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和利宮 吾妻神社(わりのみや あがつまじんじゃ)御刻印と温泉地で栄える、群馬一町に愛される神社。

我妻神社境内

日本人が大好きな温泉地。中でも草津温泉と言えばその名を知らない人はいません。そんな全国から愛される草津温泉や四万温泉などの温泉地のすぐそばに鎮座する和利宮 吾妻神社。詳しい創建時期などは不詳であるものの、火災の被害に遭った後には著名な彫刻家の方が社殿再建に携わるなど、伝統と由緒を持つ神社です。

地域からのたゆまぬ愛を受け、現在でも神社の方だけでなく総代会をはじめ地域の方々の尽力によって支えられている神社です。御朱印の豊富さだけでなく、群馬初の「御刻印」プロジェクトへの参加、活気あるお祭りの復興への尽力など、神社の勢いを止めないためにさまざまな試みをされています。

今回は、神社で禰宜を務められる方へお話を伺い、この神社の魅力や特徴的な部分を詳しくお聞きしました。

目次

和利宮 吾妻神社とは

我妻神社鳥居

明治時代の神社合併により周辺の151社、54柱の神様が集まりその御利益は数知れないものとなっている和利宮 吾妻神社。特に病気平癒の御利益があるとして知られ、昔からさまざまな病気の治癒を願い訪れる方は数知れない神社でした。最近ではガン封じの御祈願に来られる方も多く、関東のみならず全国から和利大明神のお力を借りようと多くの方が足を運ばれています。

行楽シーズンには美しい紅葉を見ることができ、イチョウのカーペットは地域では有名で、その光景を見るために訪れる方もいるほどです。国道沿いにあり参拝しやすいロケーションでありながら、境内周辺は多くの木々に囲まれ緑の中でホッと一息つける場所です。

七夕伝説にも劣らない和利大明神の夫婦の伝説もあり、お祭りなどの行事だけでなく聞いて楽しめるお話もあるなど魅力あふれる神社です。

【和利宮 吾妻神社 特別インタビュー】

神社の方自ら、「地域からの愛は群馬一」と自信を持ってお答えになるほど、吾妻郡の皆様からご奉仕を頂いている貴重な神社です。コロナ禍で縮小してしまったお祭りの再興にも尽力され、少子化が進む時代においてもこの先も地域の方に愛される神社であり続けられるよう、神社でも努力をされています。

群馬で初めてとなる御刻印プロジェクトへの参加による影響や、この先の神社のあり方、現在の思いについてたっぷりと語っていただきました。

151社、54柱の神が集まる神社。病気平癒をはじめとしたさまざまな御利益。

編集部

群馬県吾妻郡(あがつまぐん)に鎮座されている和利宮 吾妻神社様へのインタビューです。まずはこの町のことからお聞きしていきます。鎮座地の吾妻郡はどういった町でしょうか。

とても自然豊かで長閑な地域ですが、近くには有名な草津温泉や四万温泉。伊香保温泉など全国的に知られている温泉地がある町です。群馬に来たことがないという方でも名前を聞いたことはある温泉地がたくさんあります。

編集部

草津温泉などがある町ですね!それは観光客の方もたくさん来られそうですね。では、こちらの神社の歴史・由来についてお聞きしたいと思いますが、ホームページでは創建時期不詳と拝見しました。

そうですね、詳しいことは分かっていないんです。ホームページに記載のあるとおり上古の時代、つまりとても古い時代に創建されたと伝えられており、歴史の中で一度火災に遭っています。その際に古文書や歴史資料が全て焼失してしまい、神社に関する詳しい歴史が分からなくなってしまったようです。このホームページは私が作成したものですが、一般的な他の神社様の由緒書きのように作りたいと思い、町誌をはじめこの町の歴史に関連する書籍などをあたり、さまざまな情報を総合的にまとめて作成したものです。ただ、ここに書かれていることが全て正しいというわけではなく、さまざまな意見もありますし、はっきりとした詳しいことは分かっていないんです。

編集部

辿るのが難しいほどの長い時を刻んできた神社なんですね。では、御祭神についてお聞きします。こちらでは周辺の神社151社、54柱の神様を合祀されていると拝見しました。とても多い数ですね!

