山口県下関市と言えば、フグの名産地。もちろんフグのみならず関門海峡をはじめとする海で獲れる幸はどれも逸品もの。そんな美しい関門海峡を眼前に望むロケーションに鎮座する亀山八幡宮は非常に独創性に富む行事が多く、国内のみならず海外からの観光客も多く訪れる神社です。
“日本最大”の御影石製の大鳥居や、数々の伝承と多彩な行事。実に見どころの多いこの神社の魅力を神社の方にたっぷりと語っていただきました。神社の魅力のみならず下関という町の魅力についてもお届けします。
亀山八幡宮とは

創建から1166年。1000年以上の時を同じ場所で見守り続けてきた亀山八幡宮。周辺景観は変わっても、神社の目の前に広がる関門海峡の美しさとその向こうに見える九州の山々の雄大さは変わりません。年間を通して穏やかな気候で暮らしやすい町でもあり、フグの町として全国からツウが訪れる場所でもあります。
応神天皇をはじめとする4柱のご祭神をお祀りし、年間を通して実に多くの行事が執り行われています。その多くはこの神社ならではのもので、地域の方にとっても他では体験できない貴重な行事です。子どもたちに親元を離れて生活する体験を与える林間学校や、現代ではすっかり減ってしまった凧あげの機会など「やってみたい!」と思える行事も実施されています。そのいずれも、行事を通して神社に親しみ神社のことを知ってもらう機会となるよう、何十年も続いてきた伝統行事であり守られるべきものです。一方で「関門海峡キャンドルナイト」にも協力し、若い方にも来ていただけるよう革新的な行事も実施しており、いつ来てもワクワクできる神社です。
【亀山八幡宮 特別インタビュー】

九州の宇佐神宮より勧請され創建となった亀山八幡宮。その名の由来は、かつてこの地が島だった頃の島の形に由来するもの、宇佐の地にまつわるものなど諸説ありますが、現在も「亀山さん」として地域の方に親しまれています。有名な観光地でもある下関市を見守るこの神社について、ホームページには載っていないとっておきの情報を交えてお伝えします。
”日本最大“の大鳥居、秀吉奉納のソテツなど、豊富な見どころが参拝される理由。
編集部本日は山口県下関市に鎮座されている亀山八幡宮様へのインタビューです。下関市は全国でもフグの名産地として有名ですが、どんな町でしょうか。



とても住みやすい地域だと思います。この神社に関して言えば、関門海峡が目の前にありその流れを見ながらゆったりと参拝していただけますし、景色が非常に良いです。もちろんフグをはじめとした食事もおいしく、観光地としても楽しんでいただける場所です。



本当に食事がおいしいというイメージです!ぜひ伺った際にはフグだけでなく他の食材も楽しみたいです!では、まず亀山八幡宮様の歴史・由来についてお聞きできますでしょうか。



創建は貞観元年(859年)です。創建当時から場所は変わっておらずご祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、仁徳天皇です。貞観元年に九州の宇佐八幡宮から勧請されました。



ホームページで「関の氏神さま」「亀山さま」として親しまれていると拝見しました。亀山という名称はどういった由来からなのでしょうか。



これには諸説あります。亀山八幡宮がある場所はかつて島でした。その島が亀の形に似ていたという説や、宇佐の八幡様がお祀りされている山が亀山という名前で、そこから御神霊を頂いたので亀山と名づけたとも言われています。



では、こちらの神社を訪れた際に見るべきポイントや特徴的な部分はどういった部分でしょうか。



当社の境内には色々と魅力があります。まず一番は冒頭にもお話した景色の良さです。正面に関門海峡が広がりその先には九州の山々が見えます。そういった非常に景色の良い場所にあるのが特徴であり魅力です。また境内には数々の摂社もあります。福岡県宗像市から勧請された宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)は開運・商売繁盛の神様として地域の方だけでなく全国から参拝に来られる方も多い神社です。





他に京都の伏見稲荷大社の境内に鎮座されている熊鷹社から勧請されたと言われている「熊鷹稲荷神社(くまたかいなりじんじゃ)」もあります。こちらは「人助け稲荷」とも呼ばれ、崇敬者も多い神社です。現在の社殿は昭和天皇の即位50周年を記念して、崇敬者の皆様により建立されたものです。





他に、「事代主神(コトシロヌシノミコト)」「大国主命(オオクニヌシノミコト)」をお祀りした「恵比寿神社」や、豊臣秀吉が奉納したと言われる「太閤蘇鉄(たいこうそてつ)」というソテツの木もあります。





