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紅葉八幡宮 年2度の紅葉を楽しむ、地域と共に生きる神社。

紅葉八幡宮 外観

 「モミジ」は人々に安らぎを与える美しい自然の産物です。そんなモミジを年に2度楽しむことができる貴重な神社、それがここ紅葉八幡宮です。福岡市の生活利便が整う活気ある町の中で、地域に活力を与え、そして地域からも活力を与えられている、まさに「町と共にある神社」です。

境内には珍しい御影石で作られた獅子頭や病気平癒の伝説がある井戸水など、ここでしか見ることができない魅力があります。「モミジ」という社名にちなんで植えられた約100本の紅葉の木。それらは神社の境内だけでなく周辺景観にも影響を与え、神社周辺の美しい景観の一部となっています。訪れる人々はその魅力を楽しみ、この神社へ参拝して良かったと心から思うことでしょう。

そんな神社を取り巻く魅力的な環境や豊かな自然について、禰宜を務められている平山様からたっぷりと語っていただきました。

目次

紅葉八幡宮とは

境内紅葉①の写真

元は「百道(ももち)」という地名に由来する紅葉八幡宮という社名。その名が先に付いたことで、名前に負けてはならぬと先々代の宮司様が多くの紅葉の木を植えられ、現在の美しい光景が作り出されました。境内にある紅葉は春と秋の年2回色づき、時には桜と紅葉を一度に楽しめる年もあるそうです。福岡を治めていた黒田家との縁もあり、黒田家はこの神社の発展に深く関わっています。

そして、神社だけでなく周辺地域もこの神社の魅力の1つです。近隣の商店街は全国でも有数の大規模な商店街であり、少子化の時代にありながら周辺の小学校では児童数が1000人を超える学校も少なくありません。また、地方都市を代表する文教地区でもあり、豊かな教育環境が人々を惹きつけ、子どもたちの将来を考えてこの地へ移り住むご家族も多くいます。

神社のみならず周辺環境にも恵まれており、誰もが訪れればその魅力に魅了されてしまう、そんな見どころを多く持つ稀少な神社です。

【紅葉八幡宮 特別インタビュー】

正月の写真

多くの神社では創建の由緒は曖昧なことも多く、それぞれの出来事についても記録が詳細に残っている所はほとんどありません。ですが、この神社を崇敬した黒田家のお殿様は非常に仔細な記録を残しており、各時代に起きた出来事を詳細に知ることができます。それらの資料が語る史実は実に面白く、もっとこの神社を深く知りたいと思えるものでした。

この神社のほんの一部かもしれませんが、神社が紡いできた歴史と、町の人々から愛されている魅力、そして平山様の神社への思いをお届けします。

全国唯一の「紅葉」を冠する社名。約100本の紅葉が彩る境内。

境内紅葉②の写真
編集部

福岡市早良区(さわらく)に鎮座されている紅葉八幡宮様へのインタビューです。こちらの読み方は「もみじ」でお間違いないでしょうか。

ご担当者

はい。「もみじはちまんぐう」と読みます。

編集部

とても素敵な社名ですね。名前のとおり、境内には紅葉が多いのでしょうか。

ご担当者

現在は100本ほどの紅葉の木が植わっています。実は社名については紅葉が多い神社だったから紅葉八幡宮というわけではないんです。

編集部

そうなんですか!この名前になった経緯をお聞きできますか。

ご担当者

この名前は地名由来なんです。この辺りが「百道(ももち)」というエリアで、元々はそこにあった八幡宮なので「百道八幡宮」という名になり、それが訛って「もみじ」になったそうです。江戸時代の黒田藩の文献に紅葉八幡宮という名が載るようになり、そこから正式名称として紅葉八幡宮になったと言われています。その後、現在の場所に遷座しましたが当時は何もない山でした。ですが、神社の名前が紅葉八幡宮なので、名前負けしているということで紅葉を植えようと考え、私の曾祖父や祖父が紅葉の木を植えたそうです。

