護国神社とは、明治維新から第二次世界大戦において、国難(戦役・戦争)で亡くなられた方を「英霊」としてお祀りする神社であり、全国の都道府県に所在しています。主には英霊の顕彰を行い、平和を祈る場所として親しまれています。また、それだけでなく神社によって厄除けの御利益で有名な神社、子育てとの縁が深い神社など、それぞれに特色があり、地域においてなくてはならない存在です。
今回は、福井市に鎮座する福井県護国神社をご紹介します。昭和16年に創建されたこちらの神社では、聡明な人物として現在も地元で親しまれている、橋本左内先生をはじめ、数々の英霊をお祀りしています。周辺はとてものどかで穏やかな地域でありながら、県内随一の進学校や美術館・博物館なども点在し、福井市の中心地として多くの人が訪れるエリアです。
他県の護国神社とはどんなところが違うのか、どんな特色があるのかを、神職の方にたっぷりと語っていただきました。
福井県護国神社とは

創建は昭和16年。神社の始まりから84年の歴史がある福井県護国神社。明治天皇の命により、各都道府県に建てられた護国神社の1つとして、地域を見守ってきました。
境内は非常に広く、また緑豊かな環境であり、町中にありながら自然を楽しめます。神社では、先の大戦での英霊をお祀りしているだけでなく、幕末の志士として活躍した橋本左内先生をお祀りするなど、歴史上の偉人とも縁が深い神社です。その左内先生の志は、現在も受け継がれており、地域の子どもたちは15歳になると学校で「立志式」を行い、自分の将来の目標などを発表し、志を立てる大切さを学んでいます。
左内先生が目標とした「大丈夫=ますらを」の思いを大切にし、神社の御守りにも「大丈夫」の文字を使用したり、「ますらを太鼓」を結成したりなど、ただお祀りするだけではなく、先生が確かにこの地で生きていたことを伝えています。
【福井県護国神社 特別インタビュー】
昭和23年、先の大戦の戦火を免れた福井県護国神社は国内で初めて震度6を計測した大地震、またその年の翌月には九頭竜川の大洪水に襲われ、社殿の倒壊などの被害を受けました。
そこから、英霊の遺族、また地域の人々の尽力により新たな社殿が再建され、現在もその立派な姿を留めています。ただ、境内に鎮座する一対の狛犬は、戦火だけでなくこの震災への被害も受けることがなく、「不倒の狛犬」「無傷の狛犬」として、数々の方がその御利益を受けています。
授与品や狛犬、そして多彩な行事など、さまざまな魅力を誇る福井県護国神社の見どころを、たっぷりとお届けします。
電車・車でのアクセスも良好。アカデミックな立地に佇む緑多き境内。
編集部本日は、福井県福井市に鎮座されている、福井県護国神社様へのインタビューです。まず、神社周辺地域の環境からお聞きしていきたいのですが、周辺はどのような環境でしょうか。



周辺は住宅地が中心となっており、静かな環境です。すぐ近くに藤島高等学校という、県内一の進学校と呼ばれる高校や県立美術館や博物館などもあり、アカデミックな一面を備えた地域です。また、近くにはテニスコートなどがある大きな公園があり、神社境内だけでなく周辺にも緑の多い、気持ちの良い環境となっています。福井県護国神社は福井市内の北部にあり、その当時北部に大きなお社がなかったため、「福井の北面守護」の思いが込められて創建されました。北は方位においても影響の大きい方角です。



そうなんですね。ですが、これだけ緑が多い場所に足を踏み入れれば、日常とは違う空間を味わうことができると思います。参拝に来られた方からも、そういった声はあるのでしょうか。



はい。お参りに来られる方からも「ここはとても静かですね」「落ち着きますね」という声をいただいています。なお、なにか不安をお持ちの方は、八方除・方除けの祈願を受けていただき、より一層皆様にご安心いただきたいです。境内には大きな駐車場もありますので、お車でのご参拝も便利な神社です。公共交通機関では、福井駅から周遊バスが走っており、そちらに乗っていただくと100円で神社の目の前まで来ていただくことができます。



100円ですか!それはありがたいですね。駅からは少し距離があるようですが、この距離を100円で移動できるとは驚きです。



ただ、本数が45分に1本程度と、少なめの本数ですのでお時間だけ気をつけていただければと思います。



福井県というと、雪のイメージもありますが、積雪量はいかがでしょうか。



年によりますが、やはり雪は結構降ります。ですが、地元の方は雪には慣れっこなので、道路事情が許す限り、お車でご参拝いただく方も多いです。





やはり雪の地域の方は強いですね!