かなり多いと思います。明治以前の神社が合併される前までは和利宮(わりのみや)と呼ばれていましたが、神社合併や町村制などにより神社が合併するにあたり周辺の151社、54柱の神様がここに集結しました。現在、ここは中之条町大字横尾という住所ですが、かつては名久田村(なくたむら)という名前でした。その村は5つの村が合併してできた村で、村ごとに神社があったため、それだけ多くの神社が集まったと言われています。一般的な神社では、境内に摂社や末社がある所が多いのですが当社では54柱全ての神様が本殿にお祀りされており、小さな祠はありますが摂社・末社はありません。摂社や末社がない分多くなったのだと思います。主祭神は大穴牟遲神(おおなむちのかみ)で、一般的に大国主命(おおくにぬしのみこと)として知られている国創りの神様です。当社は病気平癒の神社として崇敬を集めており、大国主命は「因幡の白兎」の神話で白兎を助けた神様として有名です。また医薬の神様でもあり、そういった所以から多くの方が病気平癒を願って参拝に来られます。特に関東一円からは多くの方にお越しいただき、さまざまな方の御祈願をお聞きしています。

編集部

他には菅原道真公や譽田別命(ほんだわけのみこと)、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)など誰もが知る神様もお祀りされていますね。

商売繁盛や五穀豊穣の神様として有名な宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)や、伊勢神宮の外宮にお祀りされている「食」の神様でもある豊受大神(とようけのおおかみ)など本当にさまざまな神様が鎮座されています。またここの土地柄として、四万温泉は「四万の病を治す」という意味で付けられた名前であり、昔から病気を治すなどの目的でこの地に旅行に来られて、この神社は旅の途中で寄れる場所に鎮座していますので、昔からその目的で参拝される方は多かったのだと思います。最近ではがん封じでお参りに来られる方も増えています。がんは治りにくい病気であり、病院にかかっても治癒しないという時に神様の力を少しでもお借りして、治すというよりは少しでも良くなるようにと願われる方が多いようです。四万温泉には日向見薬師堂(ひなたみのやくしどう)という病気平癒のお堂があるのですが、そちらを併せてお参りされる方が多いです。

著名な彫刻家による社殿再建。ロマンチック街道に面した貴重なロケーション。

彫刻
編集部

ここまでのお話だけでもかなり特徴がある神社様だと思いますが、それ以外にもこの神社ならではの特徴はありますか。

当社の社殿は小林源太郎という著名な彫刻家の方が携わったもので、彫刻が好きな方もよくご来社されます。私自身は彫刻に詳しいわけではないのですが、小林さんのファンの方はよく知っていらっしゃって、詳しく教えてくれることもあります。私が調べたところでは、小林さんのお父様と共に彫刻家として活動されていたようで、群馬でも一番大きな榛名神社(はるなじんじゃ)などの門の彫刻を手掛けていらっしゃいます。そして、著名な彫刻家となってからは独立され新潟で主に活躍されていたそうです。当社の彫刻は、火災に遭ってからすぐ施されたものでそういった点もファンの方にとっては価値があるようです。それだけにとても見応えのある彫刻です。

編集部

ホームページで社殿のお写真を拝見していますが、確かにとても精緻な彫刻ですね。腕のある方が手掛けられたことが分かります。

1点特徴的なのは、拝殿の中央に彫られているカタツムリの彫刻です。中央というのは社殿の中でも最も重要な部分です。そういった場所にカタツムリが彫られているというのはどういう意味なんだろうと気になっており、小林さんの当時の意図は分かりませんが、火災に遭ったすぐ後に建てた社殿だったこと、そしてここは農村地域の神社なので雨乞いの意味も込められていたのではないかと考えています。先ほどの病気平癒の話も繋げるとしたら、カタツムリは最近ガンの治療に使われることもあるそうで、病気平癒、ガン封じにご利益があるのかもしれません。また、正面には火除けの龍が彫られており、これは二度と火災に遭わないようにと彫られたのかもしれません。由緒や古文書がない分、そういった推測を楽しまれている方も多いようです。

カタツムリの彫刻
編集部

こちらの地域では冬場の積雪量はいかがでしょうか。

近年はあまり積もることはなくなりました。2月頃に大雪の日が何度かありますが、1mや2m積もるということはなく30㎝~40㎝ほど積もるという感じですので年間を通してお参りしていただけます。ただ、やはり冬場よりは行楽シーズンに来られる方が多いです。当社は紅葉もとても美しく冬が始まる前にはイチョウのカーペットを見ることもでき、その光景を見に来られる方も多いんです。

イチョウのカーペット
編集部

イチョウのカーペットのお写真、ホームページで拝見しました。とても見事な美しさですね!

