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誉田八幡宮 全国で唯一、“天皇陵内”から地域を見守る八幡宮。

神社空撮

全国に約8万社あると言われている神社。そのうち応神天皇をお祀りする八幡宮は4万4千社あり、大阪府羽曳野市にあるこの誉田八幡宮もその一つです。その最大の特徴は応神天皇陵内に位置している神社であるということ。天皇陵内という特殊な場所にある神社は全国でもこの神社だけで、神社を訪れることで天皇陵にも足を踏み入れるという貴重な体験ができる神社です。

今回は、そんな特殊な場所に位置し応神天皇と共にこの地を見守る神社様の魅力についてお話を伺いました。かつての神仏習合の影響を色濃く残し、1500年近い歴史を誇る誉田八幡宮の足跡を辿ります。

目次

誉田八幡宮とは

拝殿と狛犬の写真

かつて日本には、神様と仏教を融合する「神仏習合」という考え方がありました。神と仏は本来同一のものであるとする考えで、奈良時代から明治の廃仏毀釈の流れが始まるまで長く続いた考えでした。そのため、かつては神社の中に寺院、寺院の中に神社というように神と仏が一つの場所に混在していた時期がありました。

誉田八幡宮にお祀りされている応神天皇は、その神仏習合の影響を特に強く受けた神様で全国の八幡宮でお祀りされています。神と仏の融合を受け入れる御心の広さは多くの人々から崇敬を集め、今なお日本の歴史を語る上で欠かすことができない神様でもあります。そんな応神天皇陵の後円部に鎮座する誉田八幡宮は、厄除け・安産の神様として地域の方のみならず、各地方から足を運ばれる方も多い特別な神社です。数々の宝物や特徴的な拝殿など、見どころに溢れた唯一無二の八幡宮です。

【誉田八幡宮 特別インタビュー】

南大門の写真

「天皇陵」と聞くと、仁徳天皇陵や聖武天皇陵など著名な天皇陵がいくつもありますが、ここ応神天皇陵もまた全国的に知られる天皇陵の一つです。その後円部に建立された誉田八幡宮は、その名前の由来も応神天皇に所縁のある由緒ある神社です。緑が生い茂る周辺景観は夏場でも涼しさを感じることができ、境内に足を踏み入れればひと時、日常を忘れられるような穏やかな時間が流れています。

今回は、神社のホームページなどネット上だけでは知ることができない神社の魅力や神職に携わる皆様の思いをお届けします。

天皇陵にもお参りできる、貴重な八幡宮。

古図の写真
編集部

こちらは「こんだはちまんぐう」とお読みして間違いなかったでしょうか。

ご担当者様

そうです。「誉田」という字は人名などでは「ほんだ」と読むことが多いのですが、当社は「こんだ」とお読みします。当社の主祭神である応神天皇様の諱(いみな=故人の生前の名前)は、誉田別尊(ほんだわけのみこと)とお呼びし、その「ほんだ」の読みがいつの間にか訛り「こんだ」となり、「こんだはちまんぐう」と読むようになったようです。遠方から来ていただいた方は「何と読むんですか?」と聞かれる方もいらっしゃいます。また、全国の「誉田姓」の方が来社してくださることもあり、非常に印象に残りやすい名前かと思います。

編集部

応神天皇陵の後円部に鎮座されている神社さんなのですね。こういった場所にある神社さんはすごく珍しいと思います!

ご担当者様

そうですね、恐らく全国でも当社だけかと思います。元は天皇陵から始まった神社で、応神天皇陵をお守りしお祀りするために建立された神社です。

編集部

では、神社の歴史や由来についてお聞きします。創建はいつ頃でしょうか。

ご担当者様

1433年に将軍・足利義教が寄進した『誉田宗廟縁起』という絵巻物があるのですが、その縁起に当社建立の由来が書かれています。それによると、欽明天皇20年(559年)に当時の欽明天皇の勅命により応神天皇陵の後円部に社殿を建立し八幡大菩薩を勧請(かんじょう=神仏の来臨を願うこと)した様子が描かれています。この社殿を誉田宗廟と言い、絵巻には聖徳太子や役行者(えんのぎょうじゃ)、行基、空海、菅原道真など多くの偉人が参篭(さんろう=祈願のために神社・寺院に一定期間籠ること)した様子や、後冷泉天皇の時代(1051年)に、現在の社殿の位置に移動した様子が描かれています。ただ実際には八幡信仰が広まった時代に応神天皇に所縁のある場所に社殿を建立し神社として整えたという可能性もあり、応神天皇陵をお守りする信仰から始まり、八幡信仰と結びつき現在の形になっていると考えるのが自然かもしれません。

編集部

長い歴史の中での出来事ですから判然としない史実は多くあると思いますが、それでも1500年に近い歴史の流れが分かっているだけでもすごいと思います!