長いと2月末~3月の頭くらいまで降ることもありますが、大雪で困るほど、というわけではありません。雪のシーズンでもご参拝いただく方は多いです。
福井の志士・橋本左内の思いを継ぐ、創建84年の愛される神社。



では、まずこちらの神社のご由緒からお聞きできますでしょうか。



当社は、昭和16年3月27日の創建です。創建の経緯としては、明治天皇の思し召しから始まり、当時の内務省からの通達により、英霊のためのお社をお建ていただきたいというお願いがあり、当社もそれに倣い、さまざまな方のご協力のもとに創建されました。境内では、明治維新から先の大戦までの英霊、3万1994柱をお祀りしております。



比較的新しい神社様ということで、創建の年月日もハッキリとしているんですね。では、こちらの神社の魅力や特徴、ご参拝された方にぜひ見てほしい部分などはありますか。



当社は、県内でも非常に広い境内地を有している神社です。また、橋本左内先生をご祭神としてお祀りしています。左内先生は、幕末の志士として活躍された方で、元々はこちらでお医者様のご子息としてご誕生された方です。当時から非常に聡明な方で、幼少期から独学で三国志などを読んで勉強なさるような方でした。また、医師としての学問も独学でなさるくらいの方だったそうで、本当に聡明な方でした。また、元服を果たした頃から、大阪の適塾に入り、緒方洪庵先生に師事をして、洪庵先生から「池中の蚊龍(ちちゅうのこうりゅう)」と呼ばれていたそうです。蚊龍というのは、活躍をするために力を溜め、今にも池から飛び上がり天に昇る龍であるという意味で、その龍のような逸材だという評価を受けていました。



本当にとても優秀な方だったんですね。



そして、福井に戻られてから医師としてお勤めを始めるのですが、非常に聡明であるということから、当時の福井藩主の松平春嶽公からそのお力を認められ、身分を武士へ格上げし、ご自身のお側仕えの一員として迎えられました。そして、先ほど申し上げた藤島高校は、かつて明道館(めいどうかん)という藩校(藩のための学校)で、左内先生はそちらの校長にも抜擢され、教育にも非常に力を注がれたそうです。当時は幕末の動乱の時期で、黒船の来航や日米和親条約なども勅許を得ずに行われるなど、混迷を極める時代でした。そして、左内先生は春嶽公と共に、日本の行く末を変えるためにご尽力されました。特に将軍継嗣(けいし)問題は重大であり、当時は第14代将軍をどなたになさるかで、幕府内で意見が割れていました。お二方は後の第15代将軍となる一橋慶喜公を推しておられました。そのためにさまざまな策も巡らせましたが、その行為が幕府に目を付けられてしまいます。橋本左内をこれ以上放っておくのは危険だということで、安政の大獄によって残念ながら捕えられ、わずか26歳という若さで斬首となりました。明治の幕開けに大きな礎を築かれた方のお一人です。この地元でも、英雄として現在も愛されています。



こちらの地域では、左内先生の生涯を知らない方はいらっしゃらない、という存在でしょうか。



そうですね。地元の小中学校生は知っている方がほとんどで、現在でも15歳になると「立志式」というものを行っています。これは、日本古来の元服式に倣い、左内先生がかつて自分の心構えとして残された啓発録より目標を持つ大切さを説いた「立志(こころざしをたつ)」という言葉をいただき、自分自身の目標を全校生徒の前で発表するという儀式です。地元中学生は、必ず左内先生のお話を聞いていると思います。