銀杏の実もたくさん落ちるので、この光景を創り出すのは大変な面もあるのですが(笑)、多くの方に喜んでいただけるのでやりがいもあります。桜と同じでこの光景が見られる期間はとても短いですし、限定的な景色だからこそたくさんの方に見ていただければ嬉しいです。

編集部

境内には緑も多く、生い茂っているという印象ですがいかがでしょうか。

そういった雰囲気もあるのですが、当社に向かって左側には国道が走っており、国道に面した参拝しやすい立地です。その国道は栃木の日光の方面から長野へ抜ける際に必ず通るロマンチック街道と呼ばれる有名な街道です。それ故に通りがかったついでにふと立ち寄ってみたという方も多く、いつも通っているけれどこんなに大きな神社だとは思わなかったという声もあります。またこの木々は最近、総代さんと呼ばれる神社の役員の方々が無駄な木を間引いてくれたため、少しスッキリしました。国道沿いにあり参拝しやすい立地ながらも、神社は森に囲まれており心を落ち着かせられる場所です。神社に向かって右側には名久田川(なくだがわ)という大きな川が流れており、その川が崖になっていてその下に吾妻川が流れています。

編集部

参拝される方は車でのご来社が多いのでしょうか。

大半の方がお車で来られます。ごく稀に電車で来られる方もいますが、9割以上は車で来られて近くのご飯屋さんに行かれたりしています。ロケーションとしては田舎の方の神社になりますので、毎月参拝していただくのは難しいかと思いますが、それでも来ていただける方が多いのは嬉しい限りです。

群馬初の御刻印プロジェクトへの参加。ライダーにも親しまれる神社。

編集部

温泉地が近いと思いますが、観光客の方も多いのでしょうか。

草津温泉、四万温泉と合わせてお参りする方が多いです。最近は御朱印集めがブームなこともあり御朱印巡りで来られる方も多いですが、御朱印帳を拝見すると他県で求められたものをお持ちいただく方が多いと思います。他に当社の特徴としては、2025年の4月から御刻印というプロジェクトにも参加しています。

編集部

御刻印ですか?それはどういったものでしょうか。

バイク好きの方や旅行好きの方が求められることが多いもので、革製のベルトに、プロジェクトに参加しているお寺や神社の刻印を自分で押して集めるという内容です。当社は2025年の4月1日から参加しており、そのプロジェクトに参加するようになってから神社の知名度も上がり、全国から来ていただけるようになりました。この御刻印というプロジェクト自体は3~4年ほど前に始まったものですが、群馬県では当社が最初にプロジェクトに参加しました。群馬県はバイクを乗っている方も多く、普段はあまり神社参拝しない方も御刻印を通じてお参りくださるようになりました。

編集部

そうなんですね!ライダーさんと神社が結び付くイメージがあまりありませんでしたが、そういったプロジェクトを通じてさまざまな方に神社の事を知っていただけるんですね。刻印はどういったもので押すのでしょうか。

プロジェクトに参加している神社などには御刻印という専用の機械が常時整備されており、御刻印を押すための専用ベルトが御守りになっています。ご自分で持たれている腰ベルトなどに押してはいけないので、御刻印専用の革ベルトに刻印機で跡を付けるようなイメージです。

編集部

なるほど。御朱印などスタンプのように押すのではなく刻むんですね。それは特別感がありますね!

