MENU

大船遺跡 豊かな自然生態系に支えられてきた、日本のルーツに出会う遺跡。

遺跡現地の写真

私たちが今生きていることは当たり前のように思えて実は奇跡的なことです。地球が誕生し海と大地が生まれ、様々な動植物の繁栄と絶滅を繰り返し、現在があります。歴史を振り返るということは、その過去の出来事や命の全てに感謝することでもあるのではないでしょうか。そして日本人は古くから「八百万の神」という考えのもと、全ての動物や植物など自然界の全てに魂が宿っていると考えていました。

今回は、私たち日本人が本来持ち合わせているはずの「自分たちを取り巻く自然に感謝し敬意を払う」という精神を改めて思い出すことができる大船遺跡をご紹介します。実際に発掘調査に携わられたご担当者様より、この遺跡はもとより、縄文文化の楽しみ方、縄文を学ぶことで思い出せる心のルーツについてもお話いただきました。

目次

大船遺跡とは

マンモスなどの大型草食動物を追いながら暮らした旧石器時代、採集・漁労・狩猟など自然の恵みによって定住生活を実現した縄文時代、そして大陸から伝わった水稲作を生産基盤とした弥生時代などの歴史を通して私たちの暮らしの基礎が創られました。今回ご紹介する大船遺跡は縄文時代の遺跡です。縄文時代は約1万5000年~2300年前まで続いた先史文化で、それまでの旧石器時代とは違い、人々が一つの地に集落をつくって定住した時代です。その中でもこの大船遺跡はとても大きな集落の遺跡です。

眼前に海、背後に山、少し歩けば多数の河川に辿り着ける非常に恵まれた環境にあり、発掘された土器・石器の量も非常に多い遺跡です。貝塚と同じ役割を持っていたと思われる盛土遺構(もりどいこう)も発掘され、当時の人々の命や物に対する考え方も推察することができます。その価値はユネスコにも認められ、2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」として、同じ函館市の垣ノ島遺跡と合わせて世界文化遺産に登録されました。遥か昔の日本の暮らしと精神文化を伝える非常に貴重な遺跡です。

【大船遺跡 特別インタビュー】

狩猟採集民として定住生活を送っていた縄文時代の人々。彼らは海や川で漁労を行い、山で山菜や木の実を採り、さらにシカなどの動物も捕獲し食糧としていました。また、近年のDNA解析によると、北海道のアイヌ民族はもとより、本土日本人にも縄文人のDNAが受け継がれていることが分かっており、彼らは日本列島に暮らす多くの人々の遠い先祖とも言えます。

彼らがどんな暮らしをし、どんな価値観を持っていたのか、このインタビューを通して少しでも知っていただければと思います。

受け継がれてきた、恵まれた自然環境と数々の技術。

編集部

本日は大船遺跡についてのインタビューです。阿部様はこの遺跡の発掘調査にも関わられていたのでしょうか。

阿部様

はい、私は大学で考古学を学んだ後に、北海道の埋蔵文化財センターという発掘調査機関で働き、その後、大船遺跡のある南茅部町(みなみかやべちょう)にいた大学の先輩に呼ばれて平成元年に町の教育委員会に就職し、この町の発掘調査に携わるようになりました。南茅部町は、平成16年の市町村合併により函館市になり、いまは南茅部地域と呼ばれています。この地域は太平洋に面しており、町並みは海岸線に沿って30㎞ほど細長く伸びています。その中で縄文遺跡が89箇所も見つかっています。昔から昆布漁が盛んで「昆布の町」として有名ですが、考古学を勉強している人からすると「縄文の町」として知られています。例えば、1970年代前半、まだナショナルジオグラフィックが今ほど有名ではなかった頃にもナショナルジオグラフィックの助成金で海外の大学が調査に入るなど、国際的な調査もその頃から始まりました。大船遺跡だけがあるのではなく、縄文文化が栄えた地域でその一つとして大船遺跡があるわけです。

編集部

とても詳しくありがとうございます。では、大船遺跡の歴史についてお聞きします。まずこちらの遺跡はどれくらい前の遺跡なのでしょうか。

阿部様

中心となるのは今から約4500年前の縄文時代中期の集落遺跡です。

編集部

具体的にはどういった物が出土しているのでしょうか。

阿部様

集落の遺跡ですから多くの竪穴住居が確認されています。4500㎡の範囲を発掘調査し、その中で100軒近い竪穴住居が出ています。もちろんこれらの竪穴住居は数百年の期間を跨いだものなので、同じ期間に同時に存在していたものではありませんが、1軒1軒の規模は非常に大きいものです。竪穴住居と言うと一般的には直径が4~5m、深さは40~50㎝ほどですが、この地域の竪穴住居には、深さ2.5m、長軸9~10mもあるような大きな住居も見つかっています。