ご担当者様

その後、応神天皇は戦の神様として源家や豊臣家、徳川家などの武将から崇敬を集め、長い歴史の中で様々な宝物も残されています。特に応神天皇陵前方部の丸山古墳から出土した「金銅透彫鞍金具(こんどうすかしぼりくらかなぐ)」や源頼朝が寄進した「塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうしんよ)」というお神輿は国宝に指定されています。

ご担当者様

八幡宮と呼ばれる神社は全国に4万4千社ほどあり、その全てで応神天皇様がお祀りされています。当社は応神天皇陵の後円部に鎮座していますので、古くからお祀りしてきた歴史があります。

編集部

こちらは天皇陵の後円部という珍しい場所の神社様ですが、来られる方にとっては天皇陵の一部に足を踏み入れる事自体が珍しいですし、貴重な体験となりますね。

神仏習合の特徴を色濃く反映。生まれ変わった美しい拝殿も。

鳥居の写真
編集部

では、この神社の魅力や特徴についてお聞きできますか。

ご担当者様

やはり一番はその立地です。天皇陵の後円部という場所にあることは最大の特徴です。応神天皇様は八幡大菩薩様と同一人物とされ、神仏習合の影響を大きく受けている神様です。江戸時代には、当社の境内にも神宮寺として「長野山護国寺」という寺院があり、神職と僧侶の方が共にお祀りを行っていたという歴史があります。この寺院は明治時代の廃仏毀釈の際に取り壊され、現在は南大門のみその姿を見ることができます。また当社の拝殿も仏教の様式が混ざった造りになっており、そういった部分でも日本に神仏習合の歴史があったということを感じていただけると思います。

編集部

言葉だけでお聞きするよりも実際にそういった痕跡を神社で見ることができるのはいいですね!

ご担当者様

そうですね。やはりこの国は島国だからこそ、他国から侵略されることも少なく様々な文化や風習を受け入れやすかったのかもしれないと考えています。

編集部

緑も多く夏でも比較的訪れやすい神社様かと思います。

ご担当者様

そうですね。来られた方は「ここは割と涼しいですね」と言われる方もあります。天皇陵という特殊な場所ですから、周辺景観は森という感じで自然を感じながらリラックスしていただける環境かと思います。

編集部

先ほど神仏習合の影響を強く受けている神社様とお聞きしましたが、神社の建築様式にその影響が表れている部分はありますか。

ご担当者様

当社の拝殿の柱は「粽型(ちまきがた)」という形で、屋根の上部が少し丸くなっているんです。これは仏教様式に多い建物の形らしく、その粽型の柱は特徴的な部分の一つかと思います。そこに描かれている彫刻は八仙という方によって彫られ、当社を建立した当寺、寺院建築にも多く携わられていたようなのでその影響を受けているのかもしれません。八幡様は神仏習合の流れを強く受けている神様でもあるので、そこは特徴的かと思います。

粽型の柱の写真
編集部

拝殿については屋根の修復工事も行われたということですが、これはいつ頃完了されたのでしょうか。

ご担当者様

2024年の1月~11月頃に修繕を行いました。こうした修復は朽ちている部分などをその都度直すことはあるのですが、大きな修繕工事というのは100年以上前です。
軒下などに見える装飾的な垂木(たるき)を「化粧垂木(けしょうだるき)」と呼ぶのですが、前回拝殿を修繕した際にその垂木に元文4年(西暦1739年)4月27日と墨で書かれたものが発掘されました。ですので、前回大きく修繕工事を行ったのはその頃、約286年前だと思います。

改修後の拝殿の写真
編集部

当時にそれだけ耐久性のあるものを作れたというのは凄い技術ですよね!

ご担当者様

本当にそうだと思います。先人たちの技術の結晶だと思いますので、来ていただいた際にはぜひそういった部分にも注目してほしいです。また、瓦の紋は徳川家の紋である三つ葉葵が刻まれており、拝殿には天井が張られていないのも特徴です。一説によれば、豊臣秀頼公により建設が進められていましたが、大坂夏の陣の際に工事が途中で途絶え、その後を徳川家が引き継いだため瓦は徳川家の家紋である葵の紋があしらわれ、外側だけ完成させたため天井が張られていないとう話もあります。これについては文献や棟木が発見されているわけではないので、定かではありません。

地域と共に神事を継承し続ける、地域密着の神社。

編集部

境内には特徴的な建物なども多いようですが、「放生橋」という小さな橋がありますね、とても可愛らしい橋ですね。

ご担当者様

この橋は実際に15年ほど前まで実際にお祭りの際にお神輿を担いで渡っていたんです。

編集部

え!?この急角度の橋をお神輿を担いでですか!?

