徳川家康と言えば、最後の天下人であり徳川幕府を開き平和な世の始まりを築いた武将として誰もが知る人物です。そんな家康公を神様としてお祀りしているのが東照宮と呼ばれる神社です。
この仙台東照宮も全国に数ある東照宮の1つですが、神社建築や伊達家の影響を受けている点、東照宮としては珍しく氏子を持つなど、他の東照宮にはない特徴も数多くとても見どころの多い神社です。
広い境内に見られる美しい桜は春の訪れを告げ、周辺に住む人々にとって憩いの場となっています。今回は、宮城県内唯一の東照宮として鎮座する仙台東照宮の歴史や魅力についてご紹介します。
仙台東照宮とは

今から371年前、平和な江戸の世に仙台東照宮は創建されました。徳川家康公が訪れたことに縁を持つこの地に創建以来、周辺の環境は変わってもこの神社は変わることなく地域を見守り続けてきました。伊達政宗公をはじめとする伊達家との縁も深く、伊達家の影響を強く受けている神社でもあります。その創建場所は、当時の仙台城から見てちょうど北東の方角にあたり、城の鬼門を守る意味もあったとされています。
神社の造営時に、門前町として御宮町が整備され、氏子町が指定されました。氏子を持たない東照宮が多い中、この東照宮は氏子を持ち、地域の方と協力し行われる祭事も多く、現在も地域の人々から愛されています。仙台駅から約1kmと徒歩でもアクセス可能で、電車を利用すれば仙台駅から一駅の「東照宮駅」から徒歩2分と、非常に参拝しやすい神社です。400年近い歴史を誇る仙台東照宮の魅力に迫ります。
【仙台東照宮 特別インタビュー】

時代と共に変わっていく風景。10年もあればその表情を変えてしまう場所は少なくありません。ですが、この仙台東照宮は創建当時からの姿を変えることなく鎮座し、近隣住民からも「ここだけは変わらない場所」として親しまれています。
境内には重要文化財に指定されている創建当時からの建造物も多く、悠久の時を感じさせる場所でもあります。神社創建の由来、そして伊達家との関わりやこの東照宮ならではの見どころをたっぷりとご紹介します。
神社と共に町づくりも。“伊達文化”の影響を受けた貴重な東照宮。


今回は仙台東照宮様へのインタビューです。まず、東照宮という名が付く神社についてですが、こちらはどういう神社を指すものなのでしょうか。



東照宮と名の付く神社は、徳川家康公をお祀りしている神社です。江戸時代に各藩で東照宮を創り、現在もほとんどの都道府県に1つはあるのですが、沖縄県、宮崎県、岩手県には現在はありません。東照宮では栃木県の日光東照宮が最も有名です。



東照宮とはそういった神社様だったのですね。では、こちらの神社の歴史などについてお聞きします。創建はいつ頃になられるのでしょうか。



創建は今から371年前、承応3年(1654年)です。創建当時から場所は変わっておらず、ここに社殿が建てられた理由はいくつかありますが、その一つに、御祭神である徳川家康公がこの地を訪れたという由緒がございます。時は江戸時代以前、宮城の地で「葛西・大崎一揆」という農民一揆が発生いたしました。当時、この地を治めておられたのは伊達政宗公です。この一揆に際して、政宗公が背後で関わっていたのではないかという疑念が持ち上がり、天下人であられた豊臣秀吉公が、家臣であった徳川家康公に「現地の様子を見てくるように」と命じられたと伝えられております。その命を受け、家康公が実際に宮城の地を訪れた際、伊達政宗公のご案内により、ご休憩なされた場所が、まさにこの地であったと言われております。



なるほど!しっかりとした由来が分かっているのもすごいですね!



江戸時代に建てられた神社なので、記録が残っているんです。また、この場所はかつて仙台城があった場所から北東の方角にあたります。北東は昔から鬼門と言われており、風水上都市の北東には大きな神社を置く所が多く、仙台城でもお城から見て北東の方角にあたる場所を守るということで、この場所に置かれたそうです。



では、この神社の魅力や見てほしい特徴についてお聞きできますか。



まずは重要文化財に指定されている建造物です。創建当時から残っているものがいくつかあり、こちらをまずご覧いただきたいです。神社を訪れるとまず入り口に鳥居があります。これも創建からあるもので宮城県内では最古の鳥居です。この鳥居は花崗岩で造られているのですが、使用している花崗岩は岡山県の犬島という所から仙台へ運ばれたものです。犬島の花崗岩は日本で最高の花崗岩と言われており、大阪城の石垣や鎌倉の鶴岡八幡宮の鳥居にも使われています。東照宮が創建された当時は簡単にはお城を造れない時代でした。戦争を起こさせない為に江戸幕府でかなり厳密に築城材料や軍事材料を管理していたようで、「東照宮造営のために使用するもので、築城や戦のために使用するものではない」ということを報告し、仙台まで船で運んできたようです。