本当に多くの方が受けられます。最近では関東はもちろん、群馬でも大きな神社様が参加されていて、群馬全体が御刻印で少し盛り上がっています。

編集部

ホームページで刻印のお写真を拝見しましたが、とてもオシャレですね!アクセサリーとしても身に着けたくなります。

御刻印はライダーさんに人気というイメージもありますが、女性の方でも受けられる方は多いです。旅行好きの方や御朱印と合わせて集めている方もいます。新しい神社参拝の形として知っていただければ嬉しいです。また、御刻印を受けられた方には無料で千社札を配布しており、それを集めるのも楽しみになっているようです。御刻印のマークもそれぞれの神社や地域にちなんだもので、同じものはありません。当社では吾妻郡は温泉が有名なこともあり、温泉のマークを採用しています。そういった各神社様に所縁のあるマークなどを刻印のデザインとして使っています。

地域からの寵愛は群馬随一。縮小したお祭りの復活にも尽力。

編集部

では、神社で行われている行事についてお聞きします。温泉地も近く観光地ですが、地域の方と共に実施されている行事はありますか。

特別変わった行事はありませんが、春と秋に例大祭を行っています。私がこちらに奉職した時には既にコロナ禍で、お祭りも役員さんが参加されるだけのお祭りでした。それでは少し寂しいと思い、キッチンカーを呼んでみたり、それまで氏子地域の獅子舞や神楽舞だけだったものを、地域で和太鼓を披露される団体を呼んだりと、活気あるお祭りにしようと取り組んでいます。そのおかげで、郡内では最も人が集まるお祭りになったと思います。

編集部

ご自身で活気を復活させようと思われ、さまざまな取り組みを行われているんですね!せっかく受け継がれている神社ですから、お祭りも賑やかにしたいですよね。

昔は国道沿いまで出店が出ていたという話も聞いていましたので、それを再建したいと思ったんです。他にもさまざまな団体さんにご協力を賜り今年の春のお祭りはこれまでで最も賑やかに行えたと思います。地域の方もお祭りが賑やかだと喜んでいただけるようで、とても楽しそうなお顔をたくさん見ることができました。

編集部

やはりお祭りは地域の方に一番楽しんでもらいたいですよね!奉職されてからの期間で新しい取り組みをされていること、とても素敵です。

また、コロナ前には子どもの獅子舞も披露していました。現在は少子化でなくなってしまいましたが、これも全国的には珍しい風習でした。ですが、いずれは中之条町全体で復活させたいと思っています。後世に伝えていくために、今は頑張らなければならない時期だと思っています。

編集部

伝統を残していくために、今が頑張り時ですね!最も多くの方が来られるのはお正月でしょうか。

やはり三が日がピークですが、上京した方などもこちらへ帰省して参拝に来てくれることもあり、本当に多くの方で賑わいます。当社では1月1日~御朱印を書き入れていますので、それを目当てに元日に来られる方も多いです。神社様によっては忙しく対応が難しいことから書置きの御朱印を渡される所もあるかと思いますが、やはり1月1日は特別なので、できるだけ書き入れてお参りの証として受けていただければと思います。

編集部

境内の鳥居も綺麗な朱色で印象的です。

この鳥居は昔から当社のシンボルとして守られてきました。神社の名前が吾妻神社と郡の名を頂いているだけあり、地元の方はこの神社を誇りに思っている方も多いんです。この鳥居も寄付で建てさせていただいたものですし、最近では参道が少しガタガタになってきたということで、総代さんや地元の有志の方が集まってくださり、工具などを地元の工務店さんにお借りして皆さんで直してくれたんです。専門業者に依頼するよりもずっと安価に修繕することができ、これだけ神社のために総代さんが動いてくれる神社は全国的にも珍しいと思います。

編集部

本当に地元の皆さんに愛されているんですね。神社のことを普段からよく見ている方が多いという証だと思います。

皆さん「奉仕の精神でやっていることだから」と仰ってくれるのですが、この時代にここまで神社のことを思っていただけるのは本当にありがたいです。その分、私たちも地域の為に頑張ろうと思えますし、地域との結びつきの強さは群馬一だと自信を持って言えます。

編集部

その力強いお言葉、とても信頼できます。同じ場所で何百年も地域を見守ってきた神社ですから、それを地域の方に感じ取ってもらえているのでしょうね。若い世代の方や子どもたちはなかなか神社に馴染みがない方も多いと思いますが、こんなに神社が愛されている地域なら後世にも受け継がれていくでしょうし、この先も町に守られていく神社だと思います。

