関西国際空港があることで有名な大阪・泉佐野市。泉州地方の有名な町であり、空港などの利用で多くの方が足を運ぶ土地です。そんな泉佐野市の山側である日根野という町に慈眼院はあります。
今から1352年前というはるか昔に天武天皇の勅願寺として創建され、泉州で最も古い寺院として地域の方から慕われています。その境内には数々の価値ある建築物が残されており、鎌倉時代に建てられた多宝塔や金堂はそれぞれ国宝と重要文化財に指定され、歴史的建築物に造詣の深い方々がその姿を見ようと足を運ばれています。
そんな慈眼院の創建の由来から建築、周辺景観の特徴にいたるまでをご住職様にお伺いしました。
慈眼院とは

慈眼院の境内は非常に緑豊かで、そこへ一歩足を踏み入れれば日常の喧騒を忘れホッと心を落ち着かせられる空間となっています。特に多宝塔と金堂の周辺一帯は苔に覆われ、まさに非日常的な光景を見ることができます。境内には川も流れ、そのせせらぎを聞いているだけで心洗われる瞬間を体験することができます。
他にも、茶道体験や茶道教室も開催されており、普段はできないような貴重な体験をすることができます。また豊かな植栽もこちらへの訪問を楽しいものにしてくれる要素の一つであり、美しい花々が四季によってさまざまな表情を見せてくれます。
そこには1300年以上の時を紡いできた場所だからこそ感じられる、穏やかな時間の流れがあり、慌ただしく毎日を過ごす現代人にとってその時間の中に身を置くことはとても大切です。日常の中で目を向けることは少ないかもしれない、けれども確かに暮らしの中にある“異世界”のような特別空間です。
【慈眼院 特別インタビュー】

かつては弘法大師空海や豊臣秀頼によって一山が整備され、数々の人々の手によってその歴史は受け継がれてきました。隣接する日根神社の神宮寺(神社に付属して建てられた寺院)として建立され、現在でも神仏習合の名残を感じることができます。
秀頼が植えたと伝えられる姥桜は現在も毎年美しく咲き誇り、地域の人々に春を知らせてくれます。価値ある建築物や豊かな植栽など、見どころ満載の慈眼院をご紹介します。
国宝・重要文化財指定の建築物も秀頼植樹との姥桜が伝える春。

編集部まずは、こちらの寺院について歴史や由来からお聞きできますか。



当寺は天武2年(673)天武天皇の勅願寺として、覚豪阿闍梨(かくごうあじゃり)という僧侶によって創建され、創建当初は、井堰山願成就寺・無辺光院(いぜきさんがんじょうじゅじ・むへんこういん)と呼ばれていました。弘仁6年からの2年間は、宗祖弘法大師のご留杖(ごりゅうじょう=錫杖をとどめるという意味で、旅をしてそこに留まるという意味)により、多宝塔、金堂の造営を始め一山が整備されましたが、その後の戦火により度々荒廃しました。1602年には豊臣秀頼が一山を再興し奥之坊・山之坊・明王院・戒躰院・稲之坊・中之坊・下之坊などの諸建造物がこの時の造営によって再建されたと言われています。その頃に本山である京都の仁和寺の御門跡より「慈眼院」の名前を賜りました。中之坊が現在の慈眼院であり、隣接する日根神社の神宮寺でありました。このように現在も神社とお寺が現存する神仏習合の形を残しています。



では、慈眼院の特徴や見どころ、周辺景観についてお聞かせください。



関西国際空港がある泉州・泉佐野市の山手、日根野の土地にある泉州最古刹です。この辺りは昔から大井堰と呼ばれており、地元の方々からはお寺のことを大井堰御坊(おおいぜきごぼう)と呼んで頂いています。和泉山脈から流れる樫井川沿いに、隣接する日根神社と並んで慈眼院があります。境内は国の史蹟に指定されており、近年は一帯の地域が「『旅引付(たびひきつけ)』と二枚の絵図が伝えるまち」として日本遺産に登録されました。周辺には畑などが残る田舎風景の中に、外からは見えない所に国宝の多宝塔が建っています。その空間はそれまでの空気感とは違い、神聖なる神仏の世界に足を踏み入れたと感じられることと思います。また日根神社と合わせて、季節のお祭り時には一帯は賑やかになります。現在も神社とお寺が現存する神仏習合の形を残しています。



