歴史上の偉人である那須与一や松尾芭蕉といった人物と縁が深い那須神社。境内には見応えのある本殿や拝殿だけでなく、石燈籠(いしどうろう)や2つの鳥居などが見られ、非常に見どころの多い神社となっています。
神社を囲む緑の森は、訪れた人々に安らぎを提供し、広い境内でゆっくりとした時間を過ごすことができます。この神社を訪れることで気持ちをリフレッシュさせることができ、神様へお祈りを捧げることで気持ちを新たにすることができます。
さらに神社が鎮座する大田原市は2026年放映予定のNHK連続テレビ小説とも深い関係があり、現在地域全体が盛り上がりを見せている活気ある場所です。そんな町で地域を見守るこの神社の見どころについて、1つ1つ詳しくお伺いしました。
那須神社とは

創建から1600年ほどの歴史があると考えられる那須神社。坂上田村麻呂により九州から八幡神の御霊が勧請され、現代に至るまでに多くの人々の崇敬を集めてきました。神社が鎮座する大田原市は『平家物語』に登場する弓の名手として知られる那須与一や、俳人の松尾芭蕉ゆかりの地でもあり、歴史好きな方や芭蕉ファンの方が足を運ぶ町です。
この神社も那須与一や芭蕉と縁があり、神社には那須与一が奉納したという太刀が伝来し、那須与一に関連した御朱印や御守りを頒布するなど、神社と彼の関連を知ることができます。『おくのほそ道』の風景名勝地としても知られ、神社境内には芭蕉がこの神社を訪れた際には奉納されていた石造りの手水舟や石燈籠が残されており、その歴史の長さを思わせるものとなっています。
境内には色鮮やかな装飾を施した楼門があり、拝殿へ向かう人々を圧倒しています。数々の摂社や末社が並び、例大祭では流鏑馬や神輿渡御などが奉納されとても迫力と活気あるお祭りが行われています。現在は令和の大修理に着手しており、これまで受け継いできた大切な社殿を新しく生まれ変わらせるため、地域の人々と共に尽力しています。
【那須神社 特別インタビュー】

主祭神以外にも八柱の神様をお祀りし、その御神徳は家内安全や五穀豊穣など非常に多岐にわたります。その恩恵を受けようと年間を通して多くの方が訪れ、境内でのゆったりとした参拝の時間を楽しんでいます。
毎年の例大祭を楽しみに来られる方も多く、周辺地域だけでなく遠方から訪れる方も多い神社です。
古墳時代からの歴史を刻む。那須与一にゆかりある神社。
編集部栃木県大田原市の那須神社様へのインタビューです。まず、こちらの神社の創建の歴史からお聞きできますか。



那須神社は、金丸八幡宮・余瀬八幡宮とも呼ばれ、仁徳天皇の治世である313年~399年頃に創建されました。下野国造(しもつけのくにのみやつこ)の奈良別命(ならわけのみこと)が国家の鎮護のため、黄金の玉である金瓊(きんけい)を埋めて塚を築き、そこへ祠を建立したことが当社の始まりと言われています。その後、延暦年中(782年~806年)に坂上田村麻呂が九州にある宇佐八幡宮の御霊を勧請し、社名を八幡宮に改めたと言われ、八幡神=誉田別命(ほんだわけのみこと)を御祭神とする八幡宮として人々から崇敬されるようになりました。その後明治6年に那須神社という現在の社名に改称しました。他に、別雷命(わけいかづちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)、火産霊神(ほむすびのかみ)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、高龗神(たかおかみのかみ)の八柱の神様をお祀りしています。



仁徳天皇の治世から数えると1600年ほどの長い歴史があるということですね。八柱の神様ということで多くの御利益を受けられそうです。こちらの神社は那須与一との関連も深いとお聞きしました。



そうですね。平安時代の弓の名手であった那須与一が源平の戦に赴く際、当社で戦勝祈願を行い、文治3年(1187)に社殿を建造し、それ以降那須氏の氏神として崇敬されてきました。さらに、戦国時代末期から江戸時代にかけては下野国那須郡にあった黒羽藩の藩主・大関氏の氏神としても崇敬されました。



では、こちらの神社の魅力や特徴についてお聞きできますか。



当社の境内は非常に広く見どころも多くあります。まずは神様をお祀りしている本殿です。現在の本殿は寛永18年(1641)に、黒羽藩主大関高増により再建されたもので、大関氏の定紋である沢潟(おもだか)の彫刻など、独創的な彫刻が施されています。外部の柱、長押などに施されている金箔押(きんぱくおし)や、内部の装飾絵画も当初のものであると言われています。