編集部

それはとても大きいですね!それだけの広さには何か理由があったのでしょうか。

阿部様

住みやすい環境だったから、長期間の定住生活が可能だったためと考えられます。
なぜ住みやすかったかという理由として地形があります。現在では平地の方が住みやすいという感覚ですが、当時は自然の中から食糧を得る必要がありましたから山や海が近い方が便利でした。南茅部地域は目の前に水産資源豊富な太平洋が、すぐ背後には落葉広葉樹の茂る山があり、山と川を結ぶ河川や小沢が60本もあります。また、山の栄養塩がすぐ海に流れていくため、海の資源も豊富でした。そして、背後の山では多種多様な山菜やクルミやクリなどが採れ、川が近いので飲み水もすぐそばにあるというとても便利な住環境が整っていました。今で言うと、コンビニが近くに沢山あるような感覚かもしれません(笑)

編集部

なるほど!それはかなり利便性が高いですね!コンビニに例えていただけると非常に分かりやすいです(笑)

阿部様

もしも、海に魚を獲りに行くのに2時間かかる、山へも2時間も3時間もかかるという場所だったとしたらやはり不便ですよね。食料を得られる海、山、川などの自然環境が全て歩いて数分のエリアにあるので、ここに大きな集落ができたのではないかと考えています。現在も水産業が盛んな町ですが、その自然環境は縄文時代からずっと続いていることなんです。

編集部

数千年も前から続いているなんてすごいですね!それだけこの場所の自然環境が変わっていないということですね。他に出土した物にはどういう物があるのでしょうか。

阿部様

他には生活道具です。木の実・山菜などをすり潰すのに使用した石の臼、当時食べていたクジラやマグロの骨なども出ており、当時の豊かな食生活が伝わってくるようなものが数多く出土しています。

出土した石皿の写真
編集部

なるほど。現代は求めれば何でも揃う時代ですが、道具などがなかった時代に自分たちで道具を作り知恵を使って生活していたんですね。

阿部様

そうですね。縄文時代というと狩猟生活が主流のイメージがあるかもしれませんが、実は漁労が大きな役割を果たしていました。魚を釣るための釣針、大きな魚や海獣には銛(もり)、たくさんの魚を獲るには網を使いますが、それらの道具類はすでに縄文時代から使われています。現在も魚を獲るにはこの3つの方法ですよね。素材が違うだけで方法は何千年も前から変わっていないんです。

編集部

本当に先人たちの知恵は凄いなと思います!しっかりと技術が受け継がれていることを感じます!

阿部様

それと、この地域の別の遺跡からは世界最古級の約9000年前、3500年前の漆製品(うるしせいひん)も出土していて、それらは現代にも通じるような工芸技術です。当時からそういった高度な工芸技術があったことが証明できるんです。

編集部

本当に歴史は続いているんですね。時間は絶えず流れ、現代に辿り着いたんだと実感します。教科書ではそこまで教えてくれませんが、全ての日本人が聞くべきお話だと思います!

阿部様

そうですね。現代のDNA解析では我々日本人の中には縄文人のDNAが入っていることが判明しているので、当時の人々は私たちの直属の祖先でもあります。

編集部

なるほど。名も顔も知らない当時の先祖の方々が知恵を絞り技術を用いて様々な道具を発明してくれたおかげで、今の便利な生活があるんですね。勝手にお礼を言いたくなります(笑)。遺跡の現地はいつでも見られるのでしょうか。

阿部様

そうですね。いつでもどなたでもご覧いただけます。

自然と人間、その関係性を見つめ直す場所。

編集部

では訪れた方に、ぜひこういった点を見てほしいとう部分はありますか。

阿部様

縄文遺跡はどれもそうですが、本物は土の下にあるんです。保存するために下に埋め戻しているのですが、これが石の文化と少し違う部分です。石の文化では本物をそのまま見ることができますが、縄文遺跡は現地に来ると復元した物がそこにあるんです。それは現代の物なので、復元された竪穴住居を見る他に、集落の状況や周辺の自然環境を見てほしいです。特に地形など自然環境は当時からほとんど変わっていないので、こういう所で縄文の人々は暮らしていたんだと感じてもらいたいです。これだけ大きな集落を人が創るために、自然に支えられていたんだと実感できるような場所です。人間が自然をコントロールするのではなく、人間が自然に支えられて生きてきたことを感じ、自然との向き合い方を見つめ直す場にもなると思います。