編集部

紅葉という名前が先なんですね!とても素敵な名前なので、現在の景色と合わせて皆さんにもっと知ってもらいたいですね。

ドラマのような創建由緒。仔細な記録が語る神社の歴史。

編集部

では、こちらの神社の歴史やご由緒からお聞きできますか。

ご担当者

はじまりは平安時代後期頃、1065年~68年頃だと言われています。創建に関わったのは柴田家という一族で、その一族が地元である陸奥国(宮城県)から平安時代に福岡へ神様を連れて来たと言われています。柴田家の一族の方が「柴田家は元々陸奥国におり、八幡神を氏神としていたが、平安時代に福岡へやってきた」ということを代々口伝で語り継いでいたようです。当初はまだ本格的にお祀りしていたわけではなく、御霊分けをしていただいた神様を連れてきたという程度のものだったと思いますが、それがこの神社の創祀(そうし=神社仏閣を初めて建立し、神仏を祀ること)になります。

ご担当者

柴田家が福岡にやってきたことで、その後一族が徐々に増えていきます。すると柴田の一族は村で過ごそうという流れになり、同じ福岡市内の山の方へ一族で引っ越しをしたそうです。その際に、柴田家の氏神はこの八幡神像だからお社を建てようということになり、立派な社殿を建てました。これが1482年のことで、この時が神社創建となります。

ご担当者

そこから150年ほどは村の鎮守、地域の氏神として崇敬されていました。そして江戸時代になり天下泰平がなされ、黒田長政の息子である黒田忠之(くろだただゆき)がこの紅葉八幡宮を訪れました。当時、お殿様が楽しむ遊びとして鷹狩や能楽などがありました。鷹狩はお城の近くではできませんから、当時紅葉八幡宮があった山の近くに鷹狩に訪れていました。そこに坪坂という浪人の娘がおり、その娘が少しばかり粗相をして忠之公の袴に作業中の泥を飛ばしてしまったそうです。ですが忠之公はその時はあまり気にせず、一通り鷹狩を楽しんだ後、紅葉八幡宮の前にあったお茶屋さんで休憩をしたそうです。そこで袴の汚れを見て、結構な汚れであることに気付き先ほどの娘を呼び出しました。普通であればそこで首を斬られてもおかしくありませんが、忠之公はその娘に一目惚れをしお城へ連れて帰りました。その後2人の間に子どもができ、その頃から忠之公は紅葉八幡宮の中にあったお堂などを修理し、境内を整備してくれたようです。他にも、坪坂の娘の弟などをお侍として徴用するなど、配慮していたそうです。

ご担当者

そして、2人の間に生まれた子どもは次のお殿様になるわけですが、当時子どもは人質としてお城に連れて行かれることが多いものでした。ですが、その頃黒田藩は幕府と少々揉めており、坪坂の娘は当時の紅葉八幡宮で出産することになりました。そうして生まれた子ども(後の三代目の殿様)は幼少期を紅葉八幡宮があった場所で過ごされました。三代目のお殿様からすれば、紅葉八幡宮は自分の両親が出会った場所であり、母の地元であり、自分が生まれた場所、そして幼少期に将来お殿様になれますようにと祈願しその願いを叶えてくれた場所です。それだけの思い入れがある特別な場所ですから、お殿様になった時に、紅葉八幡宮は正式に黒田藩の守護神にしようということになり、寛文6年(1666)に大きな神社となったそうです。そういった、神社となったきっかけがとても面白い神社です。

編集部

まるでおとぎ話のようなお話ですね!創建の由来でこれだけのお話を聞ける神社は確かに珍しいです。映像化もできそうなお話で、とても興味が湧きました!黒田藩との関係も深い神社なんですね。

ご担当者

黒田藩は江戸時代に福岡県の中心部を治めていました。秀吉に仕えた軍師として著名な黒田官兵衛の嫡男である黒田長政が初代藩主となり、福岡城の築城や城下町の整備を行いました。そういった基盤が現在の福岡の経済活動や町の人々の活動にも活かされていると思います。