長い歴史のある建物なんですね。鰐口についても見たことはありますが、その名を初めて聞きました。境内の見どころは他にどういった部分でしょうか。



続いては楼門です。本殿と一連になる造りで、寛永19年(1642)にこちらも大関高増により建てられました。禅宗様式を基調とした建物で、全体的に極彩色で造られた荘厳さを感じる建物です。この楼門の部材からは「日光山」の「大工小伝次(だいくこでんじ)という人物がその建立に携わっていたことが分かる墨書が見つかっています。そして、身を清める手水舟(ちょうずぶね)と石燈籠です。いずれも所願成就のために大関高増が造立したもので、石材には芦野石を使用しています。次に拝殿です。現在の拝殿は明治17年に再建されたもので、唐破風造の向拝部分は本殿、楼門と同じ建築様式で、当初の拝殿は四ツ脚の唐門だったと考えられています。そして、その拝殿の後ろには金丸塚と呼ばれる塚があります。これは、仁徳天皇の時代に下野国造の奈良別命が下野国鎮護のために金瓊(きんけい)を産めて築いた塚だと言われています。現在もこの周辺一帯を金丸と呼び、その名はこの塚が由来だと言われています。



さまざまな見どころがありますね。摂社や末社も多いとお見受けします。



おっしゃるとおり、境内には愛宕社や稲荷社、神明社、淡島社など数々の摂社・末社があり、多くの神様の御利益を受けていただくことができます。神社の正面では一の鳥居が皆さんをお迎えし、それをくぐると二の鳥居に出会います。一の鳥居と二の鳥居の間には御神木が聳え立ち、その存在感を示しています。二の鳥居をくぐるとエドヒガンを咲かせる桜の木があり、さらに進むと可愛らしい狛犬が参拝者を迎えます。







神橋と呼ばれる小さな橋を渡ると、色鮮やかな楼門があり、それを抜けると皆さんがご祈祷される拝殿に辿り着きます。広い境内ですが、緑に囲まれとても心地よい空間でお参りすることができます。御神徳は家内安全、五穀豊穣、心願成就などがあり、多くの方にご参拝いただいています。また当社は、松尾芭蕉が訪れた場所の一つとして国指定名勝「おくのほそ道の風景地八幡宮」にも指定されており、芭蕉ファンの方にとっても特別な場所です。


那須与一に関連した行事・授与品も。例大祭は流鏑馬など見どころも多数。



では、神社での行事についてお聞きできますか。



神社では様々な祭礼を執り行っています。毎年3月の第2日曜日に奉納される永代太々神楽(えいだいだいだいかぐら)は市の無形民俗文化財に指定されており、那須与一が京都より神職伶人を呼んで祭祀を始めたと言われています。





9月の敬老の日に行われる例大祭においては神輿渡御、市の無形民俗文化財に指定されている獅子舞が奉納されます。この獅子舞は大関増清が余瀬に白旗城を築いた際に、地鎮の意味を込めて舞わせたものだと言われています。また流鏑馬も奉納され、参道を駆け抜ける馬から的を射る様子はとても迫力があり、多くの方がいらっしゃいます。







他に子ども相撲や与一太鼓なども奉納されます。子どもたちに関連する話ですと、当社の神楽は近くの小学校がクラブ活動の一環として取り入れてくださっていて、地域の小・中学生が境内の清掃奉仕をしてくれたり、3月のお祭りでは一年間練習した神楽を披露してくれたりします。最近では少子化の影響でこうした伝統行事を残すことが難しくなっている地域もありますので、とてもありがたいです。







せっかくの伝統行事が少子化という理由でなくなってしまうのは寂しいですよね。地域で協力しながら、伝統を残していこうという姿勢がとても素敵です。授与品も多数の種類がありますね。那須与一に関する御守りや御朱印もあるようで、こちらならではのものかと思います。



おっしゃるとおり授与品も多くご用意しており、厄除けなどの御守りの他、魔除けの矢として破魔矢もお受けいただけます。また、那須与一と言えば、源平屋島の戦いにおいて見事に扇の的を射たことで有名ですが、その与一にあやかった「一矢必中みくじ」もご用意しています。こちらのおみくじをお持ちいただくことで、願いを射止め福を招いていただければと思います。他に与一くん御朱印や流鏑馬御朱印など、当社ならではの御朱印もありますので、ご参拝いただいた際にはぜひお受けいただければと思います。



他に、この神社ならではの行事はありますか。



11月の上旬に行われる菊祭りは大きな行事です。「金丸菊の会」というもので、境内に菊を飾り、地域の方に買い求めていただくなど10日ほどずっと境内がさまざまな菊で彩られます。手水舎に浮かべて花手水にしてみたりと、菊を使った試みも行っています。こちらの行事については大々的にポスターでの告知も行いますので、地域の方をはじめ多くの方が来られます。年間では先ほど申し上げた例大祭、菊祭り、そして3月のお祭りが大きな行事であり、当社ならではのものかと思います。









菊もたくさんの種類があり、多くの菊が並んでいると迫力がありますし、普段は出会えない美しい光景ですよね!また、神社のすぐ隣に道の駅があるようですね。こちらを利用された縁で神社に来られる方も多いのでしょうか。