編集部

本当に当時の人が見ていた景色を見られる場所なんですね。長い歴史の流れを感じられる貴重な場所ですね。

阿部様

そうですね。人間は本来の自然の中で生かされているという視点を持つことができると思います。実はこの遺跡は2021年7月、同じ函館市の垣ノ島遺跡と合わせて世界遺産に登録されていますが、私は登録される際の推薦所も作成しました。縄文文化はよく「自然との共生」の時代だったと言われるのですが、その言葉は使いませんでした。なぜかと言うと、自然との共生と言った時点で自然と人間は別物であり、どちらかと言うと強い力を持つ人間が自然を守る、という感覚なので、それは縄文の文化とは違うと考えたからです。人間は自然界の中で最も弱い存在であり、人間以外の動物や植物の命を頂いて生きています。この遺跡ではそういった当たり前のことにも目を向けて思い出してほしいです。

編集部

おっしゃるとおりです。天敵となる動物がいないため食物連鎖の頂点に立ったような気分になりますが、そうではないですよね。

阿部様

そうです。むしろそれは逆で、多くの動植物が上に居てその命をありがたく頂いているのが我々です。ご飯を食べる時に「いただきます」と言うのは「命を頂きます」ということですから、常に他の命への感謝を忘れずにいてほしいです。それを縄文の文化を通して伝えていきたいです。

編集部

大船遺跡のように実際にそういうことを実感できる場所が残っているのは、とても貴重なことですね。これまでの数々の災害を見ても分かるように人は決して自然には勝てません。どんな武器も自然の前には無力です。雄大な自然に感謝して暮らすことは大切ですね。

阿部様

そうだと思います。きっとどこかで自然を人間に適応させようと勘違いが始まったのだと思いますが、縄文の時代は自然に人間が適応していた時代でした。今は自然をコントロールしようとしていますが、それはきっと違うのだと思います。

編集部

そうですね。自分たちが住みやすいように、淘汰されないように様々な取り組みを行っていますが、本来はそうではなく自然の中でできることをやっていたんでしょうね。

阿部様

この遺跡には、単なる歴史的価値というよりも現代に通じる価値があります。それをこの文化を通して伝えていくのが私たちの役割だと思っています。

全ての命とモノに感謝と敬意を。日本人の精神性を振り返る。

編集部

他にこの遺跡について特徴的な部分はありますか。

阿部様

この遺跡は土器と石器の量が圧倒的に多いんです。逆にこの遺跡が珍しい!というような1点ものはないのですが、縄文時代の人々が暮らしていた集落が本当にそのまま残っています。数が多いということについても、それだけダイナミックな暮らしをしていたということかもしれません。

編集部

活気のある集落だったんですね。

阿部様

ええ、盛土遺構というものが出てきました。膨大な量の土器片や石器など、当時の道具類を廃棄した場所で、生活のダイナミックさが伺えます。これは、貝塚と同じようなものです。貝塚は食べた貝や魚・動物の骨などを捨てた、いわゆるゴミ捨て場と思われていますよね。ですが、その貝塚からは人の墓が出ているんです。そのため、現在では貝塚はゴミ捨て場ではなく役割を終えたものの魂をあの世に還すものだろうと考えられています。それと同じように大船遺跡の盛土遺構からも人の墓が作られていました。ですから、縄文の人々は人間だけでなく動物や植物、さらには道具類にも魂が宿っていて、役割を終えた時にはあの世に送るという儀式をしていたのではと考えられます。そうした精神性も分かる場所です。現代でも日本人は針供養や鋏供養など、道具に対して感謝の気持ちを持って供養の儀式を行いますよね。その心は縄文時代と共通性が見られます。

編集部

古来から連綿と受け継がれてきたものなんですね。とても興味深いお話です!

阿部様

ただ、海外の方にはこの話はなかなか理解されません(笑)。現在針はスチールでできていますよね。針供養の話をすると「どうして金属に感謝するのですか?」と聞かれたりします(笑)。ですが、縄文文化から話していくと納得していただけることが多いです。

編集部

日本は昔から八百万の神々というように様々な物に神が宿っているという考えがありますよね。

阿部様

まさにそうです。石器も土器も元々は石と土ですがそこにも命があると思っていたのでしょうか。日本文化のベースとなる部分が縄文の文化には既にあったのだと思います。

編集部

日本人の精神性も垣間見ることができるんですね。これまでほとんど考えたことがなかった先祖のお話を聞くことができ、とても興味深いです。地元の方はこの遺跡をどう認識されているのでしょうか。やはり地域の誇るべき遺産だと思われているのでしょうか。

阿部様

実は、最初の頃はどこを掘っても遺跡が出てくるので、あまり感動がなかったようです(笑)