ご担当者

黒田のお殿様はとてもマメな方でさまざまな事柄について記録を残す方でした。それ故に当社と黒田藩に関する記録も多く残されており、これだけ文献に記録が残っているのは当社と太宰府天満宮、福岡市東区に鎮座している筥崎宮(はこざきぐう)、福岡城の中にあった警固(けご)神社の4社くらいです。

ご担当者

当社のホームページにもお殿様の厄除けを担当していた方などを載せているのですが、お殿様が厄除け祈願をしたと記録が残っている神社はなかなかありません。他にも奉納品を頂いた記録や、社殿建て替え時にご尽力いただいた記録などがたくさん残っています。

年に2度の美しい紅葉。参拝者を思う宮司様の心がけ。

編集部

では、こちらの神社を訪れた方にぜひ見てほしい見どころや特徴はありますか。

ご担当者

まずは、周辺環境です。当社は町中にありながら豊かな緑に囲まれ、周辺よりも少し小高い所にありますので上を見上げた時に必ず建物ではなく青空が目に入ります。開けた空間の神聖さを感じられるのが特徴の一つです。そして、やはり紅葉が見どころです。実は当社の紅葉には見頃が年2回あります。普通は秋の紅葉だけですが、当社には春にも紅葉する種類の紅葉があり、春の桜と紅葉を一緒に楽しむことができます。基本的には桜が先に散ってしまうので、桜と紅葉を一緒に楽しめるのは数年に一度ですが、真っ赤な紅葉と新芽のライムグリーンの爽やかな緑が共に楽しめる光景はとても貴重で美しいものです。新芽の紅葉も2週間ほどで色が変わってしまうので、本当に短い間のものです。

編集部

紅葉を年に2度とはとても贅沢ですね!ぜひ一度見てみたいです。

ご担当者

また、海辺に高さ234mのガラス張りの福岡タワーが建っているのですが、当社の境内からはこのタワーを一直線に見ることができます。これだけ遮蔽物がなく綺麗に正面から見える場所は当社しかないので、観光で来られた方はお写真を撮って行かれる方も多いです。福岡タワーは当社の氏子区域ですので、お焚き上げなども当社で行っています。

境内からの眺めの写真
編集部

地域との関わりがとても強い神社なんですね。

ご担当者

その地域も大きな魅力です。当社の氏子区域内には5つの商店街が集まった大きな商店街があるのですが、全国から視察が来るほど活気のある商店街でシャッターが閉まっているお店が1店舗もないんです。どこかが閉店してもすぐに次のテナントが入り、とにかく活気が絶えることがありません。当社も地域のためにイベントなどを行っていますので、そのイベントに来られた方が商店街へ行き経済が活性化するという相乗効果も生み出しています。特に11月末頃に行う紅葉祭りというお祭りには2日間で1万人ほどの人出がありますが、その人たちが商店街にも流れ込みますので、本当に賑やかです。神社と一緒に町の方が盛り上げてくれますので、とてもありがたいことです。

編集部

神社と町が一緒に生き続けている地域だからこそできることですね。地図を拝見する限りでもとても賑やかな場所だとお見受けします。

ご担当者

世間では少子化が進んでいますが、このエリアはとても子どもが増えています。当社の近くには小学校が5校あるのですが、そのうちの3校ほどは児童数が1000人を超える規模です。私の出身小学校も当時1000人ほどだった人数が現在は1300人ほどいるようです。

編集部

そんなにですか!?この少子化の時代にそれはとんでもない人数ですね。とても明るいニュースです。

ご担当者

その要因の一つとして、このエリアが文教地区であることが挙げられます。付近には県内で最も偏差値の高い高校があり、私立文系で非常に優秀な西南学院大学が近くにあります。そういった教育環境の良さを求めて移住して来られる方もおり、勉強熱心な方が多いエリアです。生活環境も整っており、当社から徒歩5分の場所に地下鉄の駅、その横には区役所があり、その向かいには警察署があります。早良区内で主要な郵便局やバスターミナルもあり、生活利便がとても良い場所です。九州で最大の繁華街である博多天神へも電車で10分ほどの距離で、そういった環境が人口増の理由だと思います。

