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玉井宮東照宮 焼夷弾の直撃を受けても残る、神と人々の手が守るお宮。

神社外観

「神様の家」として存在する神社。そこには神様が鎮座され、神社と地域の人々の暮らしを見守っています。そして、この玉井宮東照宮も神様に守られ続けてきた神社の一つです。

大東亜戦争で岡山市内が空襲に遭った際、お宮のお社は焼夷弾の直撃を受けながらも境内に避難してきた人々の消火活動により守られました。現在もその直撃の跡を見ることができ、当時の生々しさをうかがい知ることができます。また、かつては皇后陛下の令旨を受け安産祈願を行い、その縁から安産の龍神様として広く知られるようになりました。

岡山城下町を一望するこの神社は、岡山市内の人々はもちろん近年では海外からの観光客も多く訪れる神社です。そんな神社の現在の取組みと、今後の展望について神職の方に詳しくお話をお伺いしました。

目次

玉井宮東照宮とは

拝殿

元々は別のお宮であった玉井宮と東照宮。ご神託を受け現在の幣立山に鎮座した玉井宮と、日光東照宮より勧請した東照宮。どちらのお宮も備前藩の厚い崇敬を集め、その景観の良さや龍神様の御利益など、さまざまな魅力を秘めている神社です。

岡山城下町からはお宮の社殿を眺めることができ、山の上に鎮座する神社として地元の方々に親しまれています。これまでに、火災の被害に遭うなど不幸に見舞われることもありましたが、神社の方はもちろん地域の人々にも支えられ、今日まで美しい社殿の姿を留めてきました。

この先は、2026年より本殿に調査が入り、本殿の修復事業が始まる予定です。焼夷弾の直撃を受けてなお残り続けてきた本殿は、その姿をより美しいものに進化させ、岡山城下町の人々に披露する予定です。

【玉井宮東照宮 特別インタビュー】

神社からの見晴らし

境内からの美しい見晴らし、安産の御利益があるとして知られる龍神様、地域の方々と共に行われる行事など、実に多くの魅力を持つ玉井宮東照宮。玉井宮と東照宮を共にお祀りし両方の名を残し、大切なお宮として守り続けています。

現在は、かつての鎮守の杜を回復させるため、幣立山の植樹などに尽力されています。城下町から見上げる御社殿の美しさと、実際に人々が訪れたときに心地よい空間となることを大切にされている、参拝者を深く思う神社です。

皇后陛下の令旨も受ける、美しい見晴らしを誇るお宮。

境内からの見晴らし
編集部

本日は、岡山市に御鎮座の玉井宮東照宮様へのインタビューです。まずは、こちらの神社のご由緒からお聞きできますでしょうか。

神職様

創建時は現在とは別の場所に鎮座していました。現在神社が鎮座している山を幣立山(へいたてやま)と言うのですが、「山に御幣を飛ばし、その御幣が降り立った場所に神社を鎮座しなさい」というご神託があり、1085年、玉井宮が現在の地に遷座しました。かつて岡山の中心地は総社の辺りでしたが岡山城の築城などの状況に合わせて遷座してきました。その関係から、武家や町人、農民など身分に関わらず崇敬されており、特に安土桃山時代の武将・宇喜多秀家公には大変崇敬をいただいていました。秀家公からは神社周辺の土地を寄進していただいたり、本当に縁深く関わっていただいた歴史があります。

編集部

遷座してから1000年近い歴史があるんですね。

神職様

その後時代が下り、江戸初期にあたる1645年に日光東照宮より東照宮を勧請しました。

編集部

そのきっかけはどういったものだったのでしょうか。

神職様

当時、東照宮を建てる際の慣習として、その地域での「聖地」のような場所に建てることが一般的でした。そして岡山に東照宮を建てようと考えたとき、初代備前藩主の池田光政公が岡山で一番の聖地となる場所を探しました。日光東照宮は江戸の総鎮守として江戸すべてを守るお社ですので、備前藩も同じような存在のお社を作ろうと考え場所を探した結果、この幣立山を選ばれたそうです。玉井宮は元々龍神様をお祀りする神社ですが、東照宮も龍と関係のあるお社ですので、同じ場所に鎮座しても違和感がないと考えたようです。東照宮鎮座の際には、玉井宮を同じ幣立山の少し南の方へ移動させ、山の頂上に東照宮を勧請しました。それが1645年の出来事です。玉井宮・東照宮ともに備前藩から厚い崇敬を受けました。