この地域にとっても、大きな影響力を持った方だったんですね。また、立志式が今も続いていることはとても素晴らしいと思います。なかなか、思春期の頃に自分の目標をじっくりと考えることもないと思うので、生徒の皆さんにとっては良い機会になると思います。



境内には、左内先生の思いを表した「急流中底之柱(きゅうりゅうちゅうていのはしら)」や、先生のお姿と背比べができる「背のび石」などがあり、それらもぜひ見ていただければと思います。



左内先生の思いが、今もこの地域には受け継がれているんですね。
震災からの見事な復興。上質な越前和紙を使った貴重な御守りも。



では、神社の社殿について、特徴的部分はありますか。



当社の社殿は、残念ながら、昭和23年の福井大震災によって倒壊し、さらに復旧のために残してあった木材が同年の九頭竜川の大洪水によって流されてしまいます。
その後皆様のご奉賛により、震災から3年後に新しく本殿・拝殿を作り直すことができました。そちらが現在の社殿となります。そういった経緯ですので、神社としては少し珍しいかもしれませんが、木造社殿ではなく鉄筋コンクリート造の社殿なんです。鉄筋コンクリート造と聞くと不思議に思われる方もいらっしゃると思いますが、やはり一度震災で倒壊してしまったということもあり、地震に強い建物を建てたいという願いを込めて、鉄筋コンクリートでの再建となりました。



今では、耐震を意識することは当たり前になりましたが、当時としては珍しいことだったと思います。ですが、そのおかげで今日までその姿を留めているんですね。



かつての社殿は、護国神社造りと呼ばれる、両脇が張り出した形の社殿で、それが名残として残っています。また、近年新たに「水玉の回廊」というものを敷設させていただきました。



そちらはどういったものなのでしょうか。



左内先生が亡くなられる直前に、松平春嶽公から水玉模様の越前和紙で包まれた、当時としてはとても貴重な麝香(じゃこう)が贈られました。左内先生は、自分の死期を悟っていましたので、それを使わずにそのままご自身のお母様へ贈られました。そして、お母様もまた、息子である左内先生の形見として、生涯大切にされていたそうです。その水玉模様は、現在も当社の御守りに用いており、また昨年終戦80周年を迎えた記念事業として、「水玉の回廊」を設置しました。皆さまのお願いごとが書かれた短冊が回廊一面に掛けられております。その思いもあり、その光景はとても美しく、参拝者の皆様にも喜んでいただいております。





素敵ですね。この短冊のデザインも神社の皆さんで考えられているのでしょうか。



はい。神社の職員で考案しています。



御守りも拝見していますが、「大丈夫」という3文字がとても安心感を与えてくれますね。





お受けになった方からも、そういったお声をよくいただいています。



もちろん、御守りと書かれているだけでも、日本人にとってはそれがとてもパワーを貰えるものだという認識はあると思いますが、「大丈夫」と言ってもらえると、より強く、自分自身を信じられると思います。



実はこの「大丈夫」という文字は、「ますらを」と読みます。これは、左内先生が勉強をなさるときに、「急流中底之柱、即是大丈夫之心」という言葉を、書箱の表に書いておられました。ご自身で目標を立てて、勉学に励まれたというエピソードがあり、どんな荒波の中でも立っている1本の柱のような、立派な人間になるという意味が込められています。



そうなんですね!「ますらを」という言葉、恥ずかしながら初めてお聞きしました。



また、御守りの色も漆黒で、何色にも染まらない強い信念を持ち、物事に取り組む大切さを表しています。御守りの中には、内符(ないふ)と呼ばれるお札が入っているのですが、こちらは人間国宝の方に梳いていただいている和紙で、余計な汚れが入っておらず、破れにくい和紙を使用しています。「神様とのご縁が途切れませんように」との願いが込められています。





なるほど!確かに、越前の和紙は昔からとても良質なものだったとお聞きしたことがあります。現在もその技術を受け継がれている人間国宝の方がいらっしゃるんですね。そちらの技術を継承されている方はいらっしゃるのでしょうか。



その方のご子息が後を継がれているようで、道は将来にも繋がっています。



それは良かったです!これから人口が減少する中で、伝統技術の継承は難しくなると思いますので、一つでもそういったお話があると私も嬉しいです。また、ホームページでは御守りの一つとして、鉛筆を拝見しました。「神筆 大丈夫」と書かれた鉛筆、とてもかっこいいですね!