とても見どころが多い神社様ですね!大鳥居については「日本一の大鳥居」と拝見しました。この「日本一」というのはどういう点でしょうか。



これは御影石製の鳥居では日本最大の鳥居という意味です。神社正面の石段下に立つ大鳥居は白御影石造で、左右の柱に繋ぎ目がないのが特徴です。重さは50t、高さは12.7m、幅15.5m、柱の直径は1.2mです。この大きさの白御影石は現在ではなかなか見つからないとも言われています。





非常に貴重な鳥居なんですね!詩人の金子みすゞさんの詩碑やふぐに関する像、また亀に関するものも多く残されていますね。



そうですね。下関では「ふぐ」を「ふく」と呼んでおり、幸せをもたらす魚として親しまれています。初代総理大臣であった伊藤博文が下関を訪れた際にふく刺しを食され、その美味しさに感動されたことから、「ふく食用禁止」が全国に先駆けて山口県で解禁されました。







そうだったんですね!さすが名産地ですね。



他には御朱印も多種類をご用意しています。干支の御朱印や月ごとの御朱印、夏越祭の御朱印など、シーズンごとの御朱印があります。また、ふぐの形をした絵馬も出しており、参拝される方には人気です。また当社は正面の大鳥居を上った上にあり、下から見ると少し小高い丘のようになっています。鳥居をくぐった先の階段は60段ほどあり、上からの眺めはとても壮観なものです。最近では外国人観光客の方も多く、日本らしさを感じられる場所として親しまれていると思います。
珍しい“石垣”の上に立つ神社。アクセスも便利で訪れやすさも◎



では、神社建築や周辺景観についてお聞きします。建築面で特徴的な点はありますか。



特に大きな特徴というわけではありませんが、このお社は太平洋戦争の下関空襲で一度焼失しているんです。そのため、ご本殿は木造ですが拝殿は鉄筋コンクリート造です。これは特に珍しいというわけではなく、全国的にもやはり火災で焼失するのを防ぎたいという思いから、戦後に建てられた社殿では鉄筋コンクリート造の社殿も多くあります。また、先ほど社殿は小高い丘の上にあると申し上げましたが、社殿へ続く石段の横に石垣が積まれています。これはとても特徴的で、正面からしか見ることができませんが、訪れた際にはぜひ見てほしいです。





お写真も拝見しましたが確かに石垣がありますね!お城のような造りでかっこいいですね!境内地には先ほどお話いただいたような摂社をはじめ様々な見どころがあるので結構広いのでしょうか。



そうですね、それなりの広さがあります。周辺については、海が近いことはもちろんですが、実は駅からのアクセスもいいんです。最寄りの下関駅からはバスで10分程度で唐戸バス停に着き、それから徒歩ですぐですので車以外でのご来社もあまり難しくない環境です。ただ、バスで来られる場合にはバスの最終便が少し早い時間なので、その点だけ注意していただければと思います。
約2000個の明かりが灯る神社。市と共催の伝統的な林間学校も。



では、地域の方との交流についてお聞きします。地域の方を交えて行われている行事などはありますか。



当社での例祭などはほとんどが地域の自治会の方と共に行われています。2月の節分祭や7月29日・30日に開催される夏越祭での盆踊り、10月の秋祭りではお神輿も出るため、多くの地域住民の方にご協力いだいています。









また、「関門海峡キャンドルナイト」というイベントがあり、これは毎年11月に関門海峡を挟んで下関市と北九州市で同時開催されるイベントです。そのイベントの際に当社の石段にも約1000個のキャンドルを飾り、幻想的な光景を創り出しています。











キャンドルナイトのお写真、拝見しましたがとても素敵ですね!このキャンドルは1つずつ手作業で並べられているんでしょうか…。



そうです。全て手作業で並べています。



そうなんですね…!とても美しいですが、とても大変そうです…。





大変です(笑)。また11月はちょうど七五三のシーズンなので1日並べて一度撤収し、また並べ直します(笑)



そうなんですか!?それは…大変すぎますね…。約1000個ということでしたが、それを全て、2回やるとなるとかなりの労力ですね。見ている分には美しさを感じられるものですが、その裏に大変な作業があるかと思うと、頭が下がります。



大変ですが多くの方に来ていただける貴重なイベントですので、私たちも頑張りたい所存です。また、中の灯についてもロウソクではなくLEDライトにするという手法もあるのですが、やはり監修されている方は直火の方が温かさがあり良いのではということで、直火を灯しています。



そうなんですね…!おっしゃるとおりやはり人工的な明るさよりも直火で自然お明るさを演出できた方がより幻想的だと思いますが、本当にお疲れ様です。



ありがとうございます(笑)。この地域の季節の風物詩にもなっていると思うので、これからも続けられればと思います。他に特徴的な行事としては、小学生を対象とした林間学校も行っています。校区は特に問わず、保護者同伴であれば未就学児の参加も受け付けています。



林間学校ですか!お寺で実施されているのはよくお聞きしますが、神社様では初めて聞きました!