編集部

きちんとした理由があってこの地が選ばれているんですね。

神職様

また、東照宮は全国に鎮座していますが、外様大名が建てた東照宮は実は当宮が最初なんです。そのため、ご神体を遷す際のお祭りなどの儀式や建物の様式なども当宮を見本にして全国で同じように勧請されました。特に、鳥取東照宮は当宮の跡に建てられましたが、見た目は瓜二つの建物です。鳥取東照宮の社殿では漆を使用していませんが、当宮は漆塗りなどそういった点での違いはありますが、パッと見たときの印象は全く同じ建物に見えると思います。広島東照宮でも八角神輿と呼ばれるお神輿が残されており、それは当宮と同じものです。そういった当宮を感じられるようなものを継承したお宮が各地にあります。

編集部

ほかの東照宮のお手本になるようなお宮だということですね。それは神社関係者の皆さんにとっても誇らしいことだと思います。

神職様

さらに時代が下ると、明治初期頃に大きな出来事がありました。玉井宮が時の皇后陛下からのご命令である「令旨(りょうじ)」を受け、安産の御祈願を行いました。これは当宮にとって非常に名誉なことでした。まだ京都御所に皇居があった時代ですから、安産祈願で有名な神社での御祈願の令旨も下ったのですが、なぜか地方都市である岡山にも令旨があり、安産祈願をした御守りを献上しました。お子様がお生まれになった際には、御祈願の功績で和歌を頂戴するなど、時の皇后陛下からも崇敬された神社です。今でも、「安産の龍神様である玉井宮」として、京都や大阪などの関西圏だけでなく東京など遠方からも安産祈願で来られる方が多いんです。この皇后陛下の安産祈願以降、安産の龍神様として広く知られるようになりました。

編集部

皇后陛下の目にも留まる立派なお宮ということですね。

神職様

その後、明治に入り廃仏毀釈の流れが起き、全国で東照宮が取り壊されたり、取り壊しを逃れるために名前を変えるなどの動きがありました。その当時、こちらの東照宮は備前藩の手から離れどんどん廃れていくような状況でした。当時の玉井宮の宮司は東照宮の立派な御社殿が廃れていく、お祭りがなくなっていく様子を見て忍びないと感じ、総代と宮司が話し合い、玉井宮が元の場所に還ろうということで、現在の玉井宮東照宮という形になりました。

編集部

元々別々だったお社同士が一緒になった背景にはそういったことがあったんですね。

神職様

当時の建物をすべて移築し、西日本最大とも言われる拝殿を建立するなどして、玉井宮東照宮として名前を残しました。名前についても、玉井宮と東照宮どちらの名前も残すというのはとても珍しいことなんです。大抵の場合はどちらかの名前が消えてしまうのですが、そうではなく玉井宮東照宮として残したことはとても重要なことだと思います。そして、西日本最大の拝殿が幣立山の上に鎮座することになりました。

編集部

確かに、どちらの名前も残るというのは珍しいかもしれませんね。

神職様

その後、平成元年に火災があり西日本最大と言われた拝殿は燃えてしまいます。火災後5年の年月をかけて再建し、現在の姿となりました。

編集部

紆余曲折を経ての今の姿なんですね。きっと実際に見たときには、その長い歴史を感じられるのでしょうね。

焼夷弾の直撃から残り続けた、奇跡を語り継ぐ社殿。

本殿
編集部

本殿もとても立派なものですが、こちらの歴史はいかがでしょうか。

神職様

本殿は昭和20年頃に大東亜戦争の影響で岡山空襲がありました。岡山市内は70%が焼き尽くされ、この場所も被害を受けました。陸軍の駐屯地があったために爆撃の標的となり、なんと本殿に焼夷弾が直撃し爆発しました。それにより燃えてしまうところだったのですが、お宮に避難してきた方々が懸命に消火活動を行っていただいたおかげでその姿を留めることができました。現在でも、焼夷弾の直撃を受けた跡が残っています。