現在でも岡山から仙台というとかなりの距離ですが、当時の交通事情を考えるとかなりの苦労があったでしょうね。ホームページにて、「伊達文化」という言葉を拝見しましたが、これは先ほどの伊達政宗公に由来するものでしょうか。



そうです。「伊達文化」という言葉自体は造語ですが、政宗公は文化的な面など様々な面で新しいことを始められた人物でした。この東照宮は政宗公が造ったわけではありませんが、彼の影響も受けている東照宮なので、そこは他の東照宮との違いの1つかと思います。



具体的にはどういった影響を受けているのでしょうか。



当宮は仙台藩二代藩主の伊達忠宗公が創建したのですが、伊達文化の中でも後期にできた東照宮です。仙台市に大崎八幡宮という神社があるのですが、その神社建設のために、秀吉の時代に活躍した梅村さんという大工を政宗公が京都から連れてきたそうです。その方が大崎八幡宮をつくり、二代目の方が瑞巌寺(ずいがんじ)をつくり、その2つは国宝に指定されています。そして、三代目の方がこの仙台東照宮を建設されたそうです。そういった点で政宗公の影響を受けている東照宮です。また、この多くの神社では建築に檜や杉の木を使用しますが、当宮の建築物にはけやきが使われています。これも他の神社とは違う点です。仙台には、仙台箪笥というけやきを使用した伝統工芸品があり、これは濃い赤色をした箪笥です。この東照宮は年月も経っているので他の木とあまり見分けがつかない部分もありますが、創建当時はかなり赤い色の神社だったと言われています。現在でも本殿の中など一部にその赤色は残っています。









とても貴重な神社ですね!そういった点でも伊達家との関わりがあるんですね。



また忠宗公は、当宮の建設と共に宮町という東照宮の南側に広がる町も作りました。現在は地図で仙台東照宮を調べるとその南側に細長い道が真っすぐ伸びており、東照宮の階段を上ると上から真っすぐに伸びたその道を見ることができます。この宮町にはかつて東照宮の清掃をしてくれたり、お酒を造ってくれていた方たちが住んでいました。周辺は住宅地ですが、仙台駅がちょうど神社の真南にあり、仙台駅から東照宮までは住宅地です。また、「東照宮駅」という駅もあり、全国にある東照宮の中でも駅名になっているのはこの東照宮だけなんです。仙台駅からは一駅だけなので車でも電車でもアクセスしやすい場所です。
珍しい権現造“ではない”東照宮。1万坪の境内には100本の桜も。





では、神社建築についてお聞きできますでしょうか。



少し専門的な話になりますが、どこの神社でもまず神様をお祀りしている本殿という建物があります。神様をお祀りするためにほとんどの神社で必要される建物です。そしてその手前に拝殿があります。ここはお賽銭箱が置かれ皆さんが中に入りご祈祷を受けられる場所です。東照宮では多くの場合、この本殿と拝殿をくっつけた権現造(ごんげんづくり)という造りが採用されています。これは実在していた人を神様としてお祀りする形式で、日光東照宮などで採用されています。日本ではじめて権現造が採用されたのは、京都にあり、菅原道真公をお祀りする北野天満宮で、霊廟や神社というよりはお墓としての意味合いも含んでいる神社で採用されていることが多いようです。家康公の場合にもそれが採用されたのですが、この仙台東照宮はその権現造ではないんです。こちらでは本殿と拝殿が独立した造りになっており、これは時代の影響が大きいんです。この東照宮が創建された時は家康公が亡くなってから40年近く経っている時で、その時点で家康公は既に神様になっているという認識だったため権現造にする必要がなくなったと考えられています。また、伊達家と徳川家の距離感というものも多少関係していると思われます。東照宮は徳川家で建てられている所も多くあるのですが、仙台藩は外様大名や伊達家が作ったということでより本殿と拝殿の距離を取っているようです。2つの建物の距離が空いているだけでなく、その間に唐門(からもん)という門があり、本殿をかなり厳重に囲っている造りになっています。





確かに特徴的な造りですね。



神社建築に詳しい方は東照宮というと権現造というイメージがあると思うので非常に珍しいと思います。



また境内もとても広く、桜のお写真もとても綺麗ですね!