編集部

とても生活利便の良い場所なんですね。

ご担当者

保育園、幼稚園もとても多く、当社は子どもの神様でもあるので七五三も毎年1000組ほどのご家族がお参りに来られます。福岡エリアは商売繁盛や海の神様、あるいは大宰府天満宮に代表されるような学業の神様は多いのですが、子どもの神様というのはあまりなく、当社へ参拝しようと思われる方が多いのかもしれません。

七五三の写真
編集部

1000組ですか!?それは聞いたことがない数字です…。本当に活気がある場所なんですね。昔からこういった活気のある神社だったのでしょうか。

ご担当者

実はそうでもないんです。私は平成31年まで兵庫県神戸市にある湊川神社にご奉仕していたのですが、令和元年にこちらへ戻ってきました。その頃はまだあまり当社は周知されておらず、今ほどの活気はありませんでした。ですが、知ってさえもらえればファンになってもらえるポテンシャルのある神社だと思っていましたので、知ってもらえるきっかけ作りを始めました。インスタグラムの開設や、ホームページの作り変え、Googleマップの情報を充実させるなど、まず見つけてもらえるような努力を行いました。

編集部

それまで手を着けられていなかった部分に着手されたんですね。

ご担当者

その後、コロナ禍となったのですがそれがきっかけで参拝者が増えました。というのも、コロナが流行したことで人々は太宰府など人が多く集まる場所を避けるようになり、近くにはどんな神社があるだろうと検索し、たまたま注目してもらえるようなベースを作り上げていた当社が皆さんの目に留まったようです。ですので、令和元年から御祈願の件数が倍になりました。たまたまではありますが、予め準備していたからこそできたことだと思います。今ではインスタグラムのフォロワー数も7300人ほどになり、私の忘備録として記録しているだけですが、多くの方に見ていただけて嬉しい限りです。

編集部

宮司様のご尽力があってこその結果ですね。先ほど、紅葉祭りのお話も出ましたがインスタグラムでお祭りの写真を拝見しました。和傘を飾られているお写真がとても幻想的で素敵です。

ご担当者

この和傘もとても評判が良く、2025年は竹アートと共に飾ったのですが、毎年意匠を変えています。地域の方は毎年来てくれる方が多いので、昨年と同じものではなく違う表情を見せたいのですが、毎年どんな意匠にしようかと頭を抱えています(笑)。地域の皆さんのおかげで成り立っている神社ですから、そのご恩をどう返していこうかと考えています。特にこの近辺は地下鉄空港線が近く福岡空港から博多駅を通り、佐賀の方まで行けるとても便利な場所です。主要な神社を全て回ることができますので、来ていただいた方の印象に残るようなことができればと思います。

編集部

参拝者を思うからこその取り組みですね。ぜひこの先もずっと地域に愛される神社であってほしいです。

ご担当者

他に私が個人的に気を付けていることとしては「気持ちよく参拝できる場所にする」ということです。たとえば、参拝している目線の中に掃除用具などが見えると少しげんなりすると思います。そういった「日常的な風景」を徹底的に排除し、お参りに集中できるようにしています。当社には海外からの方も多く来られますが、外国語の案内書は出していません。神社という日本ならではの場所に来て、外国のものを目にするというのは、私としてはあまり好ましい光景ではないという理由からです。他にも七五三など行事の際にたくさんの幟(のぼり)を立てるということもしません。皆さんがお参りに集中し、心を落ち着けられる場所であるよう意識して境内を整備しています。