焼夷弾直撃箇所
編集部

それは奇跡的なお話ですね!焼夷弾の直撃を受けてなお残るとは、本当に神様に守られているお宮なんですね。

神職様

焼夷弾の直撃を受けて残っている、貴重な木造建築です。岡山市内の木造建築は空襲の際にほとんど焼けてしまったため、本当に貴重です。その直撃した場所について書かれている看板なども立てているため、合わせて見ていただければと思います。

焼夷弾説明看板
編集部

戦争の生々しさをリアルに感じられる、貴重な社殿ですね。

神職様

焼夷弾が落ちたとき、逃げて来た人々は「もうダメだ、自分たちも助からない」と思ったそうですが、本殿の方に焼夷弾が流れ落ち、そのおかげで助かったのだから「自分たちの手でお社を守ろう」と、燃えないようにすぐにバケツリレーをして水をかけ、燃えているものなどを剥がして事なきを得たそうです。それだけに当時の人々がこのお社を守っていくという気持ちはとても強いものでした。

編集部

当時の人々に本当に感謝ですね。

神職様

その方々の思いのおかげで今も残っていますので、感謝してもしきれない思いです。こういった歴史があることをこれからも伝え続け、当たり前に残ってきたものではないということを覚えていてほしいです。実は今年から本殿に調査が入り、本殿の修復事業が始まる予定です。完成には最短で7年、最長で10年ほどを要する予定です。現在、本殿は岡山県の重要文化財に指定されていますが、国の重要文化財を目指しています。同規模の東照宮で国の重要文化財になっていないのが当宮のみであるため、修復を行い認めてもらえるような社殿にしたいと思っています。

編集部

ホームページでも本殿の復元予想CGを拝見しました。とても美しい姿ですね。

神職様

CGどおりにはできませんが、生まれ変わるのがとても楽しみです。国の重要文化財の指定を目指して、という思いもありますが、何より山の上にある御社殿が生まれ変われば、岡山城下町から上を見上げるときに綺麗な建物が見えますよね。それにより、東照宮がここに鎮座した意味がより分かっていただけるようになると思います。

編集部

とても楽しみな事業ですね。おっしゃるように、山の上に美しい社殿があれば地元の方にとっても誇りになると思います。

編集部

では、周辺環境はいかがでしょうか。

神職様

当宮は町中の神社ですが、周囲より少し小高い山の上にあります。そのため、緑が多く夏場でも少し過ごしやすい環境かと思います。

景観回復に向けて尽力。本殿をお守りする白龍と金龍御利益も。

鳥居
編集部

では、こちらの神社の魅力や見どころについてお聞かせください。

神職様

やはり一番は玉井宮からの景観です。上からの眺めだけでなく道中の景観もよく、今、その景観をさらに良いものにしようと努めているところです。元々幣立山は岡山市内の城下町への木材や薪などの建築資材となる木材と植樹している場所でした。備前藩により人の手が入りちゃんと管理された鎮守の杜だったんです。ですが、戦後にそれが解除されたこともあり、周辺が一切整備されなくなってしまったんです。さらに、近くの大きな山の緑化計画があり、その計画の一端で幣立山も緑化されてしまい、それまでになかった広葉樹を植えられてしまいました。広葉樹は寿命も長く大きく成長するため、岡山城下町からは神社全体が木に覆われて見えなくなってしまったんです。

編集部

緑化計画によって景観が損なわれてしまったというのは残念なお話でしたね。

神職様

私は6年ほどまえに実家であるこちらに帰ってきたのですが、昔の景観を何とか取り戻したいと思いました。景観が保たれていた当時のことも資料で見ていたので、その景観に戻すために尽力しようと思い、地元の方々や町内会長さんなどにご署名いただき、県や市に掛け合い周辺の木々の伐採が進みました。なぜここに玉井宮と東照宮が鎮座したのか、それを考えたときやはり景観を保つことは無視できないと思いました。尽力の甲斐あって現在は当時の景観が戻りつつあります。