こちらの鉛筆も少し特徴的で、普通の鉛筆は芯の先が茶色になっていると思いますが、この鉛筆は上から下まで真っ黒なんです。



シックなデザインでかっこいいですね!小学校の入学祝いなどにも贈りたいです。
県内で大注目の「泣き相撲」。赤ちゃんとお母さんにも優しい神社。



では、地域の方と共に行われている行事などはありますか。



多くの方にご参加いただいているのは、4月29日に行われる「ふくい泣き相撲」という行事です。これは、生後半年から1歳半までのお子さんにご参加いただけるもので、現在は放駒部屋(はなれごまべや)の力士さんたちにお越しいただき、実際に赤ちゃんを抱っこしていただきます。そして、大きな声で泣いた赤ちゃんが勝ち、というものです。古くから地域の皆さんに支えられて成り立ってきたお祭りです。





とても平和で可愛い行事ですね!



抱っこを担当するのは、序二段・三段目の力士さんです。さらに、幕内の一山本関も毎年お越しくださり、取組みの後には赤ちゃんを抱き上げ、ご家族と一緒に写真撮影を行っています。力士に抱っこされた赤ちゃんは強く育つと言われており、そうした願いを込めて、この行事は受け継がれています。



毎年何名くらいの赤ちゃんが集まるのでしょうか。



今年は320名以上のお子様がご参加いただきます。3月1日から募集を開始しますが、4日後には予約がすべて埋まってしまうほど人気の行事で、本当に地域に強く根付いている行事です。赤ちゃんが産まれたら、福井県護国神社の泣き相撲へ、と思う方が増えていると思いますので、当社としても非常に喜ばしく思っています。



とても素敵ですね!また、インスタグラムでは、子どもたちが太鼓を叩いている様子も写っていますが、小学生の子どもたちも参加されているのでしょうか。



こちらは、福井県護国神社にて15年以上前から存続している、「ますらを太鼓」という太鼓のチームです。下は保育園児の子から、上は高校3年生までのお子さんで結成されています。現在は30名ほどのメンバーで活動しています。当社で稽古を重ねて、地域のお祭りやイベントなどに出向き、演奏させていただいています。







地域の子どもたちにとっては、この太鼓を叩けることは誇りの一つでもありますね。とても良い思い出になると思います。神社と深く関われる行事があれば、大人になって地元を出たとしても、帰ってきたときに神社へ来て懐かしい気持ちになったり、いろいろなことを思い出せると思います。



そういった存在になれると嬉しいです。子どもたちにとっても、神社は特別な場所、というよりも身近にあっていつでも集まれる場所として存在できればと思います。また、ほかにもガールスカウト福井第33団というものもあります。これは当社の御鎮座80周年を記念して、令和4年4月10日に発足されたものです。





お正月行事での甘酒の提供や、泣き相撲、みたま祭の神振行事など、神社に関連する行事をお手伝いしてくれています。「神道の思いに触れた、健全な子どもたちが育ちますように」との思いが込められており、子どもたちが笑顔で毎日を楽しく過ごせることこそが、英霊の方々が望んだ未来と信じ、こういった活動の輪も広げています。
ランドセルを通じた海外との縁。「不倒」「無傷」の御利益ある狛犬も。