実はこの林間学校は、神社だけでなく下関市の教育委員会と共催しているんです。令和7年で開校から75周年を迎え、毎年9日間の日程で開催しています。上のきょうだいが参加したことがあり、下の子も参加させたいという保護者様や林間学校の卒業生が子供や孫を参加させてみたいという方もいます。







小学生のうちに親元を離れて過ごす機会はなかなかありませんよね。貴重な機会ですから、6年間のうち一度は参加してみてもいいかもしれませんね!この神社様ならではの行事もたくさんあるんですね。



他には生後半年~1歳半までの赤ちゃんを対象とした「泣き相撲」も行っています。赤ちゃん同士を向かい合わせて早く泣いた方が勝ち、というものです。キャンドルナイトや林間学校もそうですが、この行事にもボランティアの方の協力をいただいています。







可愛いですね!泣き相撲の広告も拝見しましたが定員100名と多くの赤ちゃんが参加できるんですね!泣き相撲御朱印もあるようで、赤ちゃんのイラストがとても可愛いです!



このイラストは宮司の知り合いのお嬢さんに描いていただいたもので、このように多くの方にご協力いただきながら行事は成り立っています。また、たこあげ大会も行っています。実は下関では昔凧あげ大会がとても盛んに行われていました。ですが、電線の普及や戦争の混乱によりいつしかその風習は廃れてしまいました。そこで、戦後に凧あげの風習を継承していこうという思いで、当社の節分祭に合わせて「たこあげ大会」が開催されました。現在市内で行っているのは当社しかなく、多くの凧があがる光景はとても貴重なものです。



なかなか現代の子どもたちは凧を作る機会がありませんよね。自分たちで凧を作る教室も開催されていると聞きました。



そうです。凧づくり教室も開催しており、これは市内の凧愛好家グループの方が凧作りの指導などにご協力をいただいており、凧作りが初めての方や子どもたちでも楽しく作れます!参加費が1000円かかりますが、ぜひ皆さんに参加していただきたいです!







本当に楽しい行事が目白押しですね!とても特色の多い神社様でワクワクできますね!
「お亀伝説」にちなんだお祭りも。下関の活気の一助は神社から。



子どもたちが参加できる行事も多いようですが、他に地域の方が参加されている行事はあるのでしょうか。



節分祭では大積神楽(おおつみかぐら)という神楽も披露しています。これは、北九州市の門司が発祥の神楽で、節分祭では鬼が舞を行いそれを神職が打ち負かすというような神楽を披露しています。とても迫力と見応えのある神楽です。他に珍しい行事としては「海峡ウォーク」という下関市を代表するイベントが4月に開催されます。これは明治維新に貢献した高杉晋作の没後120年をきっかけとして始まった行事で、高杉晋作が眠る東行庵という場所から、下関駅まで30㎞ほどを歩くもので、亀山八幡宮は「亀山本陣赤間の関」という関所になっており、当日はバザーや露店の出店、お茶の接待をされる方がいるなど非常に賑わう行事です。





徒歩で30㎞ですか!普段から運動をしていないとなかなか大変そうです(笑)。ホームページでは風鈴祭りや七夕祭りもされていると拝見しました。どのシーズンに来ても行事を楽しめる神社様ですね。



風鈴祭りは7月初頭から9月初頭までと2ヶ月間にわたり開催しているもので、七夕祭りは7月1日~7日にかけて開催しています。









また7月30日の夏越祭では花火大会もあります。規模は大きくありませんが地域の方に愛されている花火大会です。







その際には提灯で飾られた船にお神輿を乗せ関門海峡を一巡する海上渡御も行われます。これは「関の提灯まつり」とも呼ばれ、かつては提灯で飾り付けられたたくさんの船が、お神輿船にお供し海峡を巡っていたそうです。その光景が不夜城を彷彿とさせるようなイメージでとても幻想的だったそうです。そのお供の船の中で、乗船者は旬のタコに舌鼓をうちながら楽しんでいたようで、今でもお神輿船、お供の船の乗船者にはタコが振舞われています。







当時から色々と工夫がされていたんですね。次々に興味深い行事のお話が出てきますが、まだあるのでしょうか。



他に特徴的なものですと、5月に行われる五穀豊穣を祈る「五穀祭」で行われる、「八丁浜(はっちょうはま)総踊り」があります。







それはどういったものでしょうか。



この神社がある場所はかつて島で、江戸時代始め頃、この地の発展の為に良い港を造る工事で、陸続きになりました。その埋め立てられた広大な土地を「八丁浜」と呼んでいます。その時に、人柱として街の発展に貢献した「お亀さん」という女性を讃えるお祭が「八丁浜総踊り」です。