境内からの夕景
編集部

努力が実を結ばれたんですね。

神職様

当宮の拝殿から西の方を見ると岡山城下町を一望できるんです。それは本当に眺めのいいもので、当宮の見どころの一つです。北側はまだあまり伐採が進んでいないのですが、そちら側も伐採できれば岡山後楽園や岡山城など、多くの観光名所を一望できるんです。同様に、県内の主要な橋などさまざまな場所から当宮の御社殿を見ていただくことも可能です。当時の町人や武家の日誌にも、朝家を出て東野方角を見ると東照大権現の御社殿が光り輝いており、そちらへお参りしてから仕事に行くのが日々の行いと記録されているんです。そういった人々の希望でもあった景観が復興しつつあるため、当宮の一番の見どころであり魅力だと言えます。最近では、地元の小学生~大学生の方まで学びに来るようになり、当宮のことはもちろんこちらから見える景観について「県庁や市役所が見えるでしょ」というように説明することもあります。

編集部

地元の子どもたちや若い方にも親しまれているんですね。先ほどのエピソードも含めて、とても見どころの多い神社ですね。

神職様

御社殿からの景観、そして龍神様は安産や開運招福の御利益があります。地元の方からは病気平癒や厄除けに強いというお声もいただいています。

編集部

厄除けの御利益もあるんですね。

神職様

拝殿の中に龍のお面があるのですが、そのお面に睨んでもらい厄を祓っていただくというものです。その龍のお面は岡山県内では当宮のみが所有しているものでとても貴重です。厄除、安産、開運、病気平癒と非常に御利益の多い神社です。そういった御利益と見どころの多い神社ではありますが、やはり山の上にあるため「山の上に社殿があるのは分かるけれど、どうやって行けばいいか分からない」と言われることも多いんです。今はまだ、分かっている方しか来られない場所なのだと思いますが、アクセスについてももう少し広く知っていただけるよう、情報を周知したいと思っています。公共交通機関でのアクセスはとても良く、岡山駅から路面電車に乗っていただき、終点の「東山」という電停で降りていただくと、幣立山はすぐ目の前です。最近では岡山電気軌道さんが「玉井宮はこちら」というような看板を出してくださり、海外からの観光客の方はそちらを見て来られるようになりました。

編集部

せっかく御社殿が下から見えているわけですから、ぜひアクセスの問題をクリアにしてより多くの方にご参拝いただきたいですね。

子どもたちも集まる神社。大きなお祭りも多数実施。

随神門
編集部

では、地域の方と一緒に行われている行事はありますでしょうか。

神職様

7月30日に行われる「みそぎ祭」は地元の方にもご参加いただいています。茅の輪くぐりとも呼ばれている、いわゆる夏祭りのような行事です。また、10月の第四土日に龍神際という秋祭りがあります。土曜日は地元の方が多くいらして、日曜は祭典中心で少し静かなお祭りとなります。また、当宮の境内には金龍社(きんりゅうしゃ)という金運や仕事運、勝負運などの神様をお祀りするお社があります。6月にはその神様に感謝する金龍社祭(きんりゅうしゃさい)というお祭りがあります。そちらには地元の崇敬者の皆さんが多く来られます。同じく境内にある白龍社に感謝する白龍社祭というお祭りも12月23日にあります。

神職様

白龍社は家内安全や交通安全、身体健全の神様であり、龍神信仰をされている方は金龍社祭・白龍社祭どちらにも来られることが多いです。お祭りの日限定の書き置きの御朱印もあり、求められる方も多くいらっしゃいます。主にはその4つのお祭りがあり、7月と10月のお祭りには地元の子どもたちもたくさん来てくれます。

みそぎ祭夏祭り
編集部

子どもたちが集まってくれるのはいいですね。地域に神社がないとそういったお祭りに触れずに育つ子どもも多いと思いますので、ぜひこれからも大切にしてほしいです。

神職様

ただ、都心部はほかのイベントも多いため、どうしても人がそちらに流れてしまう傾向にあります。そういったイベントとの差別化も含めて、当宮の色をどう出していくかについては今後もよく考えていく必要があると思っています。たとえば、だんじりやお神輿を実際に使うことはできませんが、イベントで展示してみようなど、当宮にしかできないことを考えています。