では、神社内での行事で特にこの神社ならではの行事はありますでしょうか。



当社は英霊をお祀りしているため、御霊をお慰めする一番大きな行事として、8月15日の英霊感謝大祭は欠かすことができません。こちらのお祭りには、英霊のご遺族をはじめ、地域の皆様にもお参りいただいております。お盆の暑い時期ではありますが、護国神社としてはとても大切にしている行事です。また、毎年9月から10月にかけて、中秋の名月に合わせた「月読(つきよみ)」という行事もあります。こちらは夜に行うのですが、福井出身の、福田布貴子さんというフリーアナウンサーの方をお招きして、それぞれのテーマに合った朗読をさせていただいています。月夜の明かりの下で、英霊の物語を朗読していただき、それに合わせて雅楽やエレクトーン、フルートなどの演奏を聞くこともできます。こちらも福井県護国神社ならではの行事だと思います。



素敵ですね!子どもたちはもちろんですが、大人でもなかなか雅楽などに触れる機会はありませんし、神社でいろいろな行事が開催されていると、地域の方も足を運びやすいですよね。



他に、子どもたちにまつわる行事としては、勧学祭があります。ランドセル清祓はご入学・ご進級にあたり学業成就と通学安全を願い、またランドセル感謝祭は6年間お世話になったランドセルに、感謝の思いを込めて清祓する行事です。皆様からお預かりしたランドセルは、その後アフガニスタンの子どもたちへ届けられます。今年は110個のランドセルをお送りさせていただきました。最近のランドセルは、とても頑丈な作りなので6年間使ったものでもとても綺麗なものが多いです。日本のランドセルは海外でもとても人気なので、そういった意味でも良い事業だと思っています。







では、神社にまつわる特別なエピソードはありますでしょうか。



福井市は、昭和20年に大きな空襲に遭い、市内もろともすべて燃やし尽くされてしまいました。ですが、護国神社の一歩手前で焼夷弾が尽き、護国神社だけは戦災を免れました。多くの方々がこの神社に逃げて無事だったというお話がございます。ただ、その後の震災の被害は受けてしまったのですが、戦火を免れた神社ということで、地域内ではとても大切にされてきた神社です。



とても強運な神社なんですね!ご利益も大きそうです。地域の方にとっても、特別な神社だということがよく分かります。



また、そちらに付随するお話ですが、冒頭に申し上げた、創建当初から残っている一対の狛犬は、戦災も免れ、震災の際にも正面から見て右側の狛犬は倒れることなく残っており、不倒の狛犬と呼ばれています。





震度6を計測した初めての震災と言われているのですが、その中でも倒れることなく座り続けていました。また、向かって左側の狛犬も、残念ながら土台から落ちてはしまったのですが、その際に地面にはまるような形で落ちたそうで、起こしてみたところ傷が一切ついていなかったそうです。こちらは、無傷の狛犬と呼ばれています。





不倒の狛犬には、自身でご商売を営まれている方などが、事業が上手くいくように、また無傷の狛犬の方には、怪我や病気をしないように、あるいはそれらが治るようにと願いを込める方が多いです。昔からそのように信仰されてきました。
今後の展望
私たちは、この神社を100年先も続く慰霊の場所として、綺麗なまま残していきたいと考えています。そして何よりも、福井県に住まわれる方が、必ず一度はお参りしたことがある神社となるよう、神社の魅力を伝えていきたいです。全国の護国神社に感謝を申し上げると共に、平和を祈る社の場として、この神社を残していきたいです。
インタビューまとめ
今回のインタビューでは、神社の権禰宜様2名にお話をお伺いしました。お2人ともこの神社のことを本当に愛されていて、地域の方との交流も大切にされているのが伝わりました。
特に伊藤権禰宜は、泣き相撲での行司も務められているそうで、赤ちゃんたちの元気な泣き声が活力にもなるとおっしゃっていました。福井県の護国神社は、とても温かく地域の皆さまを愛し、そして地域からも愛されている神社だと、とてもよく分かりました。雪のシーズンでもお参りは可能とのこと、福井旅行の際には、ぜひ市内でも賑わいのあるこの地域と神社を訪れてみてください。
福井県護国神社
住所:〒910-0016 福井県福井市大宮2丁目13-8
TEL:0776-22-5872
FAX:0776-22-2035
URL:https://www.fukuigokoku.jp/








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