編集部

あまり珍しいものではなかったんですね(笑)

阿部様

そうですね。縄文の遺跡が凄いものだという認識はなかったと思います。ですが、国の史跡になったり海外の調査が入ったりして外から注目されるようになると実は凄いものだったんだと思い始めたようで、4年前に世界文化遺産に登録された頃から大きく変わったと思います。

編集部

認識が変わってきたんですね!やはり注目されるということは大切ですね。世界遺産に登録されてからは訪れる方も増えたのでしょうか。

阿部様

登録されたのがちょうどコロナ禍の頃だったので、その時は少なかったのですが現在は徐々に増えてきています。現在函館には年間70艘ほどのクルーズ船が入ってくるのでそこからオプションで遺跡に来るという方も少しずつですが増えています。特に欧米の方で日本の歴史などに関心がある方たちが注目してくれています。たくさんの方に訪れていただいているので、体験メニューを充実させるなどこちら側の受け入れ体制を整えていく必要があると思っています。遺跡だけではなく縄文文化を育んだ周辺の自然環境や生活文化なども見て回っていただけるような形にしていくのが良いと思っており、その仕組み作りを行っていきたいです。

イベントを通じて文化の継承を。同じ世界遺産の遺跡にも注目。

編集部

では、遺跡と関連したイベントなどは行われているのでしょうか。

阿部様

毎年10月の初頭に縄文まつりというお祭りを行っています。同じ世界遺産に登録されている垣ノ島遺跡という遺跡があり、そこでも様々なイベントを行っています。

縄文まつりの写真
編集部

具体的にはどういったことをされているのでしょうか。

阿部様

垣ノ島遺跡は縄文まつりの会場になっていて、地元の方たちが縄文に関するイベントを行う際に場所を貸したり、グランピングのような事もやっています。地域の方たちがこの遺跡を活用して地域づくりをしていこうという機運が盛り上がっているのを感じます。

編集部

とてもいい流れですね!観光資源としてとても素敵な遺跡だと思いますので、地域の方から始まって、広く知られてほしいです!

阿部様

函館市縄文文化交流センターという博物館があるのですが、そこと垣ノ島遺跡が隣接しているんです。そして交流センターの中に北海道で初めて国宝となった中空土偶という土偶が展示されています。中空土偶というのは内部が空洞になっている土偶で、縄文時代後期に見られた土偶です。大船遺跡、垣ノ島遺跡、縄文センターの3つが1つの文化資源のようになっています。

編集部

なるほど。出土品は主にそちらに展示されているんですね。

阿部様

縄文センターでは随時ミニチュア土器作りや勾玉造などの体験イベントも行っています。また、定期的に植物観察や染め物なども行っているので、興味がある方はぜひ訪れていただければと思います。また垣ノ島遺跡では掘る場所を決めて掘る発掘の疑似体験もできます。

編集部

訪れた方は垣ノ島遺跡と縄文センターも合わせて見て行かれるのでしょうか。

阿部様

そうですね。交流文化センターで展示を見て縄文文化について学び、垣ノ島遺跡、大船遺跡と巡る方が多いです。どちらの遺跡にも常時ガイドがいるので現地を案内してくれます。

編集部

その他の遺跡では、どんな物が見つかっていますか?

阿部様

例えば、アスファルトの塊が出てくることもありますが、これは当時接着剤として使用されていたもので秋田や新潟から運んでこられたものです。そして、運んできた場所でアスファルトを加工していた工房が出てきたこともあります。他には、子どもの足形を粘土板に写し取ったものもお墓から出てきました。現代でも赤ちゃんが生まれると生後100日の記念等に足形や手形を取りますよね。なので、私たちも最初はそういった記念的な意味で取られたものかと思ったのですが、その足形はだいたい6㎝暗いから大きいもので18㎝程度です。さらにしっかりと焼かれておらず住居の炉の火などで炙る程度にしか焼かれていない状態でした。ただ、それが割れた後も大事に持っていた痕跡があり、それが大人の墓から出てくるわけですから恐らく幼くして亡くなった子どもの足形を粘土板に写し取り、住居の中で吊るし、親が亡くなった時に一緒にあの世へ行く、ということをやっていたのかもしれません。