お話に出た『旅引付』とはどういうものでしょうか。



かつて泉佐野市には日根荘(ひねのしょう)という荘園が存在しました。1234年から1500年代初頭まで存続し当時の公家であった九条家によって統轄され、その広さは現在の泉佐野市とほぼ同等の面積であったと言われています。特に1501年からの4年間は九条家の政基(まさとも)公がこの土地に滞在し統轄を行いました。その当時に書かれたといわれる日記が『政基公旅引付』であり、当時の村の様子を克明に記した貴重な資料として宮内庁に大切に保管されています。



泉佐野市と同等とはかなり大きな荘園だったのですね。



そうですね。政基公は度々慈眼院に滞在したと日記には記されています。多宝塔と金堂が建てられた 1271 年は、この日根荘が栄えていた頃であり当時の人々の神仏への信仰の深さをうかがい知ることができます。また、日根神社との境には「慈眼院の姥桜」が植えられており、これも見どころの一つです。この桜は豊臣秀頼がこの辺り一帯の再興を行ったときに植えたと伝えられており樹齢400年を誇り、元禄時代に書かれたと言われる一山の絵図にはこの桜が描かれています。





また当寺では、大晦日に除夜の鐘を皆さんについていただいています。お正月の三ヶ日は多宝塔と金堂の扉を開け御開帳しており、年間を通じて中の仏様が拝めるのはこの3日間のみです。
貴重な茶道体験や毎日の勤行も。当時の技術を知れる水路も現存。



ホームページではお茶の教室などもされていると拝見しました。そういった教室は定期的に開催されているのでしょうか。



現在慈眼院では茶道教室を月に2~3回程度で行っています。また簡単にお茶の世界を楽しんで頂こうと、随時希望の日に茶道体験ができます。朝の勤行は毎朝 7時~8 時に行っており、どなたでも本堂にお入りいただくことができます。また月に一度、夜の座禅会も致しております。その他にも、いつでも写経ができるようにしております。気が向いた時、時間ができた時にいつでも書くことができます。







では、寺院の建築について特徴的な部分はありますか。



慈眼院の奥には、1271年に建立された国宝である多宝塔と重要文化財に指定されている金堂があります。度重なる戦火によりほとんどの堂宇は消失したと言われていますが、多宝塔と金堂は戦火を免れ現在にその歴史を残してくれています。現存する国宝の多宝塔は日本国内に6基のみであり、その中でも滋賀の石山寺の多宝塔と高野山の金剛三昧院の多宝塔が檜皮葺の屋根であり、当寺を含めて多宝塔の日本三名塔と呼ばれています。多宝塔と金堂があるエリアは一面苔に覆われており、外から感じるお寺の雰囲気とは別世界のようです。また境内には井川(ゆかわ)と呼ばれる川が流れており、とても風流な印象を受けます。この川は800年前に作られたと言われている水路で、近年「世界かんがい施設遺産」に登録されました。現在でも農耕期には使われており、全長3キロ程の行程を高低差3メートルというわずかな傾斜で作られており当時の土木技術の高さを窺うことができます。
今後の展望
慈眼院は、国宝や多宝塔に興味がある方が多く訪ねて来られる寺院ですが、まだまだその認知度は低く、今後は色々な方に知っていただきたいと思っています。お寺は一般の方によっては非日常的な空間であるかもしれませんが、昔から存在するこの神聖な土地を訪れていただき、当時の趣を感じていただければ嬉しく思います。
めまぐるしく変化する現代では心を安らかに保つことが難しい時もあります。そんな時、ふとお寺に立ち寄って心を穏やかにし、心の洗濯をしていただければ幸いです。心を癒すためには静かな空間に身を置き、静かに時を過ごすことが大切です。人々の疲れた心を癒すために、この先も穏やかで心安らげる空間を提供していきたいと思っています。


インタビューまとめ
ご住職がおっしゃるように、寺院へ頻繁に足を運ぶという方は一般的にはなかなかいらっしゃらないと思います。若い世代の方であればほとんど足を踏み入れたことがないという方もいるのではないでしょうか。ですが、慈眼院をはじめお寺という場所には、その外の世界にはない独特の落ち着きと安らげる空気があります。
日々の暮らしの中で、ゆっくりとした時間を寺院で過ごすということをあまり考えない方も多いかもしれませんが、人気のカフェや話題のスポットに行くよりも、時には寺院という場所で穏やかな時を過ごしてみるのもいいのではないでしょうか。
慈眼院 アクセス情報
住所:〒598-0021 大阪府泉佐野市日根野626
TEL:072-467-0092
URL:https://www.jigenin.or.jp/








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