ご担当者様

そうなんです(笑)木の足場を作りそこへ足を掛けて上り渡っていたという歴史があるのですが、かつて実施していた「放生会(ほうじょうえ)」という神事の際にお神輿を担いで渡っていました。ですが、橋の柱にひびを発見し渡るのは危険だということで、現在は横の橋から渡っています。おっしゃったようにとても急角度の橋なので、当寺渡る時はとても大変でした(笑)やはり、あくまで儀式用の橋なので普段は渡れないようにあえてそういった形にしていたのかと思います。

編集部

なるほど!確かにこの角度の橋を普段から渡ろうとは思わないかもしれないですね…(笑)

ご担当者様

石の柱には江戸時代にできた「富田林(とんだばやし)」というこの近くの町の名前が書かれており、この橋もその時代に造られたのではないかと言われています。

編集部

では、地元の方との関わりについてお聞きします。地域の方を交えての行事や地元の方とのエピソードはありますか。

ご担当者様

当社は元々戦の神様だったのですが、現在は厄除け・安産の神様として知られていますので安産祈願や厄除けに来られる方がとても多いです。戌の日参りに来られる妊婦さんも多く、生まれたらお宮参り、成長して七五三と人生の節目で来ていただける神社です。また、先ほどの「放生会」という神事も昔は神職と僧侶が一緒に行っていましたが、現在は「お渡りの神事」として神職のみで実施しています。その際には地域の方にお願いをしてお神輿を担いでもらっています。また、その神事では応神天皇陵へ向かう途中でお神輿を止め、その下をくぐり無病息災を祈願してもらっています。毎年9月15日午後8時から行っており、地域の方はもちろん、遠方からも崇敬者のみなさんが境内に来られます。

編集部

地域だけでなく広く知られている神社様なんですね。

ご担当者様

そうですね。地域密着の神社として認識していただいていますが、遠方から来ていただく方も多いです。またその神事ではお越しいただいた方へ向け特別に応神天皇陵に入り、一緒にお祭りに参加していただいています。

乗馬伝来の歴史を伝える“赤馬伝説”。

馬の像の写真

誉田八幡宮に収蔵されている宝物の一つに「金銅透彫鞍金具(こんどうすかしぼりくらかなぐ)」というものがあります。これは朝鮮半島との交流が盛んになった応神天皇の時代に朝鮮から伝わり、この地に乗馬の風習が持ち込まれ発展したことを証明するもので、これにまつわる逸話が『日本書紀』雄略天皇9年の段に記されています。

当寺の氏族「田辺史(たなべふひと)」の祖である「田辺伯孫(たなべはくそん)という人物が、娘の出産を祝うため誉田領(=応神天皇陵)を馬に乗り移動していた時、美しい赤い馬に乗った人物と出会いました。伯孫はその馬を大層気に入り、自分が乗っていた馬と交換してもらいました。喜んで家に帰り、自分の厩(うまや)にその赤い馬を留めましたが、翌朝厩を見に行くと赤い馬は馬の埴輪に姿を変えていました。慌てた伯孫が再び応神天皇陵へ出向くと、馬の埴輪の中に昨夜自分が乗っていた馬が留められていたという伝説があります。俗に「赤馬伝説」と呼ばれるこの逸話には、応神天皇陵の周辺に馬の埴輪が並べられていた、そして天皇陵と乗馬の風習に深い繋がりがあったことを示しています。そういった縁から境内にはその伝説に基づき馬の銅像も飾られています。

今後の展望

応神天皇は応神天皇の信仰が八幡信仰として全国に広がり、今では約4万4千社が存在しています。その全てでお祀りされる応神天皇は、日本の歴史を語る上で欠かせない神様です。4万4千社の神社の一つとして、この先も参拝していただいた方に歴史やかつての人々の信仰心などを感じていただき、訪れたことで元気になってもらえるような神社となれるよう整えていきたいと考えています。

インタビューまとめ

皇制を今も継承するこの国にとって、歴代の天皇をお祀りする天皇陵はとても重要な存在です。そこに足を踏み入れればどこか神聖な気持ちになり、心新たにできる瞬間を味わえるかもしれません。そんな重要な場所の敷地内にある誉田八幡宮は、この地域だけでなく、この国にとっても貴重な神社です。

お話いただいたご担当者様はインタビュー中終始にこやかな表情で、この神社の魅力を伝えたいという思いが強く伝わってきました。神様と仏様のどちらも大切にしてきた日本の歴史を後世に伝える、とても心温かい神社様です。

誉田八幡宮 アクセス

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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