編集部

そういった考え方の宮司さんは初めてかもしれません。

ご担当者

私は誰よりもこの神社のファンです。実際の立場は禰宜ですが、心はお参りする皆さんと同じです。たまたま神様の近くでお世話をさせていただいているだけで、気持ちはこの神社を推している、いわば“推し活”をしているような感じです(笑)。神様も大昔は人の姿であられたはずですので、たまに来る人よりも毎日お世話をしてくれる人の言うことを聞くのではないか、そしてそれが神主だと思います。他の神主さんとは少し毛色が違うかもしれませんが(笑)、私は日々参拝者だけでなく、商店街で商売をされている方、会社の社長さんなどさまざまな方と出会いますから、そういった方々に揉まれてこういう考え方になったのかもしれません。

コロナ禍には疫病退散の獅子頭も。人生を見守る神社。

編集部

境内にもとても見どころが多いとお見受けします。まず、神楽堂というのはどういったものでしょうか。

ご担当者

神楽堂はかつて、節分の舞台にしていたのですが近年では人が増えすぎて舞台を組むようになりました。ですので、最近では舞などの伝統芸能奉納や七五三の際にお子さんたちの着付け室として利用しています。

神楽堂の写真
編集部

七五三の着付けですか!それはとても助かりますね!

ご担当者

お子さんは私服で来ていただき、神社で着替えて撮影もできます。また他の特徴としては、青と赤の御影石の獅子頭です。阿吽の表情をしておりそれぞれ青御影石と赤御影石を使用したとても貴重なもので、令和の御大典記念と、コロナが流行した際に製作したものです。この周辺エリアには獅子頭を持って運ぶというお祭りがあり、それは江戸時代の享保の飢饉あたりから始まりました。獅子は表情がハッキリとしており少し怖い顔をしていますよね。あの顔で町を歩けば災いが逃げていくと言われており、疫病退散として街を回っていたそうで、お祭りで用いる木製の獅子頭の大きさは50~60㎝ほど、ずっしりとした重さがあります。この獅子頭と目が合うと厄除けになると言われています。

獅子頭の写真
編集部

まさにコロナ禍で重宝される獅子頭だったんですね。

ご担当者

その獅子頭のそばには「利生の水」という水があります。まだ紅葉八幡宮が現在の場所に遷座する前、この山にお稲荷さんがあり、そこへ修験道の修行者である山伏が出入りしていました。そこへ四代目のお殿様である黒田綱政(つなまさ)公が訪れた際、腹痛に襲われ当時の井戸水を汲み、山伏たちが祈祷した水をお殿様に差し上げたところ調子が良くなり、この境内から出る水には病気平癒のご利益があると言われるようになりました。多くの神社でお稲荷さんは五穀豊穣や商売繫盛のご利益がありますが、当社の山頂にあるお稲荷さんはこのエピソードから病気平癒のご利益があるお稲荷さんです。このお話についても記録が残されており、かなり信憑性の高いお話だと言えます。

編集部

病気平癒のお稲荷さんは確かに珍しいですね。こちらの神社では墓地も運営されているとお聞きしました。

ご担当者

3棟墓地を置いています。実は神社で墓地を造るにはさまざまな条件をクリアする必要があります。まず、神社の本殿と土地が続いている場所では造ることができず、一般道などを挟み敷地が分かれている必要があります。これは、人の死後に関係しています。仏教では四十九日がありますが、神道では五十日です。その間は忌がかかっており、身体によくない穢れが付いているためお参りができません。ですが、神社の中にお墓があるとそこを通らざるを得ないので、お墓へのお参りができません。道路を挟んだ飛び地であれば神社にお参りすることなく墓地へ行けるので、造設が可能というわけです。現在は1000世帯ほどが入られています。当社では、産まれる前の安産祈願からお宮参り、七五三、厄除け、そして亡くなった後の神道での葬儀も行いますので、最初から最後まで人生が完結するんです。

編集部

人生を丸ごと預けられる、とても頼れる神社ですね。

ご担当者

他にも福岡市に貸している公園の管理、月極駐車場の管理など手広く行っていますが、当社の敷地は6000坪ほどありますので、色々なことをしていかないと管理できないというのも事実です。将来のためにきちんと資産運用できるような形を整え、未来へ繋いでいく必要があります。私の後を継ぐ人物もそういった思いで神社運営に携わってほしいと思っています。