実は神社隣の道の駅にある資料館で、神社の宝物などを預かっていただいているんです。「那須与一伝承館」という名前の資料館で、そちらでは宝物の展示会なども行っており、大変ご協力をいただいています。



本当に地元の方からのご協力が厚い神社ですね!それだけ地域にとってこの神社が重要な存在だということが分かります。周辺は風光明媚で穏やかなロケーションでしょうか。



とても穏やかな場所です。大田原は坂道も少なく暮らしやすい町です。近くにはカフェやゴルフ場などもあり、ゆっくりと過ごしていただける場所かと思います。また、大田原の黒羽地区は元々城下町だったため、有名なお寺さんなどが今でもたくさんあります。曹洞宗のお寺である大雄寺(だいおうじ)さんや、JRのCMにも使われた臨済宗の雲巌寺(うんがんじ)さんなどが有名です。大雄寺さんには大関氏のお墓があり、昔ながらの茅葺の屋根が特徴的なお寺で、その建物は那須神社同様、国の重要文化財に指定されています。



大雄寺さん、確かにとても立派な建物ですね!こういった有名なお寺さんが集まる地域でもあるんですね。



大田原市は広いので有名なスポットもたくさんあります。実は4年前に私の父である先代の宮司が亡くなり、その跡を私が継いでいるのですが、私の代になってから那須神社がどんな神社であるか、どんな場所にあるのかを皆さんに知っていただこうと、神社のパンフレットなども作成しました。そろそろ紅葉の時期でもありますので、地域の方も美しい紅葉の景色を楽しみにされていると思います。
大関氏との縁が叶えた2026年 NHK朝ドラとの深い関わり



こちらの神社は、2026年上半期に放映予定のNHK連続テレビ小説『風、薫る』とも深い関わりがあると聞きましたが、詳しくお聞きできますか。



おっしゃるとおり、2026年の春から放映が始まるNHK連続テレビ小説『風、薫る』に当社をはじめこの大田原という町が深く関わっています。主人公のモデルの大関 和(おおぜき ちか)さんは大田原市の黒羽地区で、黒羽藩主の一族に生まれ幼少期を過ごしました。那須神社は那須与一をはじめとする那須氏の氏神でもありましたが、その次に大関氏の氏神として社殿なども建立していただいたご縁があります。大関氏は黒羽の城主でもあり、黒羽には大関氏のお墓もあります。大関 和さんがご活躍されたのは東京へ進出されてからですが、幼少期を過ごされた場所としてこの大田原が登場し、撮影も行われています。また、これは恐らくですが2027年のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、主人公の上司役として大関氏が登場すると思われます。そういったNHKの作品との縁があり、現在この地域では盛り上がりを見せているところです。ちなみに、黒羽藩主の大関増裕(おおぜき ますひろ)が、慶応3年に当社の裏手で急死しましたが、「これは自殺であった」と後に証言したのが、大関和さんでした。



とてもタイムリーなお話ですね!私も朝ドラ、大河ドラマ共に見ているので今から楽しみです!大関 和さんのことを調べたところ、日本のナイチンゲールと呼ばれるような実績のある方だったんですね。



はい。日本で最初の看護婦として活躍した方、あるいは明治のナイチンゲールという異名もあったようです。そういった立派な方とのご縁があることは地元はもちろん、神社としても携わることができ嬉しく思います。
今後の展望
現在、令和の大修理として社殿の改築に取り組んでいるところです。1600年以上にわたって受け継いできた貴重な社殿を、次世代へ受け継ぐため地域の皆様をはじめ多くの方にご協力をいただいています。
この先も神社維持のため、地域の方々にご協力をいただけるよう境内整備などを進め、来ていただいた方が気持ちよく参拝し、「来て良かった」「また訪れたい」と思えるような神社を目指していきます。
インタビューまとめ
那須与一と松尾芭蕉と言えば、歴史にあまり明るくない方でもその名を聞いたことがあるであろう著名な人物です。そんな人物と関係が深いこの神社もまた、栃木県内だけでなく、遠方から来られる方も多い神社です。ですが、まだその存在を知らない方も多く、神社としてもその魅力の発信に努めています。
栃木と言えば、有名な日光東照宮やドライブコースとして人気の「いろは坂」、家族で楽しめる那須ハイランドパークなど、あらゆる魅力を有した地ですが、栃木を訪れた際には、ぜひこの那須神社へも足を運び、かつて芭蕉が目にした風景を眺めながら祈りを捧げる時間があってもいいのではないでしょうか。
那須神社 アクセス
住所:〒324-0012 栃木県大田原市南金丸1628
TEL:0287-22-3281
携帯:090-3223-1183
お車でのアクセス:那須塩原駅から18 分(11.7 km)ライスライン 経由、矢板ICから34 分(22.8 km)県道48号 経由
URL:https://nasujinja.jp/








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