編集部

推測するしかない部分だと思いますが、残されていることには必ず意味がありますよね。

定住による“墓地”の形成も。体験を通して伝えたい、縄文の魅力。

編集部

縄文時代にも死者を弔う、供養するという概念はあったんですね。

阿部様

そうですね。墓地ができるというのは縄文時代の特徴の一つで、定住生活が始まったことにより墓地が作られるようになりました。これはその前までの旧石器時代との大きな違いです。世界的には農耕や牧畜により食糧を計画的に生産できるようになってから定住するのですが、日本の場合は生物多様性に恵まれていたため、自然の中だけで定住していたというのが特徴です。また、普通は狩猟採集民=移動生活者なのですが縄文時代の人々は狩猟採集民でありながら定住していたのも特徴的です。それ以前の旧石器時代はマンモスやバイソンなど大型の動物を追いながら生活していました。つまり食料が動くため人間も移動していたわけです。そういう暮らしでは死者が出ればそこに埋め、その場を去ることになるのでお墓はあっても墓地はできません。ですが定住して何十年もそこに暮らすため、そこで暮らしている人たちの空間と亡くなった人たちの空間を別に作るようになるんです。お墓だけではなく「墓地」ができるというのはとても大きなことです。

編集部

なるほど!とても興味深い話ですね!すごく興味が湧きます!自分たちの遠い祖先の話ですが、自分たちの始まりを考えることは普段ありませんから、起源を辿るのはとても面白いです。

阿部様

まさに人間の根源的な価値観がギュッと詰まっている遺跡です。人と人との繋がりですとか普段忘れがちな大切なものを思い出させてくれる場所だと思います。縄文文化の価値は本来私たちの心の中にあるものを見つめ直すこと、そこにあると思っています。縄文時代の生活を紹介する、体験するということも大切ですが、それだけではなくその体験を通して自分たちの心の中にある、自然への感謝の気持ちなどを思い出してもらえると嬉しいです。

編集部

普段はなかなか意識することが少ないものですが、ここを訪れた際にはそういうことに思いを馳せてほしいですね。縄文祭りなどをきっかけに興味を持ってもらえるといいですね!

阿部様

そうなってくれると嬉しいです!私たちがこの遺跡の普及活動を始めた10年少し前は興味を持たれるのは年配の方が多かったのですが、最近では土偶を好きな若い方も増えているようで、かなり広まっていると感じます。小学生にも土偶好きな子や縄文文化に興味を持ってくれている子が多く、これからがとても楽しみです!また、アート系の方も注目してくれることがあり、そういった方は造形から入り縄文の精神性に触れ、それをどうやってアートで伝えるかということを考えられるようです。

編集部

なるほど!そういう風に考えて創られ出来上がった作品を見るのもまた面白いですね。

今後の展望

縄文文化を伝えていくためには、遺跡だけでなく、縄文文化を育んだ周辺の自然環境、そしてその自然の中で暮らす地域の生活文化、それらを全て回って見られるような仕組み作りを行っていきたいです。そして、地域全体を屋根のない博物館のような場所にできればと考えています。

これはエコミュージアムという手法で、エコロジーであることはもちろん、エコノミー、つまり経済的にしっかりと回る仕組みを作ることが大切です。持続的な活用モデルができれば、他の遺跡にも技術転換できますし、体験型観光などにも活かしていけると思います。そのなかで縄文文化の価値を伝え続けていきたいです。

インタビューまとめ

日々の暮らしの中で、自分たちの先祖に思いを馳せる機会はそう多くないと思います。お盆のお墓参りや誰かが亡くなった時に思い出すことはあっても、自分たちまで命が受け継がれてきたことに感謝することはそうありません。ですが、「今」の前には必ず「過去」があり、地球誕生から何十億年も止まることなく続いてきた歴史があります。

今回のお話を聞いて、そんな遡ることすら難しいような遥か昔の時の流れと役割を終えてきた魂に対してとても感慨深い思いを抱きました。

毎日でなくてもいい。ご飯を食べている時、誰かと笑い合っている時、テレビを見ている時…日常のふとした瞬間に自分が今生きていることに感謝をし、それは先人たちが守ってきた素晴らしい自然と様々な命の犠牲によるものだということを思い出すことが大切なのではないでしょうか。

大船遺跡 アクセス情報

遺跡の所在地:北海道函館市大船町
【アクセス】
■函館駅(JR函館本線)から
・車で約70分
・函館バス「鹿部」「古部」「椴法華」行き「大船遺跡下」下車(約100分)→徒歩で約10分
※「古部」「椴法華」行きは、南茅部支所前で要乗換
■新函館北斗駅(JR北海道新幹線)から
・車で約50分(大沼経由)
■函館空港から
・車で約50分
■大沼公園IC(道央自動車道)から
・車で約50分
■函館市縄文文化交流センター、垣ノ島遺跡から
車で約10分
【公開時間】
4月~10月/9:00~17:00
11月~3月/9:00~16:00
※12月29日~1月3日休場

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

コメント

コメントする

目次