最先端技術との融合。細かなコミュニケーションが結ぶ縁。

編集部

ホームページで御朱印ARというものを実施されていると拝見しました。これはどういったものでしょうか。

ご担当者

これは当社が全国的に有名になったきっかけでもあります。2016年頃に大流行したゲーム『ポケモンGO』と同時期にリリースしたもので、それまでARという技術はあまり知られていませんでした。『ポケモンGO』で広く知れ渡り、それを利用しようと考えました。当時、御朱印はスタンプラリーのような感覚で集めている方が多かったんです。システム上、そうなることは仕方ないとも言えるのですが、どこの神社なのか、どんなお寺なのかをよく分からずに集めているのがもったいないと思いました。そこで、最先端の技術と組み合わせれば神社にも興味を持っていただけるのではないかと思い、御朱印ARを始めました。これは全国放送でも取り上げられ、当時は県内のテレビ番組にもたくさん出演させていただきました。

御朱印ARの画像
編集部

よく考案されましたね!とても画期的な企画だと思います。

ご担当者

実は神社職員の義理の弟が、こういった技術を扱う会社に勤めており、「何か新しい試みをしたい」と話したときに、御朱印で何かできないかという話になり実現しました。他にもネット上に構築された3次元の仮想空間であるメタバース内にも神社を置いています。東南アジアや外国の方にはメタバースに親しんでいる人も多く、そういった方向けにリリースしたものです。メタバース内では各地域の言語に翻訳してくれますので、実際に神社へ来られる前にメタバースで参拝していただければ、実際に来られた際のご案内がスムーズにできると考えました。これも、メタバースに携わる会社の社長さんとたまたま知り合いだったことで実現しました。

編集部

さまざまなご縁が結んだ結果なんですね!

ご担当者

本当にそうです。私はほとんどご縁と飲み会でやりたいことを実現しています(笑)。飲んでいる時の方が話も進展しやすいので、飲みニケーションはとても大切です(笑)。また公民館や区役所のホールなどで大勢の方の前で話す機会も多く、そういったことを通して神社の魅力をお伝えしています。

今後の展望

この先、何十年という長い目で神社の将来を考え、今と変わらず皆さんが心を落ち着けられる場所にしたいと思っています。そのために、境内の整備も進めていますが、今あるものをさらに良いものにできるよう努力を続けていきます。神社を思い一生懸命に奉仕すること、それが将来の良き神社の姿に繋がると信じています。

インタビューまとめ

お話いただいた禰宜様は、とてもお話上手で次々にエピソードをお話いただきました。神社の歴史から境内の様子まで、この神社にしかない魅力がたくさんあり、一度は行かなければならない神社だと感じました。神社だけでなく、禰宜様ご自身もとても魅力的な方で、参拝時にはぜひ直接お話をお聞きしてみたいと思いました。

誰よりもこの神社のファンであること、それをとても誇りに思っておられ、こういった方が奉仕されている神社だからこそ全国的に知られる神社となり、多くの人が訪れる場所になったのだと思います。この先何十年、何百年、宮司様と同じ思いで神社を継ぐ人がいれば、きっと紅葉八幡宮の将来は安泰であり、今よりもさらに地域にとって必要不可欠な神社として残り続けるでしょう。

紅葉八幡宮 アクセス情報

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この記事を書いた人

ラボ編集部のアバター ラボ編集部 編集者・取材ライター

歴史と文化遺産に情熱を注ぐ29歳の編集者、山本さくらです。子どもが1人いる母として、家族との時間を大切にしながらも、文化遺産ラボの立ち上げメンバーとして、編集やインタビューを担当しています。旅行が大好きで、訪れる先では必ずその地域の文化遺産を訪問し、歴史の奥深さを体感しています。
文化遺産ラボを通じて、歴史や文化遺産の魅力をもっと多くの方に届けたいと日々奮闘中。歴史好きの方も、まだ触れていない方も、ぜひ一緒にこの旅を楽しみましょう!

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