃の思いを忘れずにいた道真公の思いが伝わってくるようです。



ほかには、雷が鳴った際に「くわばら くわばら」と言って雷を鎮めるような言葉があると思いますが、実はこれも道真公に関係しています。道真公が生前収めていた土地が「くわばら」という土地で、人々は道真公が雷を落としていると信じていました。そのため「くわばら、くわばら=ここは桑原だから雷を落とさないでください」という意味で言われ始め、雷除けの言葉として浸透しました。
今後の展望
2027年の道真公没後1125年に向けて、石段の文化財登録事業を進めていきたいと考えています。来年の段階では申請中という段階であってもいいので、今より少しでも状況が進んでいればと思います。また、当社には宝物を展示する場所がないため、石段の文化財への登録が認められた際には、そういった記念館なども建てたいと考えています。
近年では、若い世代の神社離れも進んでいますが、小さな子どもからご高齢の方まで同じ思い出や文化を共有できるのは神社だけです。そういった出会いの場、文化継承の場としてこれからもあり続けたいです。
具体的には、境内でのマルシェの開催や和歌の会の実施、書道の展示、石段での絵画や写真などの投影を実現できればと思います。さまざまな文化発信の場が当社であるよう、これからも尽力していきたいと考えています。
インタビューまとめ
お話をお聞きした神職様は、塾講師を経験されていたこともあり、とてもお話が分かりやすく楽しいインタビューとなりました。
全国に数多くある天満宮ですが、この御袖天満宮の創建の由緒も非常に面白いものでした。映画のロケ地としては名を馳せていますが、このご由緒を知っている人はまだまだ少なく、この記事を通して一人でも多くの方に道真公と神社との縁を知ってもらえればと思います。
神社名の「袖」をモチーフとした授与品や絵馬など、ここでしか出会えない魅力に、あなたも出会ってみませんか。
御袖天満宮
住所:〒722-0046 広島県尾道市長江1丁目11-16
アクセス:車/専用駐車場なし (付近のコインパーキングをご利用ください)
バス/尾道駅から長江口で下車、長江口バス乗り場から徒歩7分(450m)
タクシー/尾道駅から【天神下(てんじんした)】とお伝えください。
徒歩/JR尾道駅から20分(1.5km)
URL:https://misodetenmangu.or.jp/









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