お祭りの際には「八丁浜エラヤッチャ」と掛け声をあげ、お囃子に合わせて杓子を叩きながら踊ります。この「エラヤッチャ」は「お亀さんは偉い奴だ」という意味です。江戸時代、この地を治めていた毛利藩は派手な歌舞音曲や酒宴などを禁止していましたが、八丁浜が行われる期間中はその禁止令が解かれ、町のいたる所に「賑わい勝手」の札が立てられ、騒いでも良い期間となりました。戦後に一時衰退した行事ですが昭和60年に市民祭として復活し、現在は「しものせき海峡まつり」に合わせて開催され、継承されている行事です。





どの行事もこの神社ならではのもので、とても町に活気があることが伝わってきます!神社はもちろんのこと、下関という町がとても賑わいに満ちた町なんだと分かりますね。
【神社にまつわるエピソード】
埋立工事の礎石となったお亀さん伝説。
亀山八幡宮が位置する場所はかつて島でした。ですが、江戸時代初頭に町の発展のために港町を作る計画が持ち上がり、埋め立て工事が行われました。ところが、海峡の流れは速く工事はなかなか進まないばかりか多くの人の命を犠牲とするほど難航しました。そんなとき、稲荷町にあった遊郭の遊女「お亀」という女性が、町かどに立った人柱募集の高札を見て、「我が身を滅して功あるならば」と人柱となり、海に身を投じ埋立工事の礎となりました。すると、その後難航していた工事は滞ることなく進み、人々はそれをお亀さんのおかげだと感謝し、神社の境内に彼女の功績を讃えイチョウの木を植えました。この木が「お亀イチョウ」です。お亀イチョウは戦禍で焼失したものの、新芽が成長し現在も当時の面影を残しています。
野球の神様とも言われる“落ちない”神社。


神社の大鳥居はその大きさだけでなく、もう一つ「大切にされる理由」があります。鳥居上部にかかる「亀山宮」という額の「山」の部分によく見ると野球ボールがぴったりとハマっています。なぜこんな所に野球ボールが?と思われるかもしれませんが、実はこのボールは昭和33年からずっとハマったままの物です。その当時、神社の前にあったガソリンスタンドの従業員の方が神社の階段に向かって壁あてをしていたところ、投げたボールがたまたま「山」の部分にハマってしまいました。当時の宮司に「すみません」と話したところ、当時の宮司は「神様のご縁がありハマったものでしょう、きっと自然に落ちてくると思いますからこのままにしておきましょう」とおっしゃられましたが、そのまま落ちることなく現在に至っています。ボールがハマって間もなく夏の甲子園大会で下関市の高校が優勝を果たし、違う年にも好成績を残しました。このことから野球の神様としても知られるようになり、高校球児の方がゲン担ぎで参拝されるようになりました。また最近では、「落ちない」ということから受験生も参拝されます。
初代ファーストレディと総理大臣を結んだ伝説の茶屋。
幕末の慶応元年、後の初代総理大臣・伊藤博文が刺客に襲われた際、亀山八幡宮境内にあったお茶屋に逃げ込みそこで彼を匿ったのが後にファーストレディとなる木田梅子でした。2人が初めて出会った茶屋があった場所には「お亀茶屋」跡の説明看板が立っています。
今後の展望
現在、神社では様々な行事を行っており、老若男女問わず多くの方にご参拝いただけるよう1つ1つの行事に工夫をしています。長く信仰していただきお宮を守り続けられるよう、これまでの伝統や歴史を守りつつも、注目していただける企画もしていきたいと思っています。
地域の方にとってなくてはならない神社であり続けたい、そんな思いを胸に、お宮の事をより知っていただければと思っています。
インタビューまとめ
神社ホームページを拝見して、その行事の多さにはインタビューを行う前から注目していました。実際にお話をお聞きしてどの行事もとてもユニークで機会があれば参加してみたいと思えました。落ちない野球ボールのお話や、伊藤博文とその妻を結んだ茶屋の伝説など、次から次に「この話はどんな話?この行事は?」と聞きたくなるものばかりでした。
下関駅からも近い場所にあり、車でも公共交通機関でもアクセスしやすい好立地にある亀山八幡宮。どこよりも見どころと魅力に溢れたこの神社は、神社巡りが好きな方はもちろん、球児の方、受験生の方など「こんな方に行ってほしい!」と自信を持ってオススメできるご利益の多い神社様です。
亀山八幡宮 アクセス情報
鎮座地:〒750-0004 山口県下関市中之町1-1
TEL:083-231-1323
FAX:083-232-5365
URL:http://www.kameyamagu.com/








コメント