編集部

神社としての特色を出すために尽力されているんですね。

吉備の穴海をお守りする神様の伝承。社殿には珍しい菊花紋も。

編集部

では、社殿建築における特徴などはありますか。

神職様

社殿の屋根にご注目いただきたいです。当宮の宮号には玉井宮・東照宮どちらも使われているので、ほかの神社にはない菊花紋が本殿・拝殿共に使われています。これはほかの神社では見られないもので、珍しいと思います。

神職様

また、先ほどお話した白龍・金龍のお社は小さなお社ではありますが、本殿の両サイドに本殿をお守りするような形で鎮座しています。当宮の謂れで、幣立山の頂上には龍神様しかお社を構えられないというものがあり、白龍・金龍様は龍神様であるからお社を構えられるということです。ほかの龍神様と関係ない末社は山の下の方に鎮座しているため、龍神様とほかのお社とが分けられているという点を見ていただきたいです。ほかには、池田家の家臣団や武家の方々が奉納してくださった石燈籠もあり、それも見どころの一つです。

編集部

ホームページでは、国歌に出てくる「さざれ石」も境内に置かれていると拝見しました。

神職様

当宮のさざれ石は県内で最大のものです。数も1つではなく2つあり、北と南に分けて置かれています。北に置かれているのが拝殿近くのもので、南の方にはさらに大きなものがあり、南北で分かれてお社を守るような形で鎮座しています。このさざれ石はかつて存在した「さざれ石の会」の初代会長様が奉納してくださったもので、当宮に残されているものの中でも、とても大切なものの一つです。

さざれ石
編集部

では、こちらの神社にまつわる特別なエピソードはありますか。

神職様

玉井宮が現在の地に移転鎮座したという話がありましたが、それはつまり玉井宮にも元地があるということです。その元地に玉井大神様という神様がいらっしゃり、その神様が今でも岡山の「吉備の穴海」を見守っていると言われています。

編集部

「吉備の穴海」とはどういったものでしょうか。

神職様

吉備の穴海はかつて岡山県の南部に広がっていた、とても巨大な内海(うちうみ)です。現在の岡山市・倉敷市の平野部の多くがかつては海だったと考えられており、現在は陸続きになっている児島半島も、かつては本土から離れた島でした。江戸時代に吉備の穴海の干拓を始めたことがきっかけで、陸地と繋がり児島半島となったそうです。穴海は「陸地の中に入り込んだ海」という意味で、昔は交易の要所となった場所でした。その後、干拓が進み吉備の穴海は姿を消しますが、玉井宮は元々その穴海に入るための出入り口を守り、灯台と祭祀場をお祀りする場所として存在していました。今でもそこへ玉井大神様がお帰りになられて、吉備の穴海があった場所や周辺の交通をお守りしているという伝承があります。また、同じ場所には龍神様が東の海から這い上がられて、岡山の海をお守りしているという言い伝えもあります。現在も、その場所には別宗派のものですが鳥居が建っており、岡山の海をお守りいただいています。

今後の展望

かつての景観を取り戻すための努力を今後も続け、当時の鎮守の杜を回復させるため、植樹を続けていきたいと考えています。また、今年から本殿の修復への一歩を踏み出すため、修復事業をしっかり完遂することを目標としています。

また、かつて行われていた最も大切なお祭りが現在実施されていない状況であるため、そのお祭りの一部だけでも復元し当宮の新たな見どころとしていきたいと思っています。

インタビューまとめ

山の上に鎮座する神社として、広い氏子地域をはじめ岡山市内を守り続けてきた玉井宮東照宮。今回のインタビューで神社の方の尽力により、美しい境内や城下町を眺める景観が保たれていることがよく分かりました。

また、こちらの神社は岡山市内のお宮ということもありアクセスの良さは抜群。岡山駅から路面電車一本で幣立山にたどり着ける立地の良さも魅力です。山の上であるため、自動車でのアクセスが難しい神社ではありますが、境内から見晴らす岡山城下町の景観はどの神社にもないものです。ぜひ、岡山観光の際には岡山駅から足を伸ばして、幣立山へお越しください。

玉井宮東照宮

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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