ありがとうございます。境内は1万坪ほどあるのですが、桜のシーズンはお正月に次いで人出が多いシーズンです。



近隣の方にとってはとても良いお花見スポットですよね。



太平洋戦争の際に仙台にも空襲がありこの場所は直接空襲に遭ったわけではないのですが、境内にあった木を伐り木材を使用してもらったという歴史があります。なので、戦後はほとんど丸裸のような状態で、そういった経緯から他の神社様のように樹齢1000年を超えるような木などはありません。桜の木は100本ほど植えられているので見応えがあるかと思います。桜と言えば、近隣の小学校にも縁があります。江戸時代にお神輿が渡御するお祭りを行っていたのですが、そのお神輿が最初に休憩する場所が現在は小学校になっている、かつて御旅所という東照宮の建物があった場所です。その建物はなくなってしまいましたが境内にあった御神木の桜の木だけがまだ残されています。現在でもお祭りの際にはその桜の木のそばをお神輿が通っています。







ホームページでお写真を拝見していますが、とても立派な桜ですね!また、バリアフリーエリアも整備されているんですね。



そうですね。車を下りてそのまま階段を上らずに参拝できるようになっています。ただ、厄払いなどは畳の上に上がっていただく必要があるので車いすの方などが入れないので、まだ完全に整備できている状態ではないですが、少しでも参拝していただきやすいよう、整備できる部分は整備しています。
全国でも貴重な、氏子を持つ東照宮。地域との交流に新しい試みも。





では、地域の方との交流についてお聞きします。



お祭りという点では、4月に春祭りを行っています。よく神社では神社周辺に暮らしている方たちを氏子と呼び、その方たちが中心となりお祭りを行いますが、東照宮はその氏子が居ないことが多いんです。



そうなんですか!?それはなぜでしょうか。



氏子制度ができたのが江戸時代より前で、江戸時代以降にできた神社は氏子が居ないことが多いんです。ですが、この仙台東照宮は東照宮と一緒に宮町を作ってもらったという経緯があるので、その関係から氏子さんがおり春祭りの際にはお神輿や屋台を出してもらっています。5年に1回ですが大人が担ぐお神輿もあり、子ども神輿は100人くらいの子どもたちが参加してくれています。また、当宮では東照宮神楽も行っていますが、神楽も氏子がいないとできないことなんです。なので、全国でも神楽を持っている東照宮はここくらいだと思います。



地域の方との関わりが深い、貴重な東照宮なんですね。稚児行列は大正時代から続いているようですし、や七五三、お宮参りなども多くの方が来られているようですね。





そうですね。参拝者が最も多いのは初詣ですが、1月14日にお札や御守りをお焚き上げするどんと祭というものがあります。このどんと祭の時にも1日で6万人ほどの人出があるので、とても賑やかになります。





ホームページでは杜ノ宮市(もりのみやいち)というものも開催されていると拝見しましたが、これはどういった行事でしょうか。



これは今年の4月に試験的に行ったもので、できれば年内にあと1、2回実施したいと思っています。たこ焼きやお好み焼など、屋台でよく出てくるようなお店も出ているのですが、普段はあまり出店しないようなお店にも出ていただく行事です。集客には工夫も必要ですが、地域活性化のためにも今後も続けられればと思っています。
今後の展望
仙台東照宮の周辺も時代と共に変わってきた部分が多くあります。ですが、近隣の方からは「ここは変わらないね」と言っていただけることも多く、そういった声を頂けることは神社にとっても嬉しいことです。今後も多くの人に来ていただける工夫をしながらも神社そのものはあまり変えることなく存続していきたいと思います。仙台から出て行った方が、ここへ帰ってきた時に「帰ってきた」と感じられるよう、懐かしい景色を残せるように努力していきたいです。
また、近隣の商店街とも協力をしてオリジナル商品などを作れればと思っています。仙台駅からは1㎞ほどなので、町の散策をしながら神社も参拝して帰っていただければ嬉しいです。
インタビューまとめ
今回お話をお聞きするまで、恥ずかしながら東照宮と名の付く神社がどういう神社であるかを知らずにいました。徳川家康公をお祀りする神社として多くの都道府県に遺されている東照宮ですが、自分が住む地域の東照宮を知らないという方も多いのではないでしょうか。
権現造ではない様式で建てられた社殿や花崗岩で造られた鳥居など、全国の中でも珍しいと言える特色を多く持つ仙台東照宮。仙台駅からもたった1㎞と近い場所にあるため、仙台を訪れた時には町歩きを楽しみながら、この東照宮を訪れ家康公の想いや、当時の風景に思いを馳せてみるのも良いのではないでしょうか。
仙台東照宮 アクセス情報
〒981-0908 仙台市青葉区東照宮1-6-1
TEL: 022-234-3247
FAX: 022-272-9852
URL:http://s-toshogu.jp/
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