【神社にまつわるエピソード】
和利大明神(大穴牟遅命)夫婦の伝説「和利宮縁起(わりのみやえんぎ)」

当社の御祭神である大穴牟遲神(おおなむちのかみ)かつて和利大明神として地域の方々に親しまれていました。

その昔、伊勢国阿野津(現在の三重県津市)の阿部権守広明は子宝に恵まれず、伊勢大神宮に参拝したところ、児守(こもり)の明神に願掛けをすると良いという神託を受け、そのとおりにお願いしたところ間もなく奥方は女の子を産み「子持御前(こもちごぜん)」と名づけられました。姫はとても美しく気立ての良い娘に成長し、16歳の春、継母の弟であった「加若次郎和利(かわかのじろうかずさと)」と結婚しました。

夫婦は平穏に暮らしていましたが、ある時夫婦で伊勢神宮へ参拝したとき、伊勢の国司が姫に一目ぼれしてしまい、和利に国司の職を譲るので姫を私にくれないかと持ちかけました。ですが和利は、「国司の職と妻を替えてもよいという男が居たら、その男に職を譲れば良い。私はそれほどの男ではありません」ときっぱりと断りました。

それに立腹した国司は、和利が国を乱そうとしていると虚偽の文を関白の父に送り、激怒した関白は和利を下野國(現在の栃木県)へ流刑しました。ですが、お腹に和利の子を宿していた子持御前は和利を救うため、乳母の局と共に和利の叔父である藤原成次がいる上野國(現在の群馬県)に向かいました。その旅の途中、尾張國の熱田神宮にて熱田明神を拝むと間もなく産気づき、その場で若君を産み、乳母に背負わせ旅を続けました。不破の関所を超えたとき侍に出会い、その侍は姫の哀れな姿を見て共に旅することを決めました。中山道の木曽路でも武士に出会い、姫の不憫な話を聞き、共に成次のいる上野國の山代庄(吾妻郡)へと向かいました。

無事に成次の元へ到着し事情を話すと和利を救うべく、成次は2人の侍を連れて下野國へ出発しました。下野國に到着すると和利は牢の中に閉じ込められていましたが、2人の侍の神通力により牢番を眠らせ、和利を救うことに成功しました。

姫はいても立ってもいられずお出迎えのために逢山(中之条町青山)まで駆けつけ、和利と再会し逢山の川端で手を取り合い寄り添いました。このことから、この場所が逢山(青山)、この川を涙河(名久田川)と名づけられたと言われています。和利は2人の侍に感謝し、今後は2人で世の人々を救うため神通力をお授けくださいと言い、2人は神通力を備えることができました。神通力を与えた侍の一人は尾張國守護神の「熱田大明神」で、もう一人の侍は信濃國鎮守の「諏訪大明神」でした。

その後、加若和利は見付山(和利嶽※現:嵩山)の峠に神として現れ、「和利大明神」として和利宮(吾妻神社)に祀られ、子持ち御前は子持山に神として現れ「子持山明神」として子持ち神社に祀られることになりました。

今後の展望

今後はお祭りなどを通して神社にもう一度活気を取り戻したいと思っています。昨年のお祭りでは多くの方にご協力を賜り、活気ある縁日なども開催することができ、神様にも喜んでいただけたと思っています。

少子化が進む地域ではありますが、それに負けずこの先もお祭りや御朱印、御刻印などで参拝していただける方を増やし、たくさんの方のお祈りや笑顔を神様にお届けしていきたいです。

インタビューまとめ

インタビューにお答えいただいたご担当者様は、この神社に奉職されて3年ということでしたが、ご自身が幼少の頃よりこの神社に親しまれ、その当時のお祭りが楽しかった記憶などをお持ちでした。それ故に、奉職された際にお祭りの雰囲気が静かなものになっていたことに寂しさを覚え、自ら当時の賑やかさを復活させられないかとあらゆる取り組みをされていました。

その姿勢からは、この神社を本当に愛されていること、そして地域からも大切にされているこの神社を誇りに思われていることがとても伝わりました。「地域からの愛は群馬一だと自信を持って言えます」とハッキリとおっしゃるその姿は、聞いていてとても気持ちの良いものでした。

有名な温泉地に近いこともあり、地域の方のみならず多くの観光客が訪れる和利宮 吾妻神社。この先も地元の方々の思いと全国から集まる人々の願いを聞き、参拝した方に幸せと笑顔をもたらしてくれる神社であり続けるでしょう。

和利宮 吾妻神